『大統領閣下』 ミゲル・アンヘル・アストゥリアス

 1967年にグアテマラの作家・アストゥリアスは、ガブリエラ・ミストラルに次ぎ、ラテンアメリカでは二人目となるノーベル文学賞を受賞した。彼が受賞した頃は、ちょうど空前のラテンアメリカ文学ブームが到来した時代であり、コルタサル、バルガス・リョサ、ガルシア・マルケスなど、多くの作家が相次いでヒット作を生み出していく。「ラテンアメリカの原住民の伝統と国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して」ノーベル賞を受賞したアストゥリアスはその1世代前の作家であり、ボルヘスと共に典型的なラテンアメリカ文学の草分け的存在となった。彼に白羽の矢を立ったのは、こうした背景が存在するからとも考えられる。

 受賞理由を見てみるとわかるように、彼の作品には原住民の伝統を反映した作品が知られている。その代表的な作品が短篇集『グアテマラ伝説集』である。本作は、グアテマラに伝わる、先住民族とヒスパニックのイメージを融合したような民話から換骨奪胎した作品集である。それは、日本でいうところの、芥川龍之介が今昔物語集から様々な説話を作り変えるそれと同じといえることだ。『グアテマラ伝説集』は多くが妖怪譚や変身譚などといった幻想的な作品であり、アウトサイダーがそれを読めば、そのエキゾチズムに惹かれるようなものとなっている。こうした民族性に意識を置いた作品は以降のラテンアメリカ文学の伝統を決定づけるとも言え、またメインストリームに特異なものとして受け入れる土台を作った。

 一方でこうした「神話・伝説」の系譜の作品の他に、アストゥリアスには「政治・社会小説」に分類される系譜の作品群もある。それは、歴史の比較的早い段階で独立を果たしたはずの中南米ならではの階級制度により、経済格差と独裁政権が影を落とす社会を反映した、またして特異なものである。特によく知られるのが、アストゥリアスが10年もの歳月を費やして完成させた『大統領閣下』である。

 〈主の御門〉の近辺でホセ・パラレス・ソンリエンテ大佐の遺体が発見された。警察は近くに住み着いていた乞食たちに事情聴取をしていたが、犯人はエウセビオ・カナレス将軍とアベル・カルバハル弁護士であることと断定していた。警察たちは乞食たちに無理矢理そのことを言わせた。しかし、その中のひとりが犯人が〈でく〉であると告発し、〈でく〉はその場から逃亡した。警察はそのことを一切聞き入れず、乞食を殺した。その後、〈でく〉は逃げる合間に、秘密警察のルシオ・バスケスにより射殺された。

 国は〈大統領閣下〉により残酷な独裁体制が敷かれていた。〈大統領閣下〉は選挙で再当選を目論んでいた。そんな大統領は、全面的な信頼を寄せる腹心ミゲル・カラ・デ・アンヘルにカナレス将軍の逮捕について語り、それを聞いた腹心は将軍の逃亡を手引きするように命令する。カラ・デ・アンヘルはこうして将軍の家に向かうのだが、そこで将軍の娘カミラと出会う。一目見た大統領の腹心は脱出計画を考えながら、ある事情で娘と婚約する目論みを立てたのだが……

 腐敗した中南米の政治体制を描いた『大統領閣下』は、スリリングなサスペンスとしてのエンターテイメント性を兼ね備え、読者に一寸の憩いを与えない。他方で、本作には比喩ともファンタジーとも捉えられる奇抜な表現が至るところに散りばめられた。政治的な理由で一時的に欧州へ渡ったアストゥリアスは、パリでシュルレアリストたちと交流し、こうした奇抜なイメージは作品に反映された。今やそれを我々は「マジック・リアリズム」と呼び、以降のラテンアメリカ文学の重要な概念ともなっている。

 政治的メッセージに重厚なエンタメ性、伝統と前衛、写実と幻想が交わる『大統領閣下』。この系譜に於いてもアストゥリアスのラテンアメリカ文学への貢献が大いにあることを指し示していることは言うまでもない。

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