第41話 陛下とマリス➀
馬車に乗せられて一時間ほどが経過しました。
「降りろ!」
「っ、乱暴にしないでください!」
無理やり馬車を降ろされて目隠しを外されます。
視界に映ったのは廃墟の洋館でした。
夜の森にそびえる廃墟の洋館は不気味なもので、立派な門構えだけがかつての繁栄を忍ばせます。どうやらここは帝国首都の外れにある森のようでした。
そして洋館の前に立っている男を見た瞬間、私は目を見開きました。
「レナード……!」
そう、レナードが立っていたのです。
レナードは大袈裟なほど
「こんばんは、兄上」
「どうして、あなたが……」
「決まってるじゃないですか。兄上に最後の挨拶をしに来たんですよ。もう二度と会うことはないでしょうから」
「それはどういう意味ですか」
怒りと困惑で声が震えていました。
そんな私にレナードがニコリと笑います。
「決まってるじゃないですか。兄上は帝国で行方不明になり、そのまま姿を消してしまいました。どうやら攫われて売られてしまったようです。それだけの話ですよ」
「あなた、そこまで……」
レナードが私を毛嫌いしていることは分かっていました。
第一王子として生まれた私が邪魔で仕方ないことも分かっていました。
でも腹違いとはいえ兄弟です。だから……。……でもそう思っていたのは私だけなのですね。レナードの中では兄弟の縁などとっくに決別していたのでしょう。
呆然とする私をレナードは嘲笑うと男たちに命じます。
「あとは好きにしろ。あの
レナードはもう兄上とも呼びませんでした。
そして清々しい顔で私に手を振ります。
「それではさようなら。その美しい顔を使ってなんとか生き延びてみてください」
それだけを言うとレナードは立ち去っていきました。
私を捕らえている男が愉快そうに同情します。
「可哀想になあ~。あんたのことが憎くて憎くて仕方ないって
「…………」
私を恨んでいる人がいる。
……心当たりがありました。レナード以外にももう一人。
「……ベアトリス、ですね」
「さあ~な」
男がニヤリと笑ってとぼけました。
私が睨むと男はせせら笑い、仲間に命令します。
「閉じ込めとけ。準備ができしだいすぐに出発する。夜明け前にはここをでるぞ」
「はいっ」
私は男たちに囲まれて無理やり歩かされます。
廃墟の洋館に入ると長い廊下を歩かされ、奥まった部屋に連れられました。
「出発までここにいろ。逃げようなんて考えるなよ? もし逃げたらガキどもがどうなるか分かってるよな?」
「え、子ども……?」
「入れ」
「わあっ」
男たちは私を部屋に押し込むと立ち去っていきました。
私は室内を見回し、その光景に驚愕します。
そこには五人の子どもがいたのです。
しかもそのうちの一人がリリーでした。
「リリー!」
「マ、マリス様!? うっ、うわあああん、マリス様あ〜!!」
「リリー、リリーっ、よく生きていてくれました!」
私はリリーに駆け寄って抱きしめます。
リリーも私にぎゅっとしがみ付いてきました。
「マリス様、知らない男たちに急に襲われて、それで私っ……」
「ニックから話しは聞いています。怖い思いをしましたね。怪我はしていませんか? ひどいことはされていませんか?」
顔を覗きこんで優しく聞きました。
するとリリーの瞳がみるみる滲んでいって、大きな声で泣きだしました。ずっと怖くて不安だったのですね。
「わあああああんっ、マリス様っ、マリスさまぁ~! こわかったよ〜!」
「ずっと耐えていたんですね。よく頑張りました。あなたが怖い思いをしている時、側にいられなくてごめんなさい」
「マリスさま……っ」
私はリリーを抱きしめ、頭を撫でて慰めてあげます。
リリーが耐えていたのは、自分より小さな子どもたちが一緒に捕らわれていたからですね。
私はリリーの肩を抱いて部屋の中を見回しました。
ここにはリリー以外に四人の子どもがいました。どの子も十歳にも満たないような幼い子どもたちです。どの子も怯えた顔で縮こまり、強張った顔で震えていました。
「リリー、この子たちは?」
「帝国に来るまでに、あの人たちが攫ってきた子たちです」
「なんて酷いことを……」
ヘデルマリアから帝国までの道中も立ち寄った街や村で子どもを攫ってきたのですね。
しかも子どもたちはボロを着ています。わざわざ貧民の子どもを選んで攫っているのでしょう。貧民区の子どもが行方不明になっても大きな騒ぎになりにくいという算段でしょうね。絶対に許せません。
私は四人の子どもたちに手を差し伸べました。
「どうぞ、あなた達もこちらへ」
声をかけると子どもたちが不安そうな顔で私を見ます。
大丈夫と伝えるために優しく笑いかけました。
「もう大丈夫です。あなた達もよく頑張りましたね。もう大丈夫です」
大丈夫と繰り返すと、子どもたちがいっせいに私にしがみつきました。
強張っていた子どもたちが大きな声で泣きだします。
恐怖のあまり今まで声を出して泣くこともできなかったのでしょう。
私はひとりひとりの顔を見て、しっかりと抱きしめて慰めました。
こんな暗い場所に独りでいてはいけないのです。
子どもたちが泣きやむと、私はひとりひとりの目元をハンカチで拭いてあげました。
ほんとうはまだたくさん泣かせてあげたいけれど、夜明けがきてしまいます。
夜明けがくる前にここから逃げなければいけません。
「みな、よく聞いてください。今からここから逃げましょう。このままここにいてはもう二度と帰れなくなります。怖いけれど、勇気を出してここから逃げましょう」
「にげたい。かえりたいよ〜……」
「うん、にげる……」
子どもたちが涙ぐんで頷きました。
勇気を出してくれた子どもたちに感謝します。
私は部屋を見回し、使えそうなものを探しました。
ドアの前には見張り役が立っているので、そこから逃げるのは現実的ではありません。
だとしたら窓しかないけれど、ここは三階です。子どもが飛び降りて無事でいられる高さではありません。
「そうだっ、これを使いましょう」
私は古びたカーテンを手に取りました。
カーテンを外し、結んで一本のロープにします。
「窓から逃げましょう。ロープを伝って外に出るんです」
物音を立てないように窓を静かに開けました。
三階の窓から脱出するとは思われなくて見張り役はいません。
でも洋館の周囲を巡回しています。ならばチャンスは一度、巡回中の見張り役が窓の下を立ち去ってから。
静かに息を潜めてその時を待ち、巡回の見張り役が立ち去った瞬間。
「今ですっ」
窓からロープを垂らしました。
「リリー、先に降りて子どもたちを」
「はいっ」
リリーが窓枠を越えてロープを伝って下に降りました。
物音を立てないように慎重に、でも素早く。
「さあ、みんなもリリーの真似をして降りてください。大丈夫です。きっと上手くいきます」
子どもたちは頷くと次々に窓枠を越えて地上に降りていきます。
最後の子どもを見送って、私も窓枠から身を乗り出しました。
地上では子どもたちが不安そうに私を見上げています。
大丈夫です。静かに待っていなさい。すぐにあなた達のところに行きますからね。
私は元気づけるように頷いてみせると、ロープを使って慎重に降りていきます。
でもその時。
「ガキどもが逃げたぞ!! 捕まえろ!!」
男の怒鳴り声がしました。
巡回していた見張り役です。戻ってきてしまったのです。
「走りなさい! 走って、早く!!」
私は咄嗟に声を上げました。
リリーと子どもたちは一瞬躊躇うけれど、「早く逃げなさい!!」と叫ぶように声を上げるとハッとして森に向かって走っていきます。
それでいいのです。
私も降りている途中でしたが飛び降りました。
「ぅぐっ……。っ……」
着地したものの足が痛い。
飛び降りるにはまだ高い距離でした。
でも猛然と向かってくる男たちに捕まるわけにはいきません。
私は子どもたちが逃げたのと逆方向に向かって逃げます。
「追え! 絶対に捕まえろ!!」
「ガキは無視しろっ。どうせ野垂れ死ぬ!! あの男を追え!!」
「絶対に逃がすな! 逃がしたら俺たちが殺される!!」
背後から怒号が聞こえます。
やはり一番の狙いは私。
私が男たちを引き付ければ子どもたちは逃げられるはず。
「っ、う……」
足の痛みに顔をしかめました。
着地した時に足を痛めたのです。
地面を蹴るたびに足が痛むけれど走るのをやめたりしません。こんな男たちに捕まるなんて冗談じゃない。
でも背後の怒号は徐々に近づいてきて、男が背後まで迫ります。
そしてガシリッと肩が掴まれたと思うと、その場に引き倒されました。
「うわっ。くっ……!」
「てめぇ、逃げるんじゃねぇ!!」
地面に体を押さえつけられます。
もがいて抵抗しますが、次から次に男がやってきて両腕を地面に押さえつけられて馬乗りされました。
「どきなさいっ。どいて……!」
「クソッ、ガキどもを逃がしやがってっ。どう責任とってくれんだ!!」
「黙りなさい! こんなことしてどうなるか分かってるんですか!?」
私は押さえつけられながらも自分を見下ろす男たちを睨みつけました。
状況は絶望的です。
でも抵抗をやめません。少しでも男たちを長く引き付けるのです。子どもたちが安全な場所に逃げられるまで。
「暴れんじゃねぇ、この野郎!」
馬乗りになっている男が拳を振り上げました。
殴られる衝撃に備えましたが、「待て」と別の男が制止します。
「殴るな。高く売れなくなるだろ」
「でもガキどもを逃がされたんだっ。黙ってられるか!」
「だからだ。そいつは陛下の寵愛を受けてたんだぞ。それなら調教して売り払ったほうが高くつく」
この男の言葉に今まで渦巻いていた暴力的な雰囲気ががらりと一変しました。
私を取り押さえる男たちの目つきが変わり、背筋が冷たくなります。
男たちは私を値踏みするように見るとニタリと笑う。
「そりゃいいな。逃げたガキの分だけ高く売れてもらわねぇと」
「そういうことだ。王子を性奴隷に調教できるなんて滅多にない機会だ。ありがたく楽しもうじゃねぇか」
「い、嫌ですっ。やめてください、やめて……っ」
声が震えました。
絶望的な状況に体が硬直してしまう。
逃げたいのに、抵抗したいのに、恐怖と絶望で体が動かない。
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