第3話 これ以上人間を貶めるな

 飛翔する。

 行き先はどこだっていい。

 あの王と呼ばれたゴミ野郎が、俺の視界に入らなければそれでいい。

 

 音もなく着地する。衝撃は殺し、人目のつかない場所で衣服を整える。

「不愉快極まる。あれが、あのような思想が人間のものだというのか。いや、まだ断じるのは早計か。特権階級はしばしば自分が天を掴んだと思いこむらしいしな、そういう意味では奴は病人の一種だろう」


 地球では、人間は素晴らしいと思っていた。

 喜びも、悲しみも、陰湿さも、爽快さも。

 すべて人間は対等で、お互いの首根っこを押さえられるゲーム盤で勝負していた。


 中には勘違いをした愚者が混じっているが、大抵その手の輩は長生きしない。


 理不尽な犯罪や、思わぬ幸福。人生を彩るすべての根幹は、人間はみな平等に権利を持っているという思想による。

 俺は確かに危険人物だ。それは否定しない。


 だが、俺が思い、話し、悩み、惑うのも自由だった。

 地球が長く暗黒の時代や戦乱を経てきたのは知っている。当然思想や言論の弾圧があっただろう。今でもあるぐらいだから、当時は言わずもがなだ。


 それでもヒトが行きついた、この自由主義を守りたい。

 俺は生まれながらに異常であるが故、ヒトをヒトたらしめる思想に傾倒していた。


「さて、まずはどうするかな。幸いにも召喚の影響で地理は頭に入っている。ふむ、この辺は人間の支配下にあるのか」

 期待をしていいのだろうか。

 人間代表の醜態を目の当たりにした以上、警戒してしまうのは当然のことだ。


 突然悲鳴が聞こえた。

 俺が今いるのは恐らくスラム街などと呼ばれている場所だろう。

 犯罪の温床で悲鳴が聞こえるのは、確率の高い現象だ。


「娘を離して! お願いします、何でも言うことを聞きますから!」


 穏やかではない。

 子供を盾に取るのは大抵三下の所業だ。

 

 俺は小走りで悲鳴の発生源へと向かった。


「ああ、ナターリア、なんてことを……娘はまだ一歳だったのよ! なんでこんなことができるの!」

「うるせえな、クソ魔族が。どうせてめえ雑種だろう? この世にいる必要ねえんだから、俺たちが間引いてやってるんだよ。ほら、ありがとうはどうした」


 驚愕、というのは大人しい表現だろう。


「ナターリア、ああ痛かったでしょう……無力なママを許してちょうだい……」

「魔族に泣く権利ってあったか? ぎゃーぎゃーわめきやがって、うるせえな。早くやっちまおうぜ」

「まったくだ。呼吸するのも人間様の許可が必要ってのを、このクズどもは知らないらしいな。意地汚いクソアマがよ」


 一歳児の口からは、槍の穂先が飛び出ていた。尻から入り、一直線に上へ。

 見れば人間の兵士と思しき集団は、串刺しにされた我が子を抱いて泣き叫ぶ母親も殺すようだ。


 やめろ。

 これ以上俺を失望させるな。

 この世界を、俺の怒りで塗れさせるな。


「ほらそこの壁の前に立て。へへ、槍投げ合戦だ。痛そうな場所に当たった奴が今日の勝利者だぜ。みんなで酒を奢ろうや」

「任せろ、一発で決めてやる」

「バッカ、こういうのはじわじわやるんだよ。すぐにくたばったら面白くねえだろ」


「ああ、魔族の神よ……どうか、どうか……お救い下さい……」


 俺は神でも何でもない。ただの魔法使いだ。

 だが、こんな地獄を目の前にして、黙っていられるほど臆病者ではない。


「おい」

「あん、なんだ酔っ払いか? 今仕事中だからあっち行け、ボケ」

「それとも見ていくか? へへ、俺は股ぐらに一発ぶちこんでやるからよ、見とけ」


術理展開メソッド—―セカンダリフォルダからプライマリフォルダヘ。風破弾エアッドシェル、Run」

 語るべきことはない、そのまま死ね。


「あん? 何をブツブツ……」

 ボシュ、という音と共に、目の前の兵士の頭が吹き飛んだ。

「え、なんだ? おい、どうなって……」


 ボシュン。

「あと二人、か」

 今更戦闘態勢を取っても、もう遅い。

 お前らは人間の尊厳を踏みにじった。死んで種族に詫びろ。


「この野郎っ、魔法使いか……あびゅっ」

「おい、ケニー……くそ、逃げ……がばあっ!」


 何のことはない。魔法耐性もない、ただの雑兵か。

 術式への理解度も、スペルの強制中断も出来ない。単なる属性魔法だが、一撃を見る前にレジスト値を上げることもしない。


「ああ……お許、お許しを……」

 青い顔で震えている、耳の長い褐色の人がいる。なるほど、これが魔族か。

 殺された我が子を抱きかかえ、失禁せんが勢いで跪いている。


 やらねばならない。

 人間がやらかした不始末だ。同じ人間である俺が名誉挽回をしなくてはいけない。


「奥さん、立てますか? こいつらが戻らなければ増援が来るでしょう。今のうちに逃げますよ」

「あ、え、はい……でもこの子を……」

「失礼、顔を背けてください」


 俺は槍を一気に引き抜き、落ちていた布でくるんで哀れな母親に渡す。

「行きましょう。この町から出ます。どこか行くべき場所はありますか?」

「あ、その……魔族の隠れている森が……。でもあなたは人間だから……」

「俺は入れなくてもいいです。それよりもお子さんを安らかに眠らせてあげましょう。さあ、立ってください」


 彼女—―ローザの案内で、俺たちは腐臭漂うスラムから抜け出し、入り口を守備している兵士を吹き飛ばして離脱した。


 必ずこの人は、俺が届ける。

 異種族とはいえ、無辜の市民が虐殺されていい理由はない。


 俺は彼女を抱え上げ、身体強化をかけたまま、一路暗き森まで走り続けた。

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