5-4

「どういう感情なんだ」

 スラン会長は、クレメンスを見ながら戸惑っていた。

 クレメンスはこれまで、バザルアジムの面々に笑顔を見せたことがなかった。生活を共にしているジムですら、クレメンスの表情は一つしか知らなかったのである。

「むしろ、感情があるというか……」

 クレメンスは、倒されずに立ち続けていた。レスリングの世界の頂点に立ったことのある、アルエスのタックルを耐えているのである。ただ、アルエスの圧力が強いため、クレメンスは反撃もできずにいた。20秒ほど、二人の態勢は変わらなかった。

 クレメンスの顔から笑みが消えた。一気に鬼気迫る表情になった。

「あれも初めて見る」

 ジムは、試合というよりもクレメンスから目が離せなくなっていた。初めて蝶のさなぎが脱皮するのを見つけた時と、同じ視線だった。

 クレメンスは差し込んだ左腕を使って、アルエスの体を持ち上げた。アルエスの頭が、クレメンスの頭よりも高くなる。そして一気に、前に押し戻す。クレメンスの体がロープから離れた。

 クレメンスがバックをとろうとする動きはアルエスが防いだ。リング中央で、再び膠着状態となる。

 二人の大男が、ほとんど動かない。実際には水面下の攻防が繰り広げられているのだろうが、見ているだけでは観客はよくわからなかった。

「ちゃんと倒せー」

「投げ捨てろー」

 ヤジが飛び始める。

「ブレイク!」

 レフェリーが割って入った。再び二人が距離をとる。

 クレメンスは前蹴りとローキックを繰り返す。アルエスがだんだん、クレメンスから離れていく。間合いを大きくしたのだ。

「効いてるのか?」

 スランが首をかしげる。クレメンスの蹴りが有効で、アルエスが間合いを取り始めた。もしくは、足が動かせなくなってきた。そう考えれば、現状も納得できる。しかしそんなに簡単にチャンピオンを攻略できるものだろうか。

「だとしても……」

 二人のセコンドには、嫌な直観が働いていた。どこかがおかしい。

「急ぐな、クレメンス!」

 ジムがそう声を上げた時だった。アルエスの体が、すっと消えた。少なくともジムにはそう見えた。低くしゃがみこんだアルエスは、ジムに片足タックルを仕掛ける。なんとか踏ん張ろうとしたジムだったが、ついにその体がマットに倒れる。

 上になったアルエスは、完全にジムを抑え込んだ。

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