4-3

 クレメンスはバザルアジムに入るまで、格闘技の経験はおろかスポーツをしたこともなかった。ジムが今まで聞けた話からすると、喧嘩すらそれほどしてきた様子はない。鍛え続けてきたことは確かだが、大相撲経験者であり、総合格闘技を何試合もしてきたタキノホウには苦戦するとジムは予想していた。

 実際、試合が始まるとクレメンスは押し込まれていた。タキノホウは打撃もうまい方で、ローキックも使って相手のリズムを崩してくる。パンチも単調ではなく、クレメンスはガードを固めて耐えていた。

「こりゃやばいっすね」

 観戦している門下生の一人が、うなりながら言った。誰も否定しなかった。クレメンスの方が、明らかに「下手」だった。

「まあ、わかっていたことではある」

 どれだけ体力に自信があっても、「上手さ」の前では無力なことがある。ジムはそのことをよく知っていた。

 クレメンスの右足が青く変色し始めていた。ローキックは効いているに違いない。それでも、クレメンスは表情を変えていないし、動きも鈍っていない。

 何発か、タキノホウのパンチがクレメンスの頬をとらえた。クレメンスのガードが下がった。タキノホウが一機果敢に攻め込んでくる。

 一瞬の出来事だった。空を切ったタキノホウの右腕を、クレメンスが両腕でつかんだ、そして左足をひっかけて、タキノホウの体を払った。

「ぐえっ」

「ええっ」

 バザルアジムの観客から、驚きの声が次々と上がった。会場もざわついていた。

 上になったクレメンスは右腕でを離さず、何とか極めようとしていた。しかしタキノホウもなんとかガードしていた。二つの巨体が、少しずつ動く攻防を続ける。

 クレメンスは急がなかった。タキノホウの左手がコツコツとパンチを当てるが、全く効いている様子はない。

「何今の……」

「強引だ」

 他の門下生たちが口々に感想を言う中、ジムは黙っていた。

 練習していたものだった。ジムはクレメンスと、先ほどのテイクダウンを事前に試していたのである。

 「そんなにうまくはいかないぞ」と笑うジムにクレメンスは、「現実的だと思う」と答えた。

 クレメンスは打撃も強いし、圧力もある。しかしタキノホウの試合映像を見たクレメンスは、「通用しない気がする」と言った。

 実際、試合開始から打撃が効くイメージは湧かなかった。タキノホウは大相撲から上手く総合格闘家に転身している。未知の相手に対し、最初はうまく対応していた。

 だが、クレメンスはタキノホウの想像の上をいったのではないか、とジムは考えている。

クレメンスには、自らの危機を予測する能力と、それに対する備えがある。

 クレメンスは決してタキノホウを逃さなかった。じわじわと体勢を整えていく。

 そしてついに、タキノホウの右腕を捩じ上げた。

 タキノホウの左手が、クレメンスの背中をたたく。タップだ。

 クレメンスが、アームロックで勝利した。

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