『脱皮』 カルロス・フエンテス

 ブーム世代では、ガルシア・マルケス、コルタサル、バルガス・リョサなど、実に多様な個性を有しつつも、中南米の特異な文化と歴史を下敷きに豊饒な想像力の下で培われた小説家が数々いる。カルロス・フエンテスもまた、その「ブーム世代の山脈」に連なる小説家のひとりだ。外交官の息子として、パナマで生まれたフエンテスは、父の仕事の都合上、アメリカ大陸各地を転々とする生活をした。最終的にメキシコシティの大学を卒業し、様々な要職に就きながら、執筆活動に入った。

 仮にガルシア・マルケスをマジック・リアリズムの創造という観点での新奇さを認めるのであれば、フエンテスはそれに対し構成における斬新さを特に認められるであろう。彼を小説家として名声をあげた最初の長編『アルテミオ・クルスの死』は、まさに手法における新しさにより話題となった。

 『アルテミオ・クルスの死』は死の淵にあって、かつての輝かしい過去を回想する老人を書いた作品だ。貧乏から抜け出し、裏社会に影を落とす権力者に至るまでの過去の栄光と見窄らしい老人と化したアルテミオ・クルスの現在の対比がよくなされた作品である。『アルテミオ・クルスの死』でみられる「逆流する時間」の構成は、以降の作品における実験的な手法の基盤となっている。

 『脱皮』では、その「逆流する時間」の構成は異なる形をとっている。本作は16世紀に、やがてテノチティトランに侵入してアステカ王国を滅ぼすエルナン・コルテスがチョルーラを占領しする描写から始まる。それから、時代は大きく飛躍して20世紀メキシコに舞台が移される。そこで登場するのは国連機関の職員で、また大学でも教師を務めているメキシコ人のハビエル、ユダヤ系のルーツを持つハビエルのアメリカ人妻エリザベス、プラハに生まれたが、ナチスと関わったことにより帰国できず、車のセールスマンをしているフランツ、そしてブルジョワの家庭で育ったメキシコ人女子学生イサベルである。4人はメキシコシティを出発し、メキシコ湾に臨むベラクルスを目指してドライビングをしている。そこへ語り手は密かに4人のあとを尾行する。

 一見4人のドライブ旅行とコルテスの侵略に何の接点もみられないようである。しかし、4人が向かう先は奇しくもコルテスが歩んだ道を逆流するように進んでいるのだ。ドライブをしながら自身の過去や政治、歴史、芸術などを4人は語り合う。しかし、物語が展開するにつれ、話は錯綜していき、悲劇を迎えると共に大どんでん返しが待っていた……

 ネタバレになるが、本作は一種のメタフィクションである。読者は当然本作を虚構として受け入れているのだが、最後の最後では、これが実は虚構のなかに作り込まれた虚構、いわば虚構の二重構造をとっているのだ。

 しかし、その話が完全に虚構であったとして、果たして我々は無に返すことはできるものだろうか。フエンテスは人間の愚行を描出し、我々にその問題を問いかけているのだ。

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