1章6話:遠い昔の始まりの一歩
「名前がわからない?」
手を取った直後、始まったのは質疑応答だった。
「そう。お父さんも、お母さんもいたのは覚えてる。でも、それ以外は思い出せない。」
「さっきの事故で記憶喪失になるとはな……生かす条件が揃いすぎている気もするが、どうでもいいか。とりあえず、お前は孤児としてここで暮らす。いつでもアタシが監視してるからな。何かしたら、殺す。いいな?」
睨む千瑞。
「そんな睨まないでよ、怖いなぁ。言葉遣いも荒いし。モテないよ?」
「うるせぇ!」
荒っぽく机を叩く千瑞。この不意に出る軽口にも少し慣れてきた。
「ともかく、まだ書類作成に時間がかかる。待っていろ。」
「はーい。」
そうして、小一時間待った私の前に置かれたのは一枚のカードだった。
「なにこれ?」
「お前の偽パスポートだ。本物の戸籍を作るにはまだ時間がかかるからな。何かあったらこれを見せておけ。」
どうやら質疑応答は戸籍を作るためだったらしい。
「先に言ってくれればよかったのに。てか、偽パスポート……?」
「一応政府の組織だからな。アウトなことしても誤魔化しが効く。」
なんか銃を持っていたり、偽物のパスポートを作ったりと、当然の様に犯罪を犯している気がする。
「それはさておき、お前にはまだやることがある。着いてこい。」
私の方も見ずにどこかへ向かう千瑞。
「何をするのか先に行ってよ。」
「いいだろ、どうせすぐわかる。」
そうして着いたのはトレーニング室らしき場所。
「《惨滓》――お前が会ったあの化け物を倒してもらうからな。どれほど運動できるのかは見極めさせてもらう。」
どうやら体力テストをするらしい。
「だからそれを先に……」
「うるさい。お前が勝手に察したんだからいいだろ。」
本当にがさつな人だ。
「事前の連絡は大切だよ?」
「うるさい。早く始めろ。」
「はーい。」
私の体力テストの結果は、その年代の女性の数値を数倍上回る数値を叩き出した。
「こんな結果になるとはな……《惨滓》と一体化すると運動能力も上がるのか。ここまでできるなら、《惨滓》も……」
「今更頭脳キャラは厳しいんじゃない?」
これまた軽口が出てしまった。
「ありゃ、やっちゃった。」
「お前……初めて会った時はか弱い少女かと思ったが、蓋を開けりゃとんでもねぇクソガキだな。」
「今でもか弱い少女だよ。」
「そんなムカつく軽口を叩く少女がいてたまるか。」
「それはそうだね。」
私だって言いたくて言っている軽口じゃない。
そして、私の体力測定の結果を記入し終えた千瑞は立ち上がると、
「さて次だ次、行くぞ。実戦だ。」
珍しく目的を告げてどこかへ向かい出した。
「珍しくとか言ってるが、アタシたちまだあって数時間だぞ?」
「勝手に人のモノローグに割り込まないで。」
「割り込みだぁ?顔に書いてあったから答えてやったんだよ。」
こんな奴に考えを読まれてしまうのなら、ポーカーフェイスの練習でもしようか。
「ポーカーフェイス?無理だな。」
うん。絶対しよう。
「そもそも実戦って何?」
「そのうちわかる。」
やっと先に事項を伝える様になったと思ったらこれだ。
「やれやれ。」と呆れる私の前に現れたのは、何重にも施錠されているドアだった。
千瑞は鍵達をパスワードと大量の鍵を使って開けていく。
「お前にはこれから、こいつを倒してもらう。」
ドアが開き切った時、私の目の前にいたのは、《惨滓》だった。
「これって、私が会った化物……」
「そうだ。武器はある。自分の力でなんとかしろ。」
渡されたのは拳銃とナイフ。
「こんなの、扱える訳ないでしょ!」
流石に焦りを浮かべる。
「お前は今の自分を解っていない。半分、《惨滓》なんだ。」
そう諭されても、私は数時間前まで人間だった。解れという方が酷だろう。
「でも、どうすれば……」
「体がわかる。戦ってみろ。」
そう武器を押し付けられて部屋に残されたのは私と、《惨滓》のみになった。
ドアが閉まり、千瑞の姿が見えなくなった瞬間、音もなく、《惨滓》が私に飛びかかってきた。
驚く私を他所に、体はバク転の要領でそれを躱していた。
「!?」
自分が回避していることに気づいたのは数秒後だった。
その間も、《惨滓》は攻撃をし、私は躱す。
そんな中、千瑞の言葉が頭をよぎる。
千瑞は言っていた。私は化物だと、さらに、体がわかるとも言った。
つまり、
「体を勝手にあの化物が動かしている?」
それならば、化物の身体能力を自分で使うこともできるかもしれない。
その考えに辿り着いた。
拳銃は怖くて引き金が引けなかった。そのため、ナイフの刃先を、《惨滓》に向けて、右足の力の限り一歩、踏み込んだ。
瞬間、突風が吹きつけ、手にドスン、という衝撃が全身に響く。
瞑った目を開いた時には、《惨滓》がナイフに壁ごと串刺しになり、円形に大きく凹んだ壁がその威力を物語っていた。
「これを、私が……?」
その現状に気押され、一歩下がると足に激痛が走る。
「!?」
気づけば足だけでなく全身が痛い。その痛みで立てずにいると、
「無事で何よりだ、クソガキ。」
当然のように千瑞が入ってきた。
「クソガキって……それより、死にそうだったんだけど。」
「この程度で死ぬならとっくに死んでるだろ。」
間接的に私を殺しかけたというのにこの態度……いい加減にしてほしい。
「とりあえず立てないんだろう?ちょっと待ってろ。」
数分後、千瑞が呼んだであろう看護師になされるがまま、医務室へ連れて行かれた。
「今日はもう寝ろ。」
千瑞が医務室の電気を消し、どこかへ行った。
暗く、静かな中、天井を眺めながら今日1日を思い返す。
私の体は人ではなくなってしまったし、顔も名前も思い出せない両親は死に、挙げ句の果てに自分まで死にかけた。
神様は私たち一家が嫌いなのだろうか。
それでも私が生き延びているのは、何かの縁だ。
「この縁が誰かと幸せになるきっかけになるといいな。」
不意に願った幼い私の願いは、叶うまであと一歩なのかもしれない。
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