駆け行く坊

 アメリカ西部、そこの中心部から少しだけ田舎の方へと入った場所に、ドイル家は大屋敷を構えていた。

 ドイル家は一般家庭より少し裕福で、それは使用人を四人雇えるほどだった。

 そこの一人息子のルーク・ドイルは、周りから「時駆け少年」と呼ばれている。その所以は抽象的なものであるが、筒井康隆のようなものではない。その上、好きなテレビ番組は罷免ライダーと言うのだから、そのギャップに使用人はもれなくメロメロだ。罷免ライダーとは敵と戦う際、自身の人気を使って、大衆に敵を精神攻撃させ、飛び降りるまでを丁寧にサポートするという超人気ヒーローものである。

 ルークには一つの楽しみがある。

 それは土曜日に、町の商店街へと出掛けて、父親が主人を務める雑貨屋で売る予定の物を物色するということだ。

 今日は土曜日である。急がないと店が開いて、客に話し相手がとられてしまう。彼は母に「お店行ってくる!」と言いながら玄関を出ていった。


 雑貨屋に着くと、ルークは店の奥の扉を二回ノックした。するとその向こうから「二回ノックはトイレのノック!」という声が返ってきた。ここの店長であるケビン・スミスの微笑みである。

 この一連の動作は日常雑学戦隊ものの金字塔である日常知り隊炊飯ジャーのイエローの決めゼリフだ。

 ちなみに子供向け番組には、全人類の髪の毛のカール度合いの平均を求めるという壮大な計画を遂行する番組「クルックルン」もマイナー的に人気がある。

 ケビンは特にこれといって秀でたことはない平凡な黄色人種なのだが、ルークにとってはテレビ番組のネタが通じる唯一無二の大人の友人だった。

「ケビンさん、なにか面白いものはありますか?」

「んー、そうだね」

 ケビンは斜め上を見る。

「ところでルーク君、好きな子はいるかい?」

 その唐突な質問に、ルークはたじろぐ。

「な、なんで急にそんなこと!?」

「ふふん、ちなみにその子、何のキャラクターが好き?」

「まだ答えていません!」

 ニヤニヤとしながらケビンは商品の山に手を突っ込んで、一つものを取り出した。

「これじゃない?」

「あっ、『蓋はプリクラ』だ! ……でも今やっているのはもう『わけあうゴカイ!プリクラ』なんですよ…」

「ほう、怪しいね、今まで女の子向けのテレビ番組にはとんと興味がなかったのに」

「ぎくっ」

 プリクラシリーズとは、敵と戦う際、テレビ映えを意識して盛りに盛ってから戦う女の子向け番組である。変身時、五百円が必要な為、シリーズを通して主人公が金欠であるのも大きな特徴である。

「ふふふ、楽しみにしているよ。……いけない、もう九時だ、僕はもう表に行くね」

「はーい」

 ルークは引き続き商品候補を物色する。目線はしばしばプリクラグッズに向いているが、今の彼はそれ以上の何かを期待しているらしい。

 罷免ライダー、カブト虫、プリクラ、炊飯ジャー、カブト虫、プリクラ、カブト虫、プリクラ、罷免ライダー、炊飯ジャー、プリクラ、カブト虫、炊飯ジャー、プリクラ……

 なかなか面白いものが見つからない。凝った体をぐーっと伸ばすと、視界は上に開いて、きらりと光るものが見えた。

 ……なんだろう?

 ルークがひょいと持ち上げたものは、ビビッドカラーの玩具のような貯金箱だった。

 はらりと小さな紙の説明書きが落ちて、ルークはそれを拾う。

「『名前を書くと、元々中に入っている一円が日が経つごとに倍になるぞ!!』か……なんだかトンチキな玩具だなぁ」

 それでもルークは気になってしまったので、表に客が居ないことを確認してから、ケビンに話しかけた。

「ケビンさん、この貯金箱を僕に売ってくれませんか?」

「ふむ、それか……よし! 十九ドルでどうだい?」

「う、高い、いいでしょう!」

 小遣いをポケット貯金にまわしていたルークは、くしゃくしゃのお金で払った。

「はい、丁度確かに」

 普段はいいヤツのケビンだが、金の事になると少しがめついところがあるので、学生時代に裏ではゲヒンと呼ばれていたこともあった。

 一刻も早くこの貯金箱を我城に持ち帰りたいルークは、ケビンにぺこりと頭を下げ、そそくさと店を後にする、わわわ。

「それじゃ、気をつけてね」

 そうして雑貨屋は一週間のピークを終えた。

「……客来ないなぁ」

 ケビンは小慣れた溜め息をついた。


 庭師の整えた低木のアーチをくぐって帰ったルークの興味は、勿論あの貯金箱に注がれた。

 彼は四方八方からこねくりまわすように観察して、その度にうるさく一円の音が鳴っていた。

 彼が回すと一円が鳴る。そんな単純な遊びに彼はそろそろ飽きてきた。

 そんなことより、奇っ怪な売り文句である『名前を書くと、元々中に入っている一円が日が経つごとに倍になるぞ!!』の真偽が問題だ。

 しかし、彼が動かさなければ、その貯金箱はうんと言わず、すんとも言わなかった。

「やっぱり、明日になるまで分からないや」

 こうして彼の興味は、明日の遠足へと注がれることになった。

 どんなことを思案しているのやら。彼は鼻歌交じりに笑っていた。

「いけない、準備がまだだ」

 ようやく気がついた彼はせっせとクローゼットを開き、あーでもないこーでもないと、服を引っ張り出しては投げ置いていく。

 サワースキットルズの粉が挟まったフローリングも次第に服に隠されていき、遂には床が半メートル底上げされた。

 ぽすっ、とラグドールのぬいぐるみがルークの頭を跳ねる。

「よし、これにしよう!」

 今はカラスもあくびの夕間暮れ。ルークはやっとの思いで準備を済ませた。

 でっかいリュック、時計…と帽子!

 ルークは最終確認を怠らなかった。

 しかし不思議なものである。以前のこんにゃく工場見学の時なんて、クローゼットを開くと触れたものを手当たり次第引っ張り出して、そのまま灰色地に刺繍パンダ柄の厚手のトレーナーで行ったものだったのだが……。


 ともあれ今日は、お楽しみのハニワ成分館への遠足だ!

 いつもより何時間も早く起きたが、暇だったためルークは撮り貯めていた罷免ライダーを一気見していた――

「はっ!」

 いつの間にか小鳥が鳴いている。日差しが差し込んでいる。胸が、はやる!

 もしかしたら、知らないうちに寝ていたのかもしれない……。

 今は何時!?

「あと二十分しかないじゃないか!」

 幸い、準備は済んでいる。しかし、もう悠長に朝ごはんを食べる時間はない。もう行かなくちゃ、間に合わないのだ。

「行ってきます!」

 食パン一切れを咥えて、慌ただしく小嵐は家を後にした。

「ただいま!」

 再来。

「行ってきます!」

 塩パン一斤を咥えて。


 学校からのバスに揺られながら、ルークの肩は隣の少女のそれと、こつん、とぶつかった。

「あ、ごめん」

「いや、大丈夫だよ……」

 まるでストーリーのような沈黙である。

 彼女のバッグには「プリクラ」のアクリルチャームが付けられていた。とても魅力的だ。

 ルークは外の景色を眺めて気分を落ち着かせようとするも、通路側の席からでは彼女の横顔が視界に入り、どうにも顔が火照る。

 だんだんと、目的が彼女の横顔を見ることに変わっていきつつあった時、ルークは彼女の寝顔を目撃した。

 ガタンゴトン。バスが線路を乗り越えて、揺れて、彼女の神秘的な黒髪が流れた。

 少女の瞼がぴくりとしたと同時に、彼女の声帯が微かに震えた。

「ん……」

 その声に恋をまた自覚しつつも、ルークはそっぽを向いた。

 その瞬間に、バスはコシューと音を立ててストップした。辺りは既に、ハニワ一色であった。

 ルークは人差し指の先で彼女の肩を叩いて、時を知らせる。

「わあ! ハニワ成分館だ!」

 彼女は無邪気に笑った。


「わあ」

 気がつくと、ルークを乗せたバスは校門のレールを乗り越えて帰ってきていた。

「あ、起きた」

 ルークが彼女の方を向くと、肩を叩こうとしていたであろう彼女の人差し指がルークの頬を突いた。

 ルークは顔を火照らせ、にやついた表情筋を隠そうと、冷たくそっぽを向いた。彼女の指先は微かに熱を帯びていた。

 そこから家に帰るまで、ルークは何度そっぽを向いたのか数えていなかった。だが、彼女が少しだけ寂しそうにした回数は覚えている。

 そうして、ルークの一日は黄昏時を迎えた。しかしルークの人生は未だ煌めきの朝である。貯金箱は今も衣服の床の下にしまわれ、「その時ではない」と眠っている。

 ルークは忙しい。恋に課題にてんてこ舞いで、今を一生懸命に生きているのだ。ルークは未来を早とちりしなかった。


 時が経った。

 ルークは大学の祝典の気持ちを織った衣キャップ・アンド・ガウンを纏った後、生まれ育った懐かしの家に帰っていた。

「アレッタさん、お久しぶりですね」

「ルーク坊っちゃん!」

 庭師のアレッタは相も変わらず目元の隈が濃かったが、育てている花はアネモネから、白いアザレアとダリアになっていた。

 最初は隈に隠れて分からなかったが、よく見ると彼女はいかにも父が好みそうなストロベリークォーツのイヤリングを付けていた。

 父には全く頭を悩ませるよ。

「それじゃ、僕、早く行かなきゃ」

「何かあるのですか?」

「きっと今日が僕の結婚記念日になるからさ」

「坊っちゃまは、まっすぐですね」

「あはは……」

 玄関を過ぎた僕は父を睨み付けながらダイニングに腰掛け、しばし祝いの談笑を楽しんだ。

 そして高校ぶりに入った僕の部屋は、その時の我城そのままだった。

 繋げられたままのゲームコントローラー二つに、踏まれたままのラグドールのぬいぐるみ。そして、置かれたままの、貯金箱。

「あれから、何週間経っただろう。……思えば僕は、年数を使って小さな数でしか数えていない。怠惰でいけないな」

 そう言ってルークは貯金箱の蓋に手を掛けた。

 しかし貯金箱はびくともしなかった。どうやら不思議な圧力がかかっているらしい。

 ルークは携帯しているマイナスドライバーでこじ開けた。

「なんだ、どうなっているんだ」

 すると貯金箱はとたんに膨らみ、ルークの期待も膨らんだ。

 よもや三秒でこの部屋を埋め尽くしそうな速さで膨張していた貯金箱だが、ルークが壁に挟まれて苦悶の表情を浮かべたくらいで、「ひぉにぁふゅ」のような空気の抜ける音を出して、もとの大きさに戻った。

 さらに潰れてしまったぬいぐるみを抱き締めながら、ルークはおそるおそる貯金箱の中を覗く。そこには、紙切れが入っていた。それはたったの一枚であった。彼はぬいぐるみの抱く手を左だけにして、紙切れを拾い上げた。

「……自由の国の夢の券メガ・ミリオンズだ」

 メガ・ミリオンズの今のジャックポットは、三十回以上積み上がって、千六百ミリオンドルに上っているとこの前小耳にはさんだ。もしも、これが本当に不思議な力を持っているとしたら――まあ、夢物語か。

「そろそろ、彼女のところへ帰るかな」

 ルークは既に数字が書かれているメガ・ミリオンズのチケットをポケットに入れ、変化を纏い始めた実家を後にした。

「あ」

 ケビンさんは元気にしているだろうか。


 うるさい店主もシャッター街。幽霊のみが贔屓客であろう寂れたアーケードに、ルークは車を停めた。

「はあ、風が吹くなあ」

 それでも父さんの店からはぴかぴかと白色灯が漏れ出ていた。車からは既に十数軒のシャッターとすれ違っていて、辺りは静かだ。歩幅は大きいはずなのに、なんだか遠い。積もる話もやまやまに、少し鼓動が大きく火照る。

 金のレバー式ドアノブに手を掛けて、几帳面な扉を開けた。

「お久しぶりです……」

 そこにあったのはがらんどうの店内だった。明かりは灯っているし、商品は全て綺麗に磨かれているけれど、肝心のケビンの姿はなかった。それどころか、お客ひとり居ない。

 ルークが不思議そうにキョロキョロとしながらゆっくりと店の奥へ歩くと、その先の扉の向こうからガラガラ……といった、ものを掻き分けたような音がした。

 もしや……。

 ルークは扉を叩く。

 すると扉は開いた。

「二回ノックはトイレのノック!」

 そしてケビンは微笑んでこたえた。

「ケビンさん、お久しぶりです。お店は一旦休止ですか?」

「いやいや、まだまだ現役さ。さっき、ご主人からルークくんが帰ってきたって連絡があったから、もしかしたら、と思ってね」

 二人はなんだか笑う。今のケビンは老けこそしたものの髭は剃り、目尻の皺に隠れた目は優しいままで、年相応の美しさを備えている。

「うーんと、ちょっと待っててね……」

 ケビンは再び後ろを向き、屈んで、商品の山をまた睨みだした。

「何を探しているんですか? 手伝いますよ」

「ああ、大丈夫だよ。疲れてるでしょ、そこのイスにでも腰かけておきな」

 ルークは不思議がりつつも、卒業式の時に胴上げされた影響で腰を痛めたことは事実なので、甘んじて座った。

「よっこいしょ」と無意識に大きな声を出してしまったルークは、自身から出た声に驚く。

「あった!」

 その声は、今のルークのそれをかき消すほど、無邪気さに満ちた叫びだった。

「何が見つかったんですか?」

「これさ!」

 ケビンが高々と掲げたものは、この店にはそぐわない、一等星よりもキラキラとしたものだった。

「指輪、ですか」

「そう、半カラットの指輪さ」

「昔はそういった類いのものは置いていなかったのに、変わりましたね」

「そういうことではないんだ。今も昔もここは変わらないよ」

 ルークは合点がいかずに憮然とする。

「ご主人の注文だよ、ルークくんのお父さんさ――」

 ルークは怪訝とした。まさか、庭師のアレッタさんにそれを渡すつもりなのか。僕の母は変わってしまうのか。全く、あのエロ親父め。

「そのご主人が、君にってさ」

「え」

「ルークくんは結婚するんだろう? ご主人から聞いたよ」

 意外にも父がケビンと仲がよいことに少しばかり嫉妬を感じつつも、なんだか気恥ずかしくなった。

「プロポーズもこれからですけどね」

「だろう、だからご主人はこれを仕入れたんだよ」

「なるほど」

 堂々とした微笑みをするケビンの指先につままれた指輪は、青色を忘れ始めた太陽の光を受けて煌めいていた。ルークは微笑みというより、にやつきの顔で指輪を掴もうとした。

 しかしケビンはそれをひょいと上にして避けた。微笑みはスケルツァンドと化していた。

 ルークは不満げにぴょんぴょん跳ねて手に取ろうとする。それは猫のようであった。もっとも、それはただの成人男性二人の戯れなのだが。

「どうしてですか、ケビンさん。その指輪は僕と妻のものなのでしょう」

「ここはお店だ。そしてこれは仕入れた商品――分かるね?」

 ルークは葡萄の皮色ワインの味のような気持ちで長財布をとりだす。

「十九ドルでどうだい?」

「そんなケビンさんには、夢をあげますよ」

 そうしてルークが渡したのは、メガ・ミリオンズのチケットであった。

「これは意外だね。ルークくんもお洒落な人間になったもんだ」

 ケビンは今にも自転と公転をし始めそうなほど、そわそわしている。ルークが店の中を物色しに背を向けたのを見て、おもむろにケビンは左に体を傾けて、新聞の束を持ち出した。

「んー」と声を漏らしながら、彼は細縁の眼鏡をかけて遥か数十年分の新聞を読み漁っていた。何を読んでいるのか分からないほど、彼の新聞を入れ替える速度は速い。もっとも、実のところ、ただ今日の新聞を探しているだけなのだ。

 彼はずっと前から息を吐くよりも自然に新聞を読んで保管するようになっていたため、全く記憶の手がかりがないのである。

 ルークが腰を屈めて、くるみ割りこけしなるものを見ようとした刹那、彼の背後から風船の破裂より強力な声が商店街中に響いた。

「ルークくん……これは大変だ」

「どうしたんです」

「このメガ・ミリオンズ……当たっているんだ――」

 なんだか本当に十九ドルを払わなくてよいことになりそうなルークは、喜びつつも購入した実感のない指輪を見つめて難しいような気持ちになった。

「ジャックポットに!」

 ルークは指輪についてを難しく考えすぎたせいで、幻聴まで聞こえてしまった。

「聞いているかい、ルークくん。この商店街が簡単に買えるくらいの大金になるんだよ、この、夢ばかりの紙切れが!」

 どうやら、それは幻聴ではないらしい。

 ケビンの目はドルの形をしていた。口角が一人でに羽ばたきそうに笑みを浮かべ、鼓動は早まり血色がよくなっていた。

「ケビンさんは、変わりませんね」

 まあ、何はともあれ僕の大切な人のケビンが幸せそうに笑っているんだ。それに、もうじき夕景のテラスで、もう一人の大切な人が笑ってくれる。なるほど、あれは幸せを詰めた貯金箱だったのだな。

「それじゃ、くれぐれも豚賭けに溺れてメガ・ミリオンズを使いきる、なんてことにはならないでくださいよ」

「もう、心配性だな」

 その言葉を背にルークは扉に手をかけて、振り向いた。

「幸せを願います、ケビンさん」

「これ以上をなんて、贅沢言うね」

 ぱたん。と閉められたドアには既に、ほんの少しの埃がつき、陽に燃えていた。

 ケビンはその景色にしばらく微笑みかけてから、万年筆の先をインクに数回浸け、帳簿にこう大きく書くのだった。


 "HAPPY END"

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バイバインの貯金箱 梶浦ラッと @Latto

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