第38話 陛下の望みと私の願い


 高い天井にはキラキラ輝くシャンデリアの光が灯り、石柱には花の彫刻が施された荘厳な大広間。楽団が演奏する楽曲が流れるなか、たくさんの人々の歓談する声や笑い声が響いていました。

 行き交う紳士淑女の衣装もひとりひとりが華やかで、まるで物語から切り取ったような煌びやかな夜会でした。

 そのなかでひと際目を引く存在、それが陛下です。

 夜会に陛下が入場してからというもの、陛下の周りには常に人が集まっていました。

 特に夜会の主催者であるベアトリスは陛下の側にぴたりとついて離れません。それは他の後宮の女性たちから反感を買うほどでしたが、ベアトリスは主催者の特権だとばかりに側に寄り添っていたのです。

 そして私はというと、陛下の視界に入らないように気を付けていました。

 別々の入口から入ってからわざと陛下に近づかなかったのです。

 でも。


「マリス、そこにいたのか!」


 陛下に見つかってしまいました。

 しかも陛下が私のところにまっすぐ歩いてきます。

 陛下の周りにはベアトリスはもちろん美しく着飾った王女や貴族の令嬢がいましたが、それらに構わず陛下がこちらに来るのです。

 思わず逃げ出したくなりました。

 だって、陛下に置いていかれたベアトリスが睨むように私を見ています。

 しかし逃げることはできず、お辞儀して陛下を迎えました。


「陛下、よい夜会ですね。こんなに華やかな夜会は初めてです」

「そうか。だが俺にはお前の前では霞んで見える」


 陛下はそう言うと私の背にそっと手をそえて歩きだします。

 隣にいろということでした。

 たったそれだけのことなのに周囲がざわつきだします。


「あれが噂のマリス様ね」

「本当に陛下の御寵愛を一身に受けているのね。羨ましいわ~」

「でも後宮に入っているわけじゃないんでしょ?」

「それじゃあ後宮の人たちってどうなるのかしら」

「あら、なんだか可哀想」


 こそこそと囁き合う声が聞こえました。

 その内容は……やめてもらいたいです。

 囁きというのは小声なのにしっかり聞こえているもので、陛下の周りにいた後宮の女性たちの顔つきが変わっていくのが分かります。

 しかも大広間に流れていた楽曲が舞踏曲に変わりました。

 大広間の中央ではいくつものペアが躍りだします。

 くるくる回ると花が開くように衣装が舞い広がって、大広間にいくつもの大輪の花が咲いたような光景が広がりだしました。

 そして私の前に陛下の手が差しだされます。


「マリス、踊るか?」

「陛下、でも……」


 ……無理です。

 ここで陛下と踊ればリリーは売られてしまいます。ニックだって、他の子どもたちだってもっと酷い目に遭うかもしれません。


「陛下、お気持ちは嬉しいのですが……」

「なぜだ。踊れないわけじゃないだろう」

「そうですが、今夜は後宮の夜会です。後宮の方々と踊ってください」

「俺はお前と踊りたい」

「いけません。今夜は後宮の方とお願いします」

「今この場でもっとも俺の隣に相応しいのはお前だ、マリス」

「陛下……」


 嬉しいです。

 私を望んでくださって本当にありがとうございます。だって、まるで本当の恋人みたいな……。

 今、陛下が望んでくださっている。それだけで充分です。

 私は目を伏せると、ゆっくり顔をあげました。


「陛下、では私のためを思ってくださるなら、どうか……」


 ずるい言い方をしました。

 私を望んでいる陛下を困らせる言い方です。


「どうか、陛下」

「……お前はそうしてほしいのか?」

「はい」


 頷いた私に陛下の顔が険しくなります。

 嫌われてしまったでしょうか。

 怒らせてしまったでしょうか。

 呆れさせてしまったでしょうか。

 でも今はこうするしかないのです。


「わかった」


 陛下はひと言だけそう言うと私に背を向けました。

 すると夜会の主催者であるベアトリスが陛下に声をかけます。


「陛下、今夜の夜会はいかがでしょうか」

「悪くない」

「陛下に喜んでいただけて光栄ですわ」


 ベアトリスが笑顔でお辞儀します。

 そしてさり気なく陛下の隣に立って、夜会のために自分がいかに力を尽くしたかを話します。


「陛下に喜んでいただきたくて、料理から催しまですべてわたくし主導で進めさせていただきましたわ。今、大広間で演奏をしている楽団もわたくしの国から呼び寄せましたの。陛下、よかったら一曲」

「……ああ、いいだろう」

「ありがとうございます」


 陛下はそう言うとベアトリスと大広間の中央に行ってしまいました。

 少しして大広間の中央で感歎のざわめきが起きます。

 陛下とベアトリスが躍りだしたのです。

 優雅な音楽にあわせて中央で踊る二人。陛下と同盟国の王女というペアだけあって、たくさんの人がうっとりと眺めています。

 ……これでよかったのです。

 こうしなければいけなかったのです。

 私はその光景をただ見つめていましたが、すぐに首を振って気持ちを切り替えます。


「……行きましょう。今しかありません」


 大広間にいる人たちの注目が中央の二人に向けられているなら、それは好都合なことでした。

 リリーを攫った男たちの背後には間違いなくレナードがいます。

 そしてニックは今そのレナードに囚われていました。それならば攫われたリリーも帝国の首都のどこかに囚われている可能性があります。

 そこまで分かっているなら今しなければならないことは一つ、ニックとリリーを救出すること。

 今宵、ここはたくさんの人が行き交う華やかな夜会です。私の姿が見えなくなったとしても気にする人は少ないでしょう。

 なにより夜会が終わればレナードはヘデルマリアに帰ってしまいます。今夜が救出する最後のチャンスでした。


 私はこっそり夜会から抜け出しました。

 誰にも見つからないように城の長い廊下を進みます。

 途中で武器庫に寄って弓と短剣を装備しました。相手は人攫いのならず者なので護身用です。

 こうして私は城から出ると、レナードが滞在している迎賓館に向かいました。そこにニックが囚われているはずなのですから。





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