第7話 もう一度会えたら…。謁見の間にて


 ガラガラガラ。ガラガラガラ。

 街道に馬車の車輪と馬のひづめの音が響く。

 小さな隊列が街道を進んでいきます。隊列の中心にある馬車にはヘデルマリア王国の国旗がひるがえっていました。

 街道を行き交う人々は馬車を見ると気の毒そうな顔になって、死にゆく人を見送るように胸に手を当てて頭を垂れます。


「……まるで葬列のようですね」


 私はぽつりと呟きました。

 誰もがこの馬車に乗っているのが私だと分かっているのです。そして帝国の人質になることも。

 車窓の景色に目を伏せました。

 不安がないといえば嘘になります。

 ダラム帝国は強大な軍事国家で、侵攻によって周辺諸国を支配していました。属国になった国々は帝国の保護を受けますが、もちろん帝国に逆らうことはできません。支配下の平穏を享受する国となるのです。

 そして属国となった国々は人質をだすように要請されます。多くの美しい王女が人質として召され、王女たちは少しでも皇帝の気を引こうと策略を巡らすそうです。

 自分もそのうちの一人に加わるのかと思うと気が重いけれど、これは仕方ないことなのでしょう。属国の宿命であり、人質になった者たちの生存戦略なのですから。

 私は車窓に映った自分の顔を見つめてため息をつく。


「本当の葬列になるかもしれませんね……」


 私の顔は亡くなった母親に似ていると言われていますが、それでもどこから見ても女性というわけではありません。

 細身ですが女性より身長も高いですし、女性のような魅力的な体はしていませんから。

 それでも要請のまま人質に選ばれましたが、はたして皇帝陛下は受け入れてくれるでしょうか。

 対面した瞬間に殺されてしまうかもしれませんね。

 若くして皇帝に即位したヴェルハルト陛下は冷徹で残虐非道の男だと噂されています。会ったことはありませんが噂は限りなく信憑性の高いものでした。周辺国への侵攻は容赦ない嵐のようで、私の国はそれを身をもって知っていますから。

 でもね、でも帝国へ行くことに一つだけ小さな期待がありました。


「会えるでしょうか、あの方に……」


 戦火で出会ったあの人。

 襲われていたところを助けてくれたのに、私は名前も聞かないまま見送ってしまいました。

 思い出すと胸が甘く締め付けられます。

 目を閉じると彼の姿が浮かんで、落ち着かない気持ちになります。

 そう、私は恋に落ちたのです。

 今まで恋なんて物語の中だけのものだと思っていました。前世でも一度もしたことはありません。

 恋とは不思議なものですね。彼を思うとなんでも出来るような気持ちになるのです。空も飛べるような浮かれた気持ちになって、どんな苦しい時も希望を持てるのですね。

 名も知らぬ彼が帝国の人間だということは分かっています。

 だからもし、もし帝国でもう一度会えたら、その時は……。




 私がヘデルマリア王国を旅立って五日後。

 ようやくダラム帝国の首都へ到着しました。

 馬車から降りることは出来ませんでしたが、車窓から見える首都の景色はとても華やかで驚きました。見たこともないような立派な橋や建造物。整備された水路には何艘もの船が往来して、大通りを行き交う女性は誰もが美しく着飾っていました。


「すごいですね。帝国がこれほどのものだったなんて……」


 認めたくありませんが、ヘデルマリア王国が帝国に敗戦したのは必然だったのかもしれません。軍事力や経済力などすべてが比べものにならないのです。

 私は自分が身に着けている衣装を見下ろしました。

 今日は皇帝に対面して挨拶しなければならないので、祖国から上等な衣装を用意されています。今まで身に着けたことがないような上等なものですが気が重い……。

 用意された衣装は婚礼を連想させるような純白で、私の性別を隠そうとするような仕立てになっているのですから。


「マリス様、皇帝陛下の城です。見えてきましたよ」


 馬車の御者が声をかけてきました。

 見ると首都の中央に荘厳な城が見えてきます。


「あれが……」


 緊張に呼吸が乱れてしまいそう。

 華やかな首都にあって圧倒的な存在感を持つ城。それは皇帝の強大な権威を表わしていて、私は大きく深呼吸したのでした。




◆◆◆◆◆◆


 ダラム帝国皇帝ヴェルハルトは今日がとても面倒くさかった。

 それというのも戦後処理のなかでもっとも面倒くさいことが始まる日だからである。

 ノックとともにダラム帝国宰相グレゴワールが入ってきた。


「陛下、お時間です。謁見の間にお越しください」

「……もうそんな時間か?」


 とぼけるヴェルハルトにグレゴワールが眉間に皺を刻む。

 宰相グレゴワールはヴェルハルトが子どもの頃から帝国に仕えている古株である。

 白髪をうしろに撫でつけたグレゴワールは厳格な外見をしているが、中身もそれを裏切っていない。この帝国で皇帝陛下であるヴェルハルトに苦言を呈することができる数少ない臣下の一人だ。

 父王である先代を早くに亡くし幼くして皇帝に即位したヴェルハルトにとって心を許せるものは少ないのである。

 気安い存在のグレゴワールの前でヴェルハルトが気取ることはない。


「気づかなかった。悪く思うなよ、時間は有限だ。無駄なことに使いたくなかった」

「属国の人質から挨拶を受けるのは政務の一つだよ。もう一時間も待たせている。しかもずっと立ったままだ」


 グレゴワールが呆れた顔で言った。

 一時間前から士官が何度も呼びに来ていたがヴェルハルトの気分が乗らなかったのだ。

 皇帝は多忙なのである。ヴェルハルトにとって人質の謁見は優先順位が低いのだ。


「一時間でも二時間でも立たせておけ。なんなら一日中待たせたところで問題ないだろ。しかも王女ではなく王子だと聞いている。人質の男は奴隷と一緒だ、待たせておくくらいで丁度いい」

「たしかに問題はないが、あまりいい印象を与えないよ」

「印象? 今さらだ。属国の人質からどう思われようと関係ない」


 そう言ってヴェルハルトはニヤリと笑った。

 不敵に笑うそれは強者のそれである。帝国の皇帝とはまさに世界の主権を握る者、思い通りにならないことなどなかった。

 だが今、一つだけ悩みがあった。

 それは恋の悩みである。


「ところでグレゴワール、俺がヘデルマリアで出会ったあの美しい人は見つかったか?」

「……またその話しか」


 グレゴワールが心底面倒くさそうな顔をした。

 そしてヘデルマリア侵攻からヴェルハルトが帰還した時のことを思い出して盛大に眉間に皺を刻む。

 戦場で恋に落ちた皇帝はそれはもう面倒くさいことになっていたのだ。多忙なはずの皇帝の最優先事項が『ヘデルマリアで出会った謎の美人を探せ』というものになってしまっているほどに。


「そもそも名前も知らないのにどうやって探すんだね。無茶ばかり言う」

「名前は知らないが関係する場所なら分かっている。王都近くの森にあった孤児院について調べれば必ず辿りつくはずだ。どんな手を使っても必ず探しだせ。これは勅令ちょくれいだ」

「なんて嫌な勅令だ……」

「なにを言う。今すぐ俺みずからヘデルマリアへ行って片っ端から探したいところを、この戦後処理が終わるまで我慢しているんだ。むしろ感謝したらどうだ」

「……やはり行く予定は変わらないのか」

「当たり前だ」


 きっぱり答えたヴェルハルトにグレゴワールは頭が痛い。

 世界の覇者たる皇帝を唯一悩ませるもの、それは恋。

 名前も知らない男に皇帝陛下の心はすっかり奪われてしまった。


「こんな気持ちは初めてだ。もう一度会いたい。もう一度会えたら、その時は」

「知らないよ。そんなことより謁見の間に行きたまえ。でないと戦後処理はいつまでたっても終わらないよ」

「…………それなら仕方ない。面倒だが行こう」


 ヴェルハルトは心底面倒くさそうに言うと、一時間遅れで謁見の間にむかったのだった。


◆◆◆◆◆◆




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