『失われた足跡』 アレホ・カルペンティエル

 20世紀ラテンアメリカ文学の形成者たちには、興味深い共通点がある。ボルヘスにしろアストゥリアスにしろ、彼らは共通して渡欧し、そこの前衛芸術(殊にシュルレアリスム)の折に触れ、自らの故郷にそれを持ち帰っている。ボルヘスとアストゥリアスと同じ世代の重要なもうひとりの作家、アレホ・カルペンティエルもまた、殆ど同じ経歴を有している。

 カルペンティエルはフランス人の父とスイス人の母の間に、スイスで誕生した。間もなく一家はキューバに移住し、カルペンティエルのキューバ人としてのアイデンティティが形成されていく。政府批判のために一時的にフランスに亡命した彼は(これはちょうどアストゥリアスの一時出国の理由と被る)、シュルレアリストと交流する。その後キューバに帰国し、職を得るが、政府に干渉を受け、今度はベネズエラに移住。そしてキューバ革命が結実した報を受けたカルペンティエルは再び帰国し、今度は政府の要職に就き、文学者として広く歓迎された。

 カルペンティエルはアストゥリアスと共にラテンアメリカのマジック・リアリズムの創始者として文学史の重要な位置付けがある。ただ、土着的な幻想世界をふんだんに盛り込んだアストゥリアス対して、カルペンティエルは欧州本土のイメージ(とそれに対する批判)に主眼が置かれている。彼の代表作『失われた足跡』でも、それが顕著に現れている。

 大都市に住む音楽家の「私」は女優で妻のルースとの結婚生活に疲れていた。そんなあるときに恩師である器官楽博物館館長から家に招待される。彼が館長を務める博物館の楽器コレクションは申し分ないほどに充実したものであったが、そこにジャングルの奥地に暮らすインディオの楽器がなかった。そこで、館長は「私」にジャングルに赴いて探してくる依頼をしてきた。「私」は愛人のムーチェと共に捜索のために未開の地へと踏み入れるのであった。

 目的地に辿り着いた「私」はインディオのロサリオと出会い、彼女に内面に惹かれていく。その間にムーチェと喧嘩をし、仲に亀裂が入っていく。そんな中で幸運にも(?)ムーチェは感染症に冒され、ふたりは別れることとなった。そして「私」はロサリオと関係を深めていき、旅行船はジャングルの奥地へとふたりを連れて行く……

 本作は言ってしまえば、欧米中心的な文明に対する批判として捉えることができる。北米に於ける現代的な生活に疲労した主人公が、未開拓の土地を見て、新たな刺激を受けるというのが、この小説の大まかな内容だ。一方で、この小説では、直線的な時間の流れを縦断するような個人的或いは歴史的回想が挟み込まれている。そして特に目を瞠るのが西洋音楽に対する教養の数々だ。第3章に於けるベートーヴェンの「第9」への考察をはじめ、本作には音楽用語をふんだんに使った比喩や引用に満ちている。これは、音楽好きの父親から譲り受けたカルペンティエルの趣味であり、また音楽教師・評論家としての一面も持つカルペンティエル自身の表明でもある。

 非直線的な時間の流れは内的な「私」のもう一つ旅行であり、また時間的多層性を指し示すものなのかもしれない。しかし、『失われた足跡』の結末でも読み取れるように、現代文明に染まってしまった我々がそこから抜け出すことへの不可能性を突き付けている。

 『失われた足跡』には「小説のシュルレアリスム」の章で紹介した幾つかの作品とそれとなく似ている印象を与える。現実と空想の交差、文明社会と未開地との相剋、そして旅行というモチーフは、いずれもシュルレアリスム小説に頻出する要素である。これはカルペンティエルがシュルレアリスムに触れたことの紛うなき証左である。

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