第12話 体調不良とピール
翌朝は、いつもよりもずっと早く目が覚めた。
俺は嬉しくてたまらなかった。レトとゼノのおかげで、ようやくジードにピールを渡すことができる。ジードは喜んでくれるだろうか。いや、まずは謝るところからだ。ひどい言葉を言ってしまったのだから、仲直りができればそれだけでいい。
テーブルの上で艶々と輝くピールを見て、口元が緩む。本当に完成したんだ、幻じゃなくて良かった。スロゥもリュムもぱっと人目を引きそうな輝きだった。チョコでコーティングができたら、もっといいのに。家政部のみんなに見せたら、きっと売り物になりそうだと言うだろう。
植物から紙を作る技術は、エイランでも発達している。向こうの世界のようなラッピングはできないけれど、俺はピールを丁寧に薄紙で包んだ。それぞれに細い紐で縛り、二つまとめて革袋に入れた。
長期保存するなら、しっかり密封できるように工夫した方がいいのだろう。エリクたちに相談したら、何か良い方法を考えてくれそうな気がする。でも、今回のピールは俺の気持ちだ。ジードが受け取ってくれたら、それで十分だった。
第三騎士団の出発までは日がない。さすがにジードはもう、実家から騎士団に戻ってきただろうか。……あの許嫁にも、南部への出発を告げたのだろうか。
別れを惜しむ二人が浮かんで、胸の奥がズキンと痛んだ。この気持ちの先にあるものを考えることは止めた。これ以上考えたら、また余計なことを言ってしまいそうだから。
小さな台所でお湯を沸かし、簡単な朝食をとった。パンにサグのクリームとスロゥのジャム、お茶を淹れて一息つく。卵料理ぐらい添えたいところだが、こちらの卵は大きすぎて気軽に使えない。
俺はエイランで暮らすうちに、簡単な魔石の使い方を覚えた。魔石は生活の中で様々なことに使われている。こちらの世界でも、皆が皆、大きな魔力を持つわけではなく、魔力を自在に使えるわけでもない。魔力の少ない者や足りない者は、魔石の力で補うのだ。魔石の使い方は一つ一つ、レトが教えてくれた。
王宮に保護された時、異世界からの客人には従者をつけるのが慣例だと聞いた。でも、俺は貴族でも小さな子どもでもない。自分のことは自分でしたいと言ったら、レトがやってきた。教師であり、友人であり、兄のような人。レトにはずっと助けてもらってきたと感謝でいっぱいになる。
朝食を終えて、いつもの時間になってもレトが来ない。どうしたんだろう。最近は朝早くから夜遅くまでピール作りに付き合ってくれていた。元々時間に正確で、遅れたことのないレトだ。首を傾げていると、コンコンとドアがノックされた。
ドアを開ければ、可愛らしい少年がぺこりとお辞儀をした。
「失礼します。伝達に参りました。レト様は本日、体調不良でこちらに伺えないとのことです」
「えっ? た、体調不良って、どこが悪いの?」
レトのゼノとは、このところずっと一緒にいた。昨日は二人ともすこぶる元気で、
ピールの完成を喜んでくれた。変わったことと言えば、出来上がったピールを食べたことぐらいだ。
「ピール……まさか、食べ物で」
自分で言った言葉に、息が止まりそうになった。
……待て待て待て。
昨夜、レトとゼノにはピールを土産に渡した。もし、二人で食中毒なんてことになってたらどうしよう。味と日持ちばかり考えて、実際に食べてみてどうだったかの検証はまだできていない。レトたちは以前、スロゥとリュムに毒性はないと言っていたし、普段食べられている果実だから、加工しても問題ないと思っていた。
一気に緊張で汗が噴き出す。少年が小首を傾げた。
「いいえ、食べ物ではないようです。何でも、急な腰痛だとか」
「腰痛?」
「はい、ちょっと動けそうにないとのことです。レト様にはご伴侶のゼノ様がついておられます。本日はお二人ともこちらには伺えず、大変申し訳ないと」
「あ、ありがとう。レトにお大事に、って伝えてくれる? ゆっくり休んでほしいって」
伝達役の少年は元気よく返事をして去っていった。
思わず大きく息をついた。レトには悪いが、体調不良の原因がピールではなくて、ほっとする。このところ朝から晩まで、ずっと一緒にピールを作り続けていた。レトも知らず知らず、疲れがたまっていたのかもしれない。
「レト、ごめん。いつもたくさん働いてもらってたから……。ゼノがいるなら、大丈夫かな」
俺は一人で騎士棟に向かった。手にはジードに渡す革袋、そして、もし会えたらとエリクの分のピールも多めに籠に入れてきた。エリクには先々、騎士たちの食料として役立ちそうかを確認してもらいたかったのだ。
騎士棟の受付まで来ると、今までとは雰囲気が違っていた。行き交う人々は速足で、表情にもピリピリと緊張した空気が漂っている。
……第三騎士団の出発前だからか。
ジードの名前を告げると、今、第三騎士団は旅立つ前の最終調整に入ったところだという。急な用かと聞かれて首を振った。餞別ならこちらで受け付けるとの言葉に、どうしたらいいのかと手が震えた。
ピールは餞別なんて言えるような大層なものじゃない。自分が必死に渡しにきたものは、やけにちっぽけな気がした。仲直りなんて、まるでくだらない子どもの発想のようで、急に心が萎んでいく。
「あの、じゃ、じゃあ、これ……」
ジードへの革袋を渡そうとした時だった。
「ユウ様!」
騎士の一団が、がやがやと廊下を歩いてくる。先頭にいた者がこちらに向かって手を挙げた。
「あれ、エリク!」
「どうしてこちらに? 何か御用ですか?」
第一騎士団の部隊長であるエリクが、満面の笑顔で俺の前に立った。ああ、かっこいいな、とうっとりする。俺は、そうだ!と手持ちの籠を差し出した。
「エリク! 実はスロゥとリュムでピールを作ってみたんだ。果物の皮を花の蜜で煮たんだけど、任地で食べてもらえればと思って。まずは、味見してもらえたら嬉しい」
「先日ユウ様が取り組んでらしたものですね。へえ! これは綺麗だ」
エリクは、ピールを見て目を輝かせた。「では、早速」と言って籠の中のピールをつまむ。スロゥを先に、その後はリュムをゆっくり噛み締めた。
「おいしいです! ユウ様! ……それに、不思議ですね。何か身の内から力が湧いてくるような気がします」
「ほんと? よかったら、もっと食べて」
「よろしいのですか?」
「うん! 昨日出来上がったばかりなんだ」
エリクが嬉しそうに、ピールを続けて食べようとした時だった。さっと大きな影が目の前に現れた。
「部隊長っ! 自分もご相伴にあずかりたいです!!」
「自分もですッ!」
俺とエリクの周りには、いつの間にか見上げるほどデカい男たちが集まっていた。前に見たような顔もある。見下ろされて怖かったけれど、皆、興味津々といった顔で覗き込んでくる。何だかその瞳は、家政部の部員たちが、出来上がったばかりの新作を初めて見る時の瞳に似ていた。期待でワクワクする瞳。俺は、懐かしくなって、手に持った籠を差し出した。
「あ、あの……。これ、口に合うかわからないけど。よかったら、どうぞ」
心臓がバクバクして飛び出そうだったけれど、ぱあっと明るい笑顔が幾つも目の前に広がる。
「やった!」
「いただきます!!」
「あっ、お前たち! 勝手に……」
エリクが慌てているうちに、籠の中のピールが次々に消えていく。さっと手が伸びてくるので、エリクが俺を庇うように前に立ち塞がった。
俺の手から籠を取り上げてエリクが号令をかけると、騎士たちはあっという間に整列する。彼らは大人しく並び、エリクが持った籠の中からピールをつまんで口に入れた。大きな体の騎士たちが、わずかなピールを大人しく口に入れていく様は何とも不思議だった。籠の中は、あっという間に空っぽだ。
「す、少ししかなくてごめん。それ、試作品なんだ。よかったら感想を聞かせて」
ピールを口にした後、騎士たちは甘いとかうまいとか我先に口にしていたが、やがて一斉に顔を見合わせた。
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