第22話 最初で最後の晩餐
2022年 6月 8日
ネットワーク改修工事プロジェクトリーダーとして相馬教授、プロジェクトメンバーとして、牛尾、事務局長の朝熊、情報システム課の狐島、メディアセンター事務室長の白鹿、情報センターからはラマとバク。ボランチ遠藤の呼び掛けで、改革準備室を除く大学のプロジェクト関係者が全員集結した。
ラマとの対面が正月以来となった相馬教授は、その髪が緑色に染められていることに驚いて言った。
「あらら、緑なんですね」
ラマは微笑みながら答える。
「ええ、戦後間もない1947年、『緑色の髪の少年』という反戦映画がありましてね、ウクライナの平和を祈願して緑にしました」
髪の色が大した問題にならないのは、美術系大学と言うこともあるだろうが、教職員でも事務職員でもなく、昇進とも一生無縁な技術職員という特殊な立場の自由さでもある。
全員が着席すると、遠藤の進行で、会議は和やかなムードで始まった。
会議資料「萩多寺ネットワーク更新について」(20220601)、恫喝提案のレビューが進むにつれ、資料内容の不合理や傲慢が少しづつ出席者に共有され、気がつけば全体の空気が「大学とITTの間の齟齬」から「なんなんだ、あいつら」へと変化している。
「彼らには調査を依頼しただけなのに、その結果報告すら出していない。大学側の窓口を遠藤に一本化したことが、ITTに伝達されず混乱させてしまったことに対しては、こちらに非があるものの、本学からの唯一の要望である工事計画確認書を無視して、調査報告や改善案の議論もないまま、なぜ提案書が出てくるのか」
仕事で相馬と関わったことのないラマは、的確な状況把握と理解力に感心する一方で、彼がこの半年、プロジェクトリーダーとして進捗管理をするような積極的な関与をしていたわけでもないことを理解した。それは研究者であり教育者でもある教授の立場上、仕方のないことではあるが、そうだとすれば手足として働くための、施設関連の事務職員の名前がプロジェクトメンバーに無いのが不思議に思われる。
「これまでに、20棟以上のネットワーク工事の設計・施工管理をしてきましたが、ネットワークに限らず、大学の全ての売買契約手続きから見ても、本件の発注プロセスは明らかに異常です」
技術的議論に入り込み過ぎないよう、またプロジェクトのメンバーに加えてもらえなかったことへの恨み節と思われないよう、慎重にラマが発言する。
全体の流れは明らかだ。相馬が決を採る。
「調査の結果を提出させて、施工業者は三社見積りから仕切り直しです」
誰からも異議は出なかった。
しかし、2月の段階で理事会には、「ネットワークの物理構成など実際の現地調査を行ったところ、基幹サーバから各建屋間のスイッチ(ネットワーク機器)でボトルネックが発生していることが判明したことから、正式にプロジェクトを立ち上げ、ネットワーク環境の改善に取り組むこと」と報告されていたはずだ。それなのに、いまごろになって改めて「調査の結果を提出させてから仕切り直し」という相馬は、あの調査報告書を受け取ってはいないのだろうか。ラマは少し不思議に思った。
ここで、遠藤が提案した。
「来年に延期しませんか?」
実はそれは、遠藤がこの会議を開催した唯一の目的だった。しかし、プロジェクトリーダーの相馬は、
「それはダメです、今年中にやってください」
と断言、遠藤の目的は一撃で没した。
残念ながら遠藤の望みは潰えたとはいえ、ネットワーク改修工事プロジェクト自体が「仕切り直し」となったのは朗報と言える。
ラマの上長にあたる、異動した猿渡事務室長や代わりに着任した白鹿事務室長に対して、機会あるごとに何度も同じ説明を繰り返してみても、プロジェクトメンバーでさえない彼らからは反論どころか反応すら得られない日々が続いていたラマにとっては、意見が交わされる会議らしい会議がとても新鮮に感じられた。それはまるで、「自由と意思」を掲げて80年の歴史を持つ法人に備わる免疫反応を見るようで、意外でもあり、爽快でもあった。
会議後の情報センターに戻り、バクとラマが感想を述べ合う。
30年近く二人で仕事をしてきたので、ラマとバクは互いの思考を理解し、相手の考えの中で折り合える部分と折り合えない部分を熟知していた。
例えば、大学特有の雇用契約である「助手」について、「労働力として使い捨てるようなことは教育機関がやるべきではない」というラマの考えに対して、バクは「納得して契約しているのだから、同情の必要はない」という考えを持っている。認識の相違は30年近く前から一貫して変わることがない。
ことほどさように、二人の意見が分かれるとき、熱く情緒的なラマに対して冷静で論理的なバクという構図が例外なく生まれる。
しかし、この日、その構図に異変が起きた。いつもクールなバクが、珍しく熱を帯びた口調で宣言した。
「もしも、遠藤くんが『ITTを切る』と言い切ったら、男気に敬意を表して、ITT提案をベースにした工事計画確認書とはまったく異なる代案を自分が作成して、出入りの業者だけで実施してもよい」
その言葉に、ラマは驚きを隠せなかった。無数のテーマを話し合ってきた二人にとって、陰陽が反転したのは、これが初めてのことだった。
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