第34話 愛される権利
後宮の夜会まであと一週間に迫りました。
夜会のために特にすることはありません。むしろどうやって断ろうか考えてしまう。陛下を説得して欠席を伝えることはできないでしょうか。
私は今日も午前中は貧民区へ行ってきました。エヴァンと昼食をとるために城に帰ってきたわけですが、本殿に向かう途中の足が止まってしまう。
「あら、マリス様ではありませんの」
前から歩いてきたのはベアトリスだった。
ベアトリスは取り巻きの令嬢や侍女をたくさん引き連れて歩いてきます。
私は廊下の端によって道を作ります。
今すぐ回れ右して立ち去りたいけれど相手は同盟国の王女なのです。しかも正式に陛下に愛されることを許されている後宮の女性でした。
現在の私は陛下の御手付きとなっていますが、それでも従属国の人質であることに変わりありません。立場だけを見ればベアトリスのほうが格上です。
「こんにちは、ベアトリス様。ご機嫌麗しく」
「こんにちは、マリス様。お会いできて光栄ですわ」
ベアトリスは白々しいほど優しい笑顔を浮かべました。
相変わらず嫌味な笑顔です。
「マリス様に夜会に参加していただけることになって嬉しいわ。わたくし、とっても楽しみなの」
「ま、待ってください。私は……」
参加したくありません。でも陛下の顔がちらついてはっきり断ることができない。
陛下は私が参加することが嬉しそうだったのです。
「夜会が今から待ち遠しいですわ。陛下もわたくしが主催する夜会を楽しみにしてくださっているのよ。この前わたくしの茶会にきてくださった時の陛下もとても喜んでくださって。ねえ?」
「…………」
「後宮では陛下も政務の憂さを忘れることができるようなの。……ああ、マリス様は後宮のことなど知りませんでしたわね」
……それは、陛下が後宮に通っているということでした。
……分かっていたことです。
すべて分かっていたことで、頭では納得していることです。
でも語られる内容に胸が締め付けられる。この女性を抱いたのかと思うと、どうしても嫉妬してしまう。
後宮の外にいる私と後宮の女性。この世界に『愛される権利』というものがあるなら、後宮の女性にこそそれがあるのですから。
黙り込んだ私にベアトリスはうっそりと笑いました。
「それでは失礼いたしますわ。お世話役ご苦労さま」
ベアトリスはそう言うと取り巻きを引き連れて立ち去っていきました。
姿が見えなくなって、なんとなくため息をついてしまう。
しつこいほど夜会に誘われて面倒な気持ちになります。
後宮の女性とは関わりたくありません。とくにベアトリスが主催する夜会には出席したくありません。そもそも場違いなのですから……。
憂鬱な気持ちを引きずりながらエヴァンがいる広間に向かいました。
そこでいつものように昼食をいただく予定でしたが、広間の扉を開けて目を丸めてしまう。
「こ、これはなにごとですかっ……!」
そこには広間を埋め尽くすほどの衣装がずらりと並んでいたのです。
どの衣装も上質な生地で仕立てられた華やかなものばかり、困惑を隠し切れません。
「ああ、戻ってきたのか。おかえり」
「陛下!?」
衣装の影から陛下が姿を見せました。
私は慌てて駆け寄ります。
「これはいったいどうしたんですか?」
「すべてお前のものだ。この中から好きなのを選んで夜会で着るといい」
「え……」
「夜会まであと一週間だったな。他にも靴や装飾品も用意しよう。お前はなにも心配しなくていい」
「心配って……」
どうしましょう。陛下は私が夜会に行くものと思っています。
断る口実を探しているのに、断れる状況からどんどん遠ざかってしまう。
しかも。
「マリス、おかえり!」
「エヴァン……っ」
次に衣装の影からぴょこんっと顔を出したのはエヴァンでした。
どうやら午前の講義が終わっていたようです。
エヴァンが嬉しそうに駆け寄ってきて、私の足にぎゅっと抱きつきました。
「マリス、後宮の夜会にいくんだな。ぼくは夜会に行けないけど、これをつけていってほしい! これをぼくだと思って!」
「ええっ……」
なんですかそれ……。
私は呆気にとられるけれど、でもエヴァンは真剣な顔をしています。
そして差しだしてきたのは女性の絵が描かれた小さなブローチでした。
「このブローチは?」
「ぼくの宝物だ! マリスにあげることにした!」
「いいんですか? そんな大切なもの……」
「いいぞ!」
エヴァンが嬉しそうに言います。
私は両手でブローチを受け取りました。
「ありがとうございます。大切にします」
「ん!」
エヴァンは照れくさそうに笑うと、恥ずかしくなったのかもじもじしてしまう。
「ぼく、ほかにもマリスに似合いそうなもの探してくる!」
エヴァンはそう言うと照れくささを誤魔化すようにまた衣装の海に走っていってしまいました。
私は受け取ったブローチを見つめ、次に陛下を見ます。
「……宝物のようです。私が受け取っても本当にいいのでしょうか」
「構わん。受け取ってやれ」
陛下はそう言うと私の手にあるブローチを見ます。
少し驚いた様子で苦笑しました。
「それにしても驚いた。エヴァンがお前のことを気に入っていることは知っていたが、まさかこれほどだったとはな」
「どういう意味ですか?」
「それはエヴァンがまだ物心ついたばかりの頃、母上だと思ってずっと持っていたものだ」
「えっ、そんな大切なものだったんですか!?」
私はブローチに描かれた女性を見つめました。
とても小さいけれど繊細に描かれた美しい女性です。これはエヴァンの母親の肖像画ということでしょうか。
でも思い込む前に陛下が訂正します。
「その絵は母親じゃないぞ。ただの架空の肖像画だ」
「そうなんですか、私てっきり……」
「あんな物言いされたら無理もない。気にするな。だが、エヴァンはそう思っていない」
「どういう意味ですか?」
私が聞くと陛下が懐かしげに目を細めます。
「俺とエヴァンの母親が逝去したのはエヴァンが生まれてすぐだった。物心つく前に母親を亡くしたエヴァンはそれを母だと思い込んで自分を慰めていたんだ。だいぶ寂しい思いをさせていた。兄としてもっと早く気づかなければならなかったが、その時の俺は即位したばかりでなにも気遣ってやれなかった」
聞いたことがあります。
ヴェルハルト陛下が若くして皇帝に即位したのは、先代様が早くに病気で逝去されたからだとか。
陛下は若くして皇帝に即位し、生まれたばかりのエヴァンを気遣う余裕はなかったのでしょう。
「私などが差し出がましいことと思いますが、お二人は大変な思いをされたのですね。早くに先代様を亡くされて、さぞ寂しかったことでしょう」
「いや、そうでもない。俺にとっても帝国にとっても有害な父と母だった」
「えっ……」
予想外の返答に言葉に詰まりました。
しんみりする話をしていたと思うのですが、どうやらそうでもなかったようです。
陛下はむしろ清々しいと言わんばかり。
「俺が言うのもなんだが、先代は暗君だった。皇帝と后という立場にありながら帝国民に心を配ることはなく、私利私欲のために税を課して苦しめていた。はっきりいってかっこわるい国家運営をする父と母だった」
あれはよくない、と陛下が淡々と話します。
「俺が即位して一番最初にしたことは傾いた内政を立て直すことだったくらいだ。だが、生まれたばかりのエヴァンにとってはあんな父と母でも親だったということだ」
「そ、それは大変なご苦労を……」
返事に困りました。
内容はあまりにも陛下の心のうちのものだったのです。
「お前には感謝している。エヴァンの
「はい。私に出来ることでしたら、なんでも……」
陛下、私はあなたのなんなのでしょうか。
そんな大切な話をしてくれて、こうしてたくさんの贈り物で私を惑わせます。
嬉しいと思うのに、同じくらい困惑しています。
毎夜寝所を訪れてくれるだけで満足しなければいけないのに、後宮にも通っていることに傷ついてしまう。
……陛下、あなたが分からないのですよ。
こうして私は困惑を抱えながらも、波乱の夜会の日を迎えるのでした。
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