さよなら記憶、またあの夏まで
もんすたー
第1話 水平線に溶けていく
新潟県糸魚川市。
新潟県の最西端。上越地方に位置する、人口約三万八千人の決して大きくはない街。
国道八号線沿いに広がるのは、太陽が水平線に反射し、車からでも見入ってしまう程に綺麗な日本海。
名産物は紅ズワイガニや笹ずしなどの海鮮や、ヒスイと呼ばれる深緑の半透明な宝石。温泉やフォッサマグナなど、観光地も少なからずあるこの場所。
これといって思い入れない、けど懐かしく不思議と安心感のあるこの場所に、俺は今日から住み続けなければいけないことになった。
理由は簡単はものだった。
元々住んでいた東京に居れなくなったから。もう戻ることも多分許されない。
学校の人からも、他の知り合いからも、付き合っていた彼女からも、そして両親からも。
祖母の家に引っ越したはいいものの、家主である祖母は数年前に他界。
残ったものは、八号線沿いにある潮風で腐食気味の木造建築の一軒家と、タンスに入っていた祖母のへそくり二百万円のだけであった。
誰もいない、海風が心地いい二階の部屋にて、今自分の置かれている状況がどれほど苦しいものかを実感する。
微かに耳に届く波音は、ぽっかりと開いた心の穴に吸い込まれていく。
こちらに来てまだ数時間。部屋の中心に大の字で寝転がる俺は、こんなことを想像する。
もしあのとき他の行動を取っていれば、今頃は彼女と下校途中にコンビニでも寄ってアイスを半分こしたりしているのだろうと。
全て、それは天井に映し出される俺の妄想なのだけれど。
「久しぶりに海、行ってみようかな」
ボーっと天井を眺めていた、俺はふと口にする。
祖母が亡くなるまで、幼少期から毎年家族でこの場所へ来ていた。夏は海水浴、冬は山でスノーボード。
海に面している温泉の特徴である、舐めると苦じょっぱい塩化泉の温泉に行くのも恒例行事だった。
日焼けをして痛がりながら、ゲレンデ体が冷えたら潮の効果でホカホカに。
でも、身近にある海が必然的に印象に残っている。
夏真っ只中の八月二十ニ日。
海水浴とまでは行かないが、足でも浸かりに行こう。
本当は全身浸かって、頭でも冷やそうかと思ったが、いくら周りに人が居なくても一人ではしゃいでいるのは小っ恥ずかしい。
二階の部屋の窓から見えるのは、夕焼けが反射して幻想的な、どこまでも広がる水平線。
それに吸い込まれるように、俺は重い体を動かし始める。
居間に降り、玄関でサンダルを履く。サビ付いた音と共に開く引き戸。
庭は雑草で生い茂り、ブロック塀は至る所が欠けていて、改めて到底人が住んでいるとは思えない佇まいだと思った。
そんな祖母の家から俺の家へとなったこの場所から、海までは三十メートルもない。八号線を渡って目の鼻の先。
堤防を登ってあたりを見渡すと、数年前見た景色とはまるで違う光景が広がる。
海に沈んでいたはずのテトラポットは、波の影響で海岸へと上がり、堤防から足を延ばせば飛び移れる距離にまでなっている。
後ろを振り返れば、道路を挟んで祖母の家。
懐かしいけど、やはり違う。数年前と今。
変わっていて当然なのかもしれないが、変わってはいけない場所まで変わっている気がする。
風景も、人間関係も、そして俺も。
けれど、変わっていないものもあった。
浜辺から赤い橋が架かった、ゴツゴツとした小さな岩の島。弁天岩。
島の中程には海の守り神として知られる厳島神社があり、頂上には小さな灯台や鳥居が立っている。
歩いても頂上まで5分も掛からず登れるそれは、数年前と同じ佇まいで、どこか安心してしまう。
そんな違和感と安心感を覚えながら、俺は海まで足を進める。
器用にテトラポットに飛び移り、そのまま波辺へと降りる。
サラサラとした砂浜とは違い、砂利の浜辺はサンダルで歩くのには少し足裏が痛い。
水平線を眺めながら、波音に耳を澄ませて真っ直ぐと歩いていく。
家族でよく来た記憶が思い返される。それと同時に、もう二度とその記憶が更新されないことを痛感する。
しばらく歩くと、砂利が波に飲まれて小さい坂になっていた。
夏とはいえ、日本海の海は波が高い場合があり、こうして坂のようになっている場所は少なからずある。
それを少し登ると見えてくるのは、どこまでも広がる水平線。オレンジ色に照る太陽が海に反射して、まるで絵画のような光景が目に焼き付いてくる。
この光景も、もう見慣れた光景。しかし、一年に何度か見るだけのもの。
これが日常になるのがと考えると、少し心がズキンと痛む。
そんな海景色を見ないように俯くと、目尻の先の方に人が見えた。
花火大会が行われるこの海岸は、それ以外のときに人がまるでいない。プライベートビーチのようなところなのに先客がいたことに驚く。
砂利の坂には、確かに少女がポツリと座っていた。
少女の瞳からは涙が溢れ、頬にまで滴っていた。
夕焼けに照らされるその横顔は、淋しそうで今にもどこか遠くへと行ってしまいそうな、そんな顔。
「……」
口ずさんでいるようだが、波音でその声は聞こえない。
年は多分、同い年くらいだろうか。
同年代と思わしき人が、こんな人もいない海辺で座っているのは珍しいにも程がある。
謎めいた少女に俺は眉をひそめていると、気配に気づいたか、少女は潮風に艶やかなツインテールを髪をなびかせながらこちらを振り向く。
「……何か用?」
俺の姿を見るなり、同じく同年代に見えたのか、容赦なくタメ口を使ってくる。
「いや、俺はただ海を見に」
「そう」
しかし、淡々とした会話はすぐに終わってしまう。
海辺で一人で泣いているんだ。何か事情があるはず。
ふと見えた横顔が綺麗だからって、まじまじと見るものではなかった。
邪魔してしまったなと、その場を後にしようとすると、
「……ねぇ」
後ろから声を掛けられる。
「君、私と同じだ」
真っすぐと俺に向けらえる視線。
「同じ?」
突然のその言葉に、困惑してしまう。
何が『同じ』なのだろうか。
海を見に来たのが? それとも――
「悲しいような、淋しいような、そんな顔してたから」
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さよなら記憶、またあの夏まで もんすたー @monsteramuamu
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