オーバーステイ

「おーい、葵葉。ちょっと頼まれてくれるか」

「はいっ」

 向葵出版社の事務所に軽快な返事を響かせた葵葉を、隠岐がニヤニヤして見ている。それは、大和の席に辿り着くまでも続いていた。


「ちょっと隠岐さん、邪な目でうちの可愛い葵葉を見ないでくださいよ」

 葵葉の背中側にいる隠岐に大和の怒号が頭を超えて飛ぶと、振り返って見た隠岐が、拗ねたように頬を膨らませている。

「おいおい、仮にも上司になんて口の利き方だ。大和が葵葉君を独り占めしてるからだぞ。俺にも葵葉君を貸してくれよ」

「何言ってんですか。わざわざ変態の手に葵葉を委ねる人間がどこにいるって言うんです? いくら仕事が出来ても、葵葉に変なことしたら隠岐さんでも許しませんから」


 涼しい顔で悪態を吐く大和にハラハラしながら、葵葉は用事はなんだったのかを尋ねた。

「だって葵葉君いい匂いするんだよー。現役男子高校生の汗の匂いと体臭。はあ、堪らないよな。な、連もそう思うだろ」

 隠岐が自分の仲間に引き込もうと、連に声をかけた。

「編集長、馬鹿なことばっか言ってないで、さっさと例の料理研究家の先生にアポとってください。あなたが言い出しっぺの仕事でしょ。美人だがなんだか知りませんけど、ご自身が連絡するって豪語してたんですからね」

 目の前のパソコンから目を離さないまま、連が冷たくあしらう。


「むらじぃー。お前、段々大和に似てきたぞ。その冷めた言い方。お前だけは俺の趣味がわかるって思ってたんだけどなー」

 隠岐の言葉に一瞬、連の表情が強張ったように見えたが、それはすぐにたち消え、

「生憎、俺には編集長の趣味はわかりません。それに俺は大和さんを尊敬してるんです、真似するのは当然でしょ」と、一刀両断。

 パチパチと軽快にキーボードを打ち、淡々と作業する連に無視されても、怒られちゃったと肩を竦めて隠岐が舌を出している。三人の間でオロオロしていた葵葉は、いつものことだよと、苦笑する大和から一枚の用紙を渡された。


「資料庫に行って、そこに書いてある年代のファイル全部持ってきてくれるか」

「はい、分かりました。持ってきたファイルはどこに置きます?」

「んー、そうだな。結構な量になるし、小会議室に運んでおいてくれ」

「了解です」

「葵葉くーん、今度俺と美味いもん食いに行こうよ。ご馳走するよー」

 相変わらずの、やに下がった顔で隠岐が手を振ってくる。葵葉はどう対応していいか分からず、大和に助け船の視線を送ろうとした時、視線を遮るように葵葉の肩は連に引き寄せられていた。


「ほら、編集長の毒牙にかかる前にこっからズラかるぞ」

 肩に連の手が乗ったまま、葵葉は事務所の外へと運ばれて行った。

「ちょ、ちょっと連さん。どこ行くんですか、俺、資料を──」

「だからこうして向かってるだろ、資料庫に」

「で、でも俺ひとりでも平気で──」

「いいから、行くぞ。二人でやる方が早い。俺も用事があるしな」

 連が先陣を切ると、葵葉は慌てて後を追った。


 事務所の廊下の先にある喫煙所の横を通り過ぎると、突き当たりに資料庫はある。大和から預かっていた鍵で連がドアを開けると、錆びた音と共に部屋は開放された。

 窓から差し込む光りで微塵がキラキラと舞っている。こもっていた埃に軽く咳き込むと、窓を開けていた連に喘息かと尋ねられた。


「小児喘息だったんです。でも、今は平気ですよ。ちょっと埃っぽかっただけで。それより、この部屋暑いですね。エアコンあってよかったー」

 既にうっすら額に汗を浮かべながら、葵葉はシャツの胸元をパタパタとはためかせた。

 すると、何を思ったのか、連が近寄り葵葉の首元に自分の顔を近付けると、匂いを嗅ぐよう数回鼻を鳴らしている。


「ちょ、ちょっと連さん、何してるんですか」

 連の異様な行動に思わず後退りし、葵葉は顔を引き攣らせた。

「いや、あんまり編集長がいい匂いだって言うから、どんなもんかと思ってさ」

「匂いって──もう、連さんまで編集長のマネするのはやめてください。男の汗なんていい匂いするわけないでしょう」

「いや……」

 言葉に余韻を残しながら、連がまた顔を近づけてくる。

「また編集長の仲間にされちゃいますよ。ほら、もう仕事──」

「うん、悪くないな。お前、香水かなにかつけてるのか」

「そんなもの付けてないですよ。それより早くファイル探さないと。沢山あるんですから、連さんも遊んでないで手を動かしてください」


 バイトを始めて約一ヶ月。最初の頃に比べて、連に強気な口調も披露できるようになった葵葉は、リストを半分を託すと年代別に分けてある棚に向き合った。

 連の方も、砕けた態度の方が好みだったのか、はいはいと笑いながら、別の年代の棚へと移動して行く。


 大和からの指示は外国人の不法滞在関連の事件を、過去十年ほどまで遡って集めてくれ、と言うものだった。

 向葵出版で長年付き合いのある作家が、不法滞在に関連した事件の本を資料集成し、それを今度出版するらしい。それに当たって大量の材料が必要だと、担当編集者の大和に依頼があったのだ。


 向葵出版で扱っているのは、学術や歴史を伝える復刻書籍をメインに、教化関連、建築、民族などを扱っている少しお堅いイメージの出版社だった。

 雑誌も何種類か刊行し、内容は時事ネタからスピリチュアルまでを、他社とは違った角度で捉えているのが人気だった。葵葉もチャラチャラした雑誌より勉強になると、バイトをする前から雑誌の愛読者だった。


 書籍化するのにあらゆる資料が頻繁に作家から要望され、今回も日本に蔓延る外国人犯罪の加害者や、被害者などの実態を今の日本に伝えたいと、作家の熱い思いから出版されることが決まったらしい。

 それぞれ書籍の発行部数は多くないが、連が担当するミステリー系の小説雑誌は特に人気で、会社の利益に大いに貢献している。


「こりゃ結構な量だな。葵葉ひとりだと日が暮れちまうとこだったぞ」

「本当そうです、連さんが手伝ってくれて助かりました。ありがとうございます」

 わざと怒らせようとする連の目論みを笑顔であっさりと覆すと、葵葉の笑顔にぐうの音も出なかったのか、連が、ほんと埃っぽいなと咳払いで誤魔化しながら手を動かし始めた。


 多数の新聞社が発行していた過去の記事のファイリングを前に、棚にずらっと並ぶ膨大な量に重い溜息が勝手に出てくる。

 おまけに、古い年代の紙ファイルの背表紙は日焼けし、マジックで手書きされているタイトルは色褪せていて、文字を勘で読むことしか出来ない状態だった。


「取り敢えず、十年前から見てくか」

 葵葉はファイルを手にし、パラパラと中身を見ていった。

 年代と月別にしか纏めてない記事の中に、大和が必要な記事を探すのは至難の技だ。だが、必要とされていると思うと、この手間でさえも喜ばしいことだと思えてくる。


 順に見ていくうちに、不法滞在の意味を漠然としか理解していなかった葵葉は次第に興味を持ち、記事にのめり込んでは、はたと気づいて手を動かすを繰り返した。しかしその反面、金のために簡単に人へ危害を加え、そうかと思うと、不法滞在を理由に日本の企業から安い賃金で労働させられたり、風俗で働かされている事例に目を背けたくなる。

 それらの内容は、どれも酷いものだった。


 人間をなんだと思ってるんだろ……。


 読み漁っていく記事の量と比例し、葵葉は憤りを覚えていった。

 次第に時間も忘れ、没頭している葵葉の肩に軽い刺激が触れる。ピクリと反射を起こし、振り返ると連が「飯にしようぜ」と疲弊した顔で立っていた。

「あ、もうそんな時間だったんですね」

「おう。今日も弁当か?」

「いえ、今日はコンビニに買いに行こうかと……」

「じゃ、ラーメン食いに行こうぜ。奢ってやるよ」

 そう言うと、返事も待てない連に腕を掴まれ、葵葉は資料庫のドアを慌てて閉めた。 

 


 

 

  

  

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