第2話


 幼き日々が、記憶の彼方で微睡んだ頃。

 十五歳になったアイルは、旅の支度をしていた。


「推薦状は持った?」


「うん」


「気をつけるのよ。いつでも帰ってきていいからね」


 心配性な母に、アイルは苦笑いしながら頷いた。

 父の農業を手伝いながら心身ともに成長を果たしたアイルは、十五歳になったら一度この村を旅立つと決めていた。やりたいことをやるために。やるべきことを見据えるために。そして、そんな自分の考えが正しいか確かめるために。


「アイル」


 家を出ようとしたアイルに、最後に声をかけたのは父親だった。

 優しくて、活動的で、しかし時には厳格な一面も見せる父が最後に見せたのは、信頼と不安を綯い交ぜにしたような顔だった。


「アイルが目指しているものは、父さんも母さんもよく知っている。その道の険しさを考えると手放しには喜べないが、俺たちはいつでも応援している」


「うん」


 アイルは首を縦に振った。


「その上で、以前から話している通り、まずは色んなことを経験しなさい。……王都に行けば様々な出会いがあるはずだ。のんびり屋なお前でも、きっと誰かに必要とされるだろう。だが船の漕ぎ手は自分であり続けるんだ。できることではなく、やりたいことで人生を選びなさい」


「……うん!!」


 アイルは深く首を縦に振った。


「行ってきます!」


 涙を堪えて、アイルは家を出た。

 ローレンス王国の片隅にある小さな村落。それがアイルの生まれ育った土地だ。この土地には月に二回ほど馬車が通り、アイルはその馬車を利用して王都まで向かう予定だった。


 停留所で待っていると、一台の幌馬車がやって来る。

 馬車が停まると、まずは荷台から荷物が降ろされた。村で使うための農具や、安価な調味料などだ。集まった村人たちが次々と荷物を各住宅へ運んでいく。


 それから、収穫したばかりの穀物が荷台に載せられていく。

 アイルはその穀物と一緒に、御者に料金を支払って荷台に乗った。


 馬車が動き出す。この辺りは道が舗装されていないので、乗り心地はお世辞にもいいとはいえない。


 早々に痛む尻を未来への期待で紛らわしていると、正面に座る少年と目が合った。

 黒い髪の少年だった。その腰には一振りの剣を携えている。見覚えはないので同じ村の住民ではない。多分、他の村から馬車に乗ったのだろう。


「ルウだ」


 少年が名乗った。


「アイルです」


「歳近いだろ? 敬語はいらねぇよ」


 気さくに笑うルウに、アイルも肩の力を抜いた。


「この馬車に乗ったってことは、王都に行くんだよな? アイルも軍に入るのか?」


「軍?」


「知らないのか? 今、帝国との小競り合いが悪化していて、軍が兵士を募集しているんだ。このタイミングで上京する奴は大半が入隊希望だと思うぜ」


「へ~」


 そんなこと全く知らなかったアイルは、暢気な相槌を打った。

 戦いを生業にする職業を予想してくれたことは、光栄かもしれないとアイルは思った。灰色の髪はともかく、アイルの白い肌は、肉体労働が盛んな村ではひ弱に見られがちだった。父の農作業を手伝ったわりに、アイルの体型は中肉中背を超えられず、実はちょっとコンプレックスに感じていたほどである。


「その反応、軍が目当てじゃなさそうだな。……じゃあ騎士か? 貴族を守る騎士と言えば選りすぐりのエリート集団だ。今はほとんどが軍に吸収されたとはいえ、それが逆に少数精鋭の花形ってイメージを強くしたよな。特に王家を守る近衛騎士団には憧れる人も多い」


 ルウは予想とその根拠を述べる。

 だが答えは否だ。


「騎士でもないよ。僕が目指しているのは――」


「まあ待て。当ててみせるから」


 そこでアイルは気づいた。

 ルウはただ、この長い道のりに伴う暇を潰したいだけなのだと。


「分かった、冒険者だ。堅実な職業とは言いがたいけど、一攫千金の浪漫がある。俺たちみたいな村人が手っ取り早く出世するには、冒険者になるのが一番手っ取り早い」


「違うよ」


「じゃあ大穴の商人だ。学と伝手がなければ成り立たねぇ職業だが、逆に言えばそれさえ持っていれば上手くいく。アイルにはそれがあるんじゃないか?」


「残念ながら」


 アイルは首を横に振った。


「参った、降参だ。アイルは何を目指してるんだ?」


「聖職者だよ。そのためにも、王都の神学校に行こうと思うんだ」


 答えを告げると、ルウは予想に反した表情をした。

 納得でも驚愕でもない。なんだか微妙そうな顔色だ。


「聖職者かぁ……なんか、パッとしねぇな」


「え、なんで?」


「うーん、だってなぁ……この国だとイシリス教だろ? 最近イシリス教はいい噂を聞かねぇし、立身出世を志すならまず候補から消える進路だと思うぜ。大体、王都の神学校って言えば、確か数年前に……」


 発言が徐々に独り言になっていく。

 そこでルウは、アイルの不思議そうな視線に気づいた。


「っと、悪い悪い。生き方は人それぞれだもんな」


 軽く謝罪するルウ。

 しかし彼の発言を、アイルは真正面から受け入れた。


「気にしないで。ルウの言っていることは、間違いじゃないかもしれないし」


「……というと?」


「僕、神学校に入るための推薦状を貰っているんだ。だからその気になればすぐ入学できるんだけど、今までずっと村で過ごしてきたから、まずは王都で色んな経験を積めって両親に言われてて。……推薦状は使わなくてもいいみたいだし、経験次第では考えを改めるかもしれない」


「進路はたくさんあるってことか。いい親だな」


「僕もそう思う」


 現状は、やっぱり聖職者になりたい。

 アイルは幼い頃からぼんやりとその未来を見つめ続けている。

 けれど両親の言う通り、色んな経験を積むことも大事だと思っていた。その上で神学校を目指すなら、その時は頑張りなさいと両親に言われている。


 神様の存在を意識したのは、五歳の頃だ。

 あれから世界はきっと変わっている。もしかしたら、この意志も揺らぐことがあるかもしれない……アイルはそう思った。


「しかし、神学校にも推薦状みたいな制度があるんだな。誰から貰ったんだ?」


「それはちょっと、内緒かな」


「なんだよ、教えてくれてもいいじゃねぇか。……ま、どうせこんな田舎を訪れる聖職者なんて、知れてるだろうけどな」


 ルウはお喋りだが、過剰に詮索する性格ではないらしい。

 正直、助かった。それは答えられない質問だったから。


 その後もアイルたちは、大して意味のない雑談をしたり、仮眠を取ったりした。王都に近づくにつれて道がきちんと舗装されるようになり、荷台の振動が心地よいものに変わったせいで睡魔を誘ったのだ。


 何度か馬を交代し、二度の夜を越えた頃。

 朝日に照らされる景色を見て、ルウが口を開いた。


「竜殺しの塔が見えてきた。ってことは、そろそろ王都だな」


「竜殺しの塔?」


「知らねぇのか? 昔、恐ろしい竜が王都を襲ったんだよ。このままじゃ街が滅ぶって時、一人の騎士が巨大な塔を創り上げて、竜を串刺しにしたんだ。以来、あの塔は竜殺しの塔って呼ばれて王都のシンボルになってるんだぜ。騎士の方も、確か塔の騎士って異名がつけられて、今は近衛騎士団に入っているはずだ」


「へ~」


 ルウと一緒に、アイルは竜殺しの塔を見た。

 白くて巨大な塔だった。先端が鋭く尖っている。あれなら確かに竜を串刺しにできそうだ。


「元は城壁の外に置かれていたそうだが、あまりにも有名な観光地になったせいで、城壁を拡張して塔を内側に入れたらしい。……塔の騎士かぁ、憧れるよな。歴史に名を刻む英雄ってやつだ」


 ルウは立身出世を志して村を出た野心的な少年だった。

 その志の高さは偶に羨ましくなる。


 馬車は関所の前で一度停まり、衛兵たちの検査を受けた。同時にアイルたちも荷台から降り、個別に通行税を支払う。形だけではない真面目な検問がある辺り、流石は王都と言ったところだ。


「じゃあ、お互い頑張ろうぜ」


 関所を通過したところで、ルウはアイルの方を見て言った。


「俺は軍人、アイルは今のところ聖職者。どっちが出世するか勝負だな」


「勝負なんてしなくてもいいよ」


「ばーか。こういうのはな、競い合った方がいい結果が出るんだよ」


 そう言ってルウはどこかへ向かった。

 なんとなく、彼とは長い付き合いになりそうだなと思いながら、アイルは王都の街を歩き出した。


(……ちょっとだけ観光しちゃおうかな)


 目的地はあるが、多少の寄り道は許されるだろう。

 アイルは竜殺しの塔へ向かった。


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デミゴッドの導き サケ/坂石遊作 @sakashu

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