第8話 もう一度会えたら…【マリス編】
……足が痛いです。
ずっと立ったままなので足の裏もふくらはぎもジンジンと痛くなってきました。
皇帝に挨拶するために城の謁見の間まで通されたものの、もう一時間以上も待たされたままなのです。
もちろん姿勢を崩すことは許されません。陛下はいつ来るのかと訊ねることも許されません。私は直立不動の姿勢で静かに待っていなければいけないのです。
私は敗戦国の人質です。陛下は冷徹な人だと聞いているので、これくらい当然の扱いなのかもしれませんね。
でもどれだけ待っても謁見の間の扉が開く様子はありません。
あと何時間待てばいいのでしょうか……。
「皇帝陛下、
ふいに背後で扉が開かれ、士官に皇帝陛下が謁見の間に入ったことを知らされました。
私はゆっくり膝を折り、お辞儀して顔を伏せました。
カツカツと背後から近づいてくる足元。もちろん顔を上げることは許されません。
こわい……。
ずっと待っていたのに、こうしていざ現われると震えるほどの恐怖を覚えてしまう。
でも震えそうになる指先を握りしめ、顔を伏せたまま陛下の許しを待ちます。
陛下が私の横を大股で通り過ぎました。漂わせている苛立ちを感じて心が縮こまってしまいそう。
陛下が椅子に腰を下ろした気配がし、そして。
「許す。顔をあげろ」
「はい」
静かに返事をし、ゆっくりと顔を上げます。
でもその瞬間、目に映った男の姿に目を見開きました。
「あなたはっ……」
どうして、どうしてそこにあなたがいるのですか?
どうして、あなたが……。
言葉が出てこない。だってそこにいたのは、あの戦火で出会った人だったのです。
その人が今、皇帝ヴェルハルト・カールシュテインが座っているはずの椅子に座っています。その隣には帝国の宰相グレゴワールが立っていました。
呆然としましたが、私はハッとして口を閉ざしました。許可もなく余計なことを話すことは許されません。今は挨拶を述べなければならない時です。
「……ヘデルマリア王国第一王子マリス・フェアフィールドと申します。この度は皇帝陛下に拝謁できる幸運を授かり恐悦至極に存じます。どうぞよろしくお見知りおきください」
ひと息に挨拶の言葉を述べて頭を下げました。
私は返答を待ちましたが陛下は無言のままです。
不思議に思っておそるおそる顔をあげると、目が合って
「っ……」
鋭い眼光が私を見据えていたのです。
射貫かれてしまいそうなそれにそっと目を伏せました。
陛下も私があの時に助けた人間だと気づいていないはずありません。
それなのにあの時のことなどなかったように冷ややかな面差しをしていて……、…………夢から覚めたようでした。
これが現実なのだと突きつけられたのです。
あの時の出会いは私にとって特別なものになっていたけれど、あの人にとっては、いいえ陛下にとっては
しかも属国になったとはいえ私は敵国の王子です。陛下にとって敵以外の何者でもありません。
私が愚かでした。敵国の陛下と知らずに恋なんかして、馬鹿みたいに浮かれていたのです。
重い沈黙が落ちます。
威圧すら感じる沈黙に息苦しさを覚えていたけれど、ふと陛下が口を開きます。
「……長旅ご苦労だった」
「お気遣い痛み入ります……」
気遣われて居たたまれなくなりました。
相手は冷徹な皇帝陛下です。どんな小さなことでも粗相があってはいけません。
しかしまた沈黙が落ちてしまう。
私が王女でなかったことを不快にさせているのかもしれません。だいたい王子が人質なんて通常ではあり得ませんから。
早く退室を命じてほしい。
挨拶が終われば退室させられて、人質の身分ではもう皇帝陛下に直接会うことはありませんから。
でも。
「……マリス。マリス、お前に命じたいことがある」
「えっ、命じたいこと……?」
突然のことにハッと顔を上げました。
陛下が私に命じたいこと? こんな展開は予想もしていませんでした。
「命じたいこととは、なんでしょうか」
「俺には八歳の弟がいる。名はエヴァン、世話係をしてもらいたい」
「王弟殿下の世話係……? どうして私が……」
予想外のことに困惑が隠し切れません。
なにもかも突然すぎて頭がついていきません。
「拒む理由でもあるのか?」
「と、とんでもありませんっ。私に拒む理由なんて……っ」
そんなの許されているはずありません。
人質の私に断るなんて選択肢はないのです。
「承知いたしました。喜んでお受けいたします」
「決まりだな。エヴァンの部屋の近くにお前の部屋を用意させる。好きに使うといい」
「はい……」
そう返事をすると陛下が口元だけで笑いました。
底知れぬ笑みに
命令を承知したことで怒りを回避できたと信じたいですが、陛下がなにを考えているか分かりません。
「陛下、会議の時間です。会議場に大臣が揃いました」
士官が陛下を呼びに来ました。
陛下が不快そうに舌打ちします。
青褪める士官を一瞥すらせず立ち上がりました。
「行ってくる。あとは好きにしろ」
陛下はそう言うと宰相グレゴワールとともに謁見の間を出て行きました。
陛下の気配がなくなって、安堵のあまり全身から力が抜けていく。
膝が崩れ落ちそうになったけれどぐっと我慢する。ここはまだ謁見の間です。
でも伏せたままの顔をあげることはできませんでした。
ずっと、ずっと会いたいと思っていたんです。
もう一度会えたらと夢を見ていました。
でも、その人はダラム帝国の皇帝陛下。私の王国を侵略した敵国の人間でした。
その事実は私に現実を突きつけます。
もう一度会えたらその時はと夢を見ていたけれど、再会は私に恋の終わりを告げるものでした……。
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