第22話 殿下と私➀



 翌日。

 私とエヴァン殿下は朝食を食べると城を出ました。

 エヴァン殿下は起床した時から朝食の時もずっとむっつり顔でしたが、これは緊張している顔ですね。

 朝食の時なんかは黙々と食事をしながらも時計をちらちら見たりして、ソワソワする気持ちが隠しきれていませんでしたから。


「この大通りを抜けた先に運河があります。その運河に添って市場いちばがあるんですよ」


 私は殿下を案内しながら大通りを歩きます。

 殿下はたくさんの人々が行き交う光景に圧倒されているようでした。

 知らない街なはずないのに、なんだか初めて訪れた街のように緊張しています。


「もしかして、こうして歩くのは初めてですか?」

「う、うん。いつも馬車だから……」

「そうでしたか。たしかにそれだったらあっという間に通り過ぎますからね。ゆっくり散歩するのは初めてなんですね」

「そ、そんなことない! 式典パレードではゆっくり手をふってる!」


 言い返されてしまいました。

 ふふふ、意地っ張りですね。でもね、残念ながらゆっくり進むパレードの行列はお散歩とはいわないのですよ。


「エヴァン様、手をつなぎましょうか」


 ここでは殿下と敬称で呼べないのでお名前を呼びます。

 でも殿下はびっくりしたように目を丸め、「……エヴァン」と自分の名を小さく呟きます。

 名前で呼ばれ慣れていないので不思議な感覚なのでしょう。


「ここで殿下とお呼びするわけにはいきませんので、ご辛抱しんぼうください」

「わ、わかった……」


 殿下が神妙な顔で頷きました。

 なんだか可愛らしい反応ですね。私は手を差しだします。


「どうぞ、手を」

「……ぼくを子ども扱いする気か?」

「とんでもない。こんなに人が多いと私が迷子になってしまいます。帝国の都はとても大きくて人が多いので、私はまだ慣れないのですよ」

「……しかたないな。マリスの国は小さいから。……はい」


 殿下が小さな手を差しだしてくれました。

 私は優しくほほ笑んで、どうぞよろしくお願いしますと手を握ります。

 こうして私と殿下は歩きだしましたが、……いますね。あの曲がり角、あそこの建物の屋上、通り過ぎる通行人、他にもいろいろ。護衛兵が殿下につかず離れずの距離で配置されています。

 護衛兵は民衆に溶け込むために変装しているので殿下は気づいていませんが、やはりなんの対策もなしに殿下が自由に出歩けるわけがないのです。むしろヘデルマリアでずっと放任されていた私がおかしいのですよね……。


「マリス、あれが市場だな! はやくいこう!」


 殿下が見えてきた市場に興奮しています。

 私の手をぐいぐい引っ張る姿は年相応のものでした。


「エヴァン様、そんなに急がなくても市場は逃げません。転ばないように気を付けてください」

「だから、ぼくを子どもあつかいするな!」

「ふふふ、それは失礼しました」


 八歳はまだ子どもですよ。

 私は小さく笑ってしまう。

 殿下はムスッとした顔になりましたが、それでも市場への好奇心が勝って「はやく行くぞ!」と私の手を引っぱってくれます。

 私は殿下と市場の散策をすると、次はいよいよ貧民区に向かいました。



 貧民区に近づくにつれて殿下の顔が緊張に強張っていきます。

 それというのも行き交う人や建物の雰囲気が明らかに変わりました。殿下が知っている世界は王族や貴族、一般人でも大富豪や豪商といった富める方々の世界です。このような貧困にあえぐ人々もいると知識では知っていても実際に目にするのは初めてなのでしょう。


「マリス……」


 殿下が両手で私の手をぎゅっとにぎりしめました。

 今まで強気だった様子がなりをひそめ、怯えたようにきょろきょろします。


「ほ、ほんとにいくのか? いつもこんな所にきてるのか?」

「そうですよ。殿下も侍女の噂で聞いていたでしょう」

「そ、そうだけど、ほんとに行くとは思わなくて……」

「大丈夫ですよ。私はほぼ毎日来てるので」

「こんなところで何をしてるんだ」

「食料を配ったり、あとは畑仕事を手伝ったり」

「え、畑仕事!?」


 殿下はびっくり顔で私を見ました。

 信じられない……と首を横に振ります。


「どうしてだ、どうしてそんなことをしてるんだっ。マリスは人質だけど、ヘデルマリアの第一王子なのに……」

「その時に必要だと思ったからしているだけですよ。畑仕事をしたいわけでも、食料を配ることをしたいわけでもありません。必要だと思ったからしているのです」

「ふーん……」


 分かったような分かっていないような、とりあえず頷いたというような反応でした。

 今は分からなくてもいいのです。もしかしたらずっと分からないかもしれません。私だって前世の記憶が戻らなければ関わることもありませんでした。

 殿下の見ている世界とこの貧民区の世界はあまりに違っていて、決して交わることがありません。だから今は胸にとどめておくだけで充分です。


「マリスさまだ! マリスさまがきた!」

「マリスさま~!」


 貧民区の畑に行くと子どもたちが農作業をしていました。私を見つけると嬉しそうに駆け寄ってきてくれます。

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