第36話 溺愛と嫉妬と陰謀と➁
「ニック、ニック! 大丈夫ですか!? っ、これは……!」
フードの奥に見えたニックの顔には殴られた青痣や切り傷がいくつも見えました。
かろうじて手当てはされているけれど、こんなの尋常ではありません。
「レナード、あなたはなにをしたのです! どうしてニックがこんな怪我をしてるんですか!」
「そのガキが無駄な抵抗をしたからですよ。おとなしくしてれば良かったものを」
レナードがニックを見て吐き捨てました。
カタカタ震えだすニックを覗きこむ。ああ可哀そうに、痛々しい傷跡に胸が締め付けられました。
「ニック、なにがあったのか教えてください。他のみんなはどうしてるんですか?」
私が聞くとニックはみるみる瞳に涙を滲ませていく。でも、ぐいっと袖で涙を拭うと訴えるように話しだします。
「マリスさま、リリーを、リリーを助けてくださいっ。……でないと、リリーが売られるんですっ……!」
「リリーが売られる? そ、それはどういうことですっ」
「みんなでご飯を食べてたら、いっぱい怖そうな大人がきて、リリーを攫っていったんです。オレはリリーを助けようとしたんだけど、でも助けられなくてっ。うぅ~~っ」
「ニック……。ありがとうございます。あなたはリリーを守ろうとしたんですね」
涙ぐんで頷いたニックをしっかり抱きしめました。
私は堪らなくなって、ニックの頭を撫でてあげます。
「ありがとうございます。あなたの勇気に感謝します」
「マリスさま、うぅ……」
私は抱きしめる腕に力をこめました。
ごめんなさい。怖い思いをさせてしまいました。何度も頭をなでなでして慰めます。
そしてレナードを睨みつけました。
「あなたが裏で糸を引いてリリーを攫わせたんですか?」
「人聞きが悪いな。そのガキが殺されそうになっていたところをわざわざ保護してあげたのに、感謝してほしいくらいだ」
レナードが鼻で笑って言いました。
分かりやすい嘘です。間違いなく孤児院を襲った男たちはレナードに命じられたのでしょう。しかし証拠がないので問い詰められません。
そしてなにより、レナードがニックをここへ連れてきた理由。
「用件を話しなさい。それがリリーを解放する条件なんですよね」
「解放されるかどうかは分かりませんが、そうですね、兄上次第で奴らの気持ちも変わるかもしれません」
レナードはそう言うとゆっくり口を開く。
「――――陛下と別れてください」
「え?」
頭が真っ白になりました。
息を飲んだ私にレナードは続けます。
「どうせ兄上は陛下の気まぐれで寵愛を受けているだけです。いずれ相手にもされなくなります。でもその僅かな間も許せない御方がいるんですよ」
「……ベアトリスの差し金ですか?」
「さあ、どうでしょうか。ただベアトリス様の国は帝国と同盟国なだけあって、我が国と親しくしていただくことは国の利に繋がります。兄上も分かりますよね、ヘデルマリアの立場が」
「交渉を持ちかけられたのですね……」
「さあ? しかし、ベアトリス様の国がヘデルマリアと親交を結びたいとおっしゃってくださいました。帝国の従属国の我が国にとっては破格の申し出なのは兄上だって分かるでしょう」
「…………」
現在、私の祖国ヘデルマリア王国は微妙な立ち位置にあります。
従属国でありながら人質の私が寵愛を受けたことで周辺諸国が一目置くようになりました。しかしそんな色恋から発生した利ほど不確かなものはありません。陛下の気持ち一つに国の立場が左右されてしまうのです。
しかし帝国の同盟国と親交を結んで後ろ盾になってもらえば、その立ち位置は盤石になります。しかもベアトリスの国は同盟国のなかでも序列順位が高いので優遇されることには意味がありました。場合によっては従属国という汚名を拭うことも……。
私は静かに目を閉じます。
寵愛は陛下の気まぐれだというレナードの言葉は否定しきれません。
でも今、私は陛下と関係を持つことができて幸せでした。
決して叶うことがないと思っていた恋が叶ったのです。たとえそれが陛下の一時の気まぐれだったとしても、それを自分から手放すなど考えたこともありませんでした。
でも今、腕の中でニックが泣いています。いつも反発していたニックが孤児院とリリーを守るために戦ってくれたのです。
私に選択肢はありませんでした。
「分かりました。陛下とは終わりにします。そのかわりリリーを必ず解放してください。そして孤児院には二度と手を出さないでください」
私が答えるとレナードがニヤリと笑いました。
「いいでしょう、約束します。あんな孤児院どうでもいいですから。それにしても上出来ですよ、兄上。兄上が陛下の寵愛を受けたことで我が国の立場は変わりました。人質として充分な働きです。しかし陛下の寵愛は兄上には過ぎたものです。それに相応しい御方にお返ししたほうが身のためですから」
レナードはそう言うと、レナードの侍従が私の腕からニックを奪います。
「マ、マリスさま……!」
「ニックを返しなさい!」
「今は出来ません。兄上の働き次第ですよ」
「そんな……」
「ではそろそろ失礼します。兄上、期待していますよ」
そう言ってレナードはニックを連れて応接間を出て行きました。
残された私は呆然としてしまう。
でも目を閉じて、ゆっくりと開く。
「ニック、リリー……。大丈夫です。必ず助けてあげます」
私は誓うように呟きました。
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