第4話 黒いバン
休憩時間は、工場の外で同僚の相川と山本と三人でタバコを吸いながら、相川家の愚痴を聞かされるのが日課になっている。
聞かせてほしいと頼んだ覚えはないが、相川なりにその場の空気を和ませようと、気を利かせてくれてるのかもしれない。
あるいは、独身である自分や山本にむけて家庭的マウントをとりたいといった所だろうか。
「昨日ついにやっちまったよ……」
「何をスか?」
山本は人懐こい笑顔で相川に聞いた。学年では(学校に通っていればだが)山本は涼介と相川の3つ下で、高円寺にある実家から工場に通っているらしい。
痩せていて顔が小さく、涼介がタバコを切らした時は自分のを一本恵んでくれる。笑顔が印象的で、誰に対しても文句を言わない、いい奴だ。
山本と並ぶと、タッパの高さと恰幅の良さが際立つのが相川だ。二人が並ぶと、松の木と杉の木が並んで立ってるように見える。
相川は、申し訳なさそうに拳を振り上げた。
「娘に……。やっちまった」
「えーエグいスね! なんでスか?」
「嘘をつかれたんだ。俺、人なんて殴ったことないんだぜ?……昨日までは」
「マジっスか?」
「本当だよ。その瞬間もう……感情とかぐちゃぐちゃで……人生で一番ムカついてたかもしれねえ」
相川は、涼介を一瞬見て、控え目に言った。
「お前にはわかんねえかな。わかんねえよな」
その通り涼介には、いい家族というものがわからなかった。
自分の両親を見て、それが幸せそうだとはとても思えなかったからだ。父親は毎日帰りが遅く、休日はずっと部屋に引きこもっていた。
涼介は、家族旅行というものに連れてってもらった記憶もなければ、父親に遊んでもらった記憶がない。
母親も母親で、どこに行ってるのか毎日帰りが遅かった。そのようにして涼介の孤独な幼少期は過ぎていった。
「あーでもなんか、俺気持ちわかるス」
「馬鹿野郎おめえにもわかんねえだろ。一番わかってねえだろ」
「あはは。うらやましッスよー。俺も早く結婚してー。てか彼女ほしー」
「そんなこと言ってる時点でお前はダメなんだよ。いいか?恋人と、結婚相手っていうのは、『趣味』と『仕事』の差くらい違うんだよ」
「お、出ますかー?相川語録」
大人になった今も、涼介はそんな自分に「いい家族」を作れるとはとても思えなかった。
それは知らない大陸の道を地図も見ず誰かに案内するようなものだ。
こうして相川の愚痴を毎日聞かされることで涼介はますますわからなくなった。何が哀しくてみんな結婚するんだろう?そう思うのが涼介の本音だった。
……一瞬、ある想像が脳裏をよぎった。父親と暮らしていた時、もう一人家に誰かいてくれたら少しは変わってただろうか?一緒に糞尿を掃除してくれたであろうか?
ない。そんなわけが、ない。
どうせ人が増えたって問題が増えるだけなのだ。だとするなら尚更なんでみんな結婚するんだろう?
「・・・そんなにいいものかい?結婚生活ってさ」
「結婚してみろよ。そしたらわかる」
「はいはい……」
「でもほんとお前等、考えてんのか?誰に看取ってもらうとか」
「つまり老後のことスか?」
「そう老後のこととか」
「……まあ、人様には迷惑かけないようにはするよ」
「後、逮捕されたら誰に迎えにきてもらうとかな」
「えー逮捕はないっしょ。涼介さん優しいし」
「いやこういう奴が一番あぶねえんだって」
職場から川を挟んで向こう側に見える建物も、やはり別の工場だ。
「あれはなんのハコだろうな」
向こうの工場の煙突から立ち昇る煙が空に溶けていくのを見ながら、涼介は相川につぶやいた。
「ん?」
「いや、工場が気になったの。あそこの。……川の向こうの」
「ああ。あれは、処分場な」
「処分場?」
「そう。なんの処分場かは知らねえけど」
「そういえば涼介さん新居どうスか?なんでしたっけ?練馬区の工場の向かいでしたっけ?」
「足立区な」
「そこに転職すりゃいいじゃん。その工場に」
「……募集してるかな。従業員見たことねえんだけど」
「どうせどこも人足りてねえだろ。この国はほら。工場ばっかだから」
無機質な作業と無感情な日常。電柱に留まってる鳥から見たら、無機質な作業と無感情な日本。そして地球儀の上では無機質な作業と無感情な世界。
工場のラインで次々と組み立てられる車椅子のように、自分もただラインの上を流されているだけなんじゃないか。涼介はたまに思う。
仕事が終わると、夜の静けさの中、涼介はアパートへと帰る道すがら、ふと道路を挟んで向かいの工場に目をやった。工場の前に、黒いバンが停まっているのを見つけた。
涼介が違和感を感じたのは、この工場の前に車が停車している景色を半年で初めて目にしたからだ。
ふと涼介は時間を確認した。22:00・・・
『午後9時以降外出禁止』
『誰も守ってないから気にしないでいいよ』
涼介の脳裏にそんな言葉が再生された。なるほど。誰も守ってないわけだ。
……
いや、この辺りは不気味なほど静かで特にこの半年、帰り道で誰かを見かけたことがなかった気がする。
父親の介護の事がなければこの不気味な静けさにすぐ気づいただろう。門限を守ってないのは、自分と、このバンだけなのではないだろうか?
彼は立ち止まり、その様子をじっと見つめた。バンの防護ガラスで中は確認できない。
だが、まるで人の気配がない。それでも、どこか不穏な空気が漂っているように感じられた。まるで音を立てることすら禁じられているかのような緊張感が工場の周りを支配していた。
万が一、車に誰か乗っているとすると、自分がこのまま立ち止まってじっと見つめていたらこの場合不審者はどちらになるのだろう?
第一、中から人が出てきたらどうするつもりなのか。涼介は自分のアパートに音を立てずに帰っていった。
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