龍虎戦記 ~項羽vs劉邦~
外清内ダク
巻一 項羽と劉邦
一 始皇帝、狂う
「我が徳は、三皇に並び、五帝を超える。
ゆえに『皇帝』と尊号を立てる。
今より我をもって『始』として、この位を万世に伝えよう!」
紀元前221年――
西の大国
そして自らを『始皇帝』と称し、巨大統一国家の頂点に君臨したのである。
その政治は、すさまじいものであった。
かつての六国を全て廃して、天下を36郡に分割。
反乱を防ぐために兵器を没収、それを融かして12体の像を鋳造し、富を誇示する。
豪華絢爛なる宮殿を建て、高架の廊をかけわたし、おびただしく工事を行ったかと思えば、後宮を創立して諸国の美女を選び集める……
日に日にひどくなっていく
この世の遊楽という遊楽、極めないものはない、というほどであった。
*
あるとき、始皇帝は群臣に向かって言った。
「
汝らの意見はどうか?」
群臣は、口をそろえて答える。
「昔より、
陛下のお心は、
こうして始皇帝の全国
その途中……
鶏頭山、というその山の高みに登って彼方を望めば、東南の方角に異様な雲がたちこめていて、ぼんやりと五色の光を放っているではないか。
「あの雲はなんだ」
問う始皇帝に、近臣が答えた。
「あれは本物の雲ではありません。
気が
それも、
東南に
始皇帝はこの進言に従い、東南で雲気を鎮める儀式を行ってから、
*
しかし……
あれは、何かただならぬ未来の予兆なのではないか?
そんな不安が日に日に膨らんでいく。
ある日、気晴らしのために、始皇帝は後宮の美人を引き連れて庭園に出かけた。
季節は春。美女たちの華やかな装いに、花も柳も色を添え、千の紫、万の紅、みな一時の栄華を極めていた。
始皇帝は、しばらく花の下をぶらついた後、宮殿に登って足を休めた。
吹き込んでくる
やがて始皇帝は机に寄りかかり、ウトウトと船をこぎはじめた……
*
と、そのとき。
突如、轟音響いて天地震動し、紅の太陽が始皇帝の眼前に落ちてきた。
「なんだ!?」
突然のできごとに、うろたえる始皇帝。
そこへ、東の方角から一人の子供が駆けてきた。
青い衣を着て、顔は鉄のように固く、目は
青衣の少年は、落ちた太陽を拾い上げ、抱えて走り去ろうとした。
それを、
「待て!」
と呼び止める声がある。
南の方角から、もう一人の少年が駆けつけたのだ。
こちらの少年は紅の衣を身に着けている。
紅衣の少年が叫ぶ。
「おまえ! どうして太陽を奪おうとする?
それは俺のものだ。俺が天帝から
だが青衣の少年は、太陽を抱いて返そうとしない。
当然、殴り合いのケンカになる。
勝負は一方的だった。
青衣の少年は、とにかく強かった。紅衣へ連打を食らわせること72発。めった打ちである。
しかし紅衣もしぶとい。倒れない。
我慢に我慢を重ねて耐え忍び、やがて、紅衣の少年は、渾身の力を込めて一発だけ拳を突き出した。
すると、なんということだろう。
よほど当たりどころが悪かったのか。この一発を食らったとたん、あれほど強かった青衣の少年が、バッタリ倒れて死んでしまったのである。
勝った紅衣の少年は、太陽を抱き上げ、南へ走り去ろうとする。
その背を、
「待てっ」
と始皇帝が呼び止めた。
「少年よ、しばし止まれ。汝は一体何者だ?」
「俺は
そう言い捨てて、少年は南へ走り去った。
そのとたん、雲が湧き、霧が起こり、紅の光がひらめいた。すさまじいまぶしさに、始皇帝は思わず目をつむり……
*
「うっ!?」
ここで始皇帝は目を覚ました。
夢。いままで夢を見ていたのだ。
なんと不吉な夢だろうか。
太陽は権力の象徴である。それが紅衣の少年に奪われた。ということはつまり……
「我が
*
思えば、この瞬間だったのだ。
始皇帝の心が狂い始めたのは。
度を超えた贅沢で民を苦しめてこそいたものの、始皇帝は決して愚かな君主ではなかった。
むしろ並外れて合理的。しかもその政策を恐るべき強引さで貫徹する。だからこそ恨みを買いやすい。
そういう
でなければ、この広い中国の統一など、とうてい成しとげられなかったろう。
だが……
この時期から、始皇帝の言動は明らかに
「家臣たちも、我が息子も、まだまだ頼りない。
ならば……
不老不死の体を得て、
狂っている。正気の沙汰ではない。
だが、一度こうと思い定めれば、どこまでも徹底的にやりとげる……それが始皇帝という男だ。
始皇帝は、家臣に命じて不老不死の薬を探させた。
一人の家臣が言うことには、
「東海(現在の東シナ海)には、三つの仙山がございます。
その地に不老不死の薬があるそうです。これを飲めば寿命で
始皇帝、
「
家臣が答える。
「いいえ。
しかし、
その
始皇帝は、すぐに
「不老不死の薬を求めるには、どうすればよいのか?」
「それは大変に難しゅうございます。
まず大船を十
これに童男と童女それぞれ500人、さらに金銀珠玉や飲食器などの財宝も載せて、わたくしめに授けてくだされば、東海に行って不死の薬を求めてきましょう」
始皇帝は限りなく喜び、すぐに言われたとおりの準備を整えた。
*
だが……
待てど暮らせど、
そこで始皇帝は、
「
と言って、
後に孔子の教えが広まると、もっぱら孔子一門の学者たちを
だが、海は
とうてい船など出せる状態ではない。
「これはまずい……
何の成果も無しに帰ったら、始皇は私を罪に問うだろう。どうしたものか……」
そうこうするうち、
その頂へ登ってみると、石の上に、奇妙な男が一人いる。
髪の毛は、
顔には、
「こんな山奥にやってくるとは、いったい何者か?」
「私は始皇帝の命を受け、不老不死の薬を探しているのです」
男は笑って、
「寿命というのは、あらかじめ天によって定められているのだ。その限度を逃れることは難しい。
どうして不老不死の薬などが存在しようか」
これを聞いて、
雰囲気といい物言いといい、この男は凡人とは思えない。きっと仙人に違いない。
そこで「不老不死を! 無理ならせめて長生の道を!」と繰りかえし繰りかえし乞い求めた。
仙人もとうとう根負けして、そばにある石を押した。
石の裏には穴が隠されていた。仙人はその穴に手を突っこみ、一冊の書を取り出した。
題して『
「この書を始皇帝に
固く目を閉じ、それ以上はもう、何も語ろうとはしない。
しかたなく、
*
この書『
だが、書かれているのは
「なんだ、この文字は?」
始皇帝は首をかしげ、家臣に本を見せた。
家臣は目を丸くする。
「や! これは
しかも暗号がちりばめられていて、並の人間には読むことができません」
そこで始皇帝は、
しばらくして、
「まだ全文の解読には至りませんが、一部は読むことができました。
その中に、気になる記述が……」
「なんと書いてあったのだ?」
「それが……
『
始皇帝は激怒した。
「そうか!
大将軍
「はっ」
「人夫80万を動員し、中国と
費用はいくらかかってもかまわん!」
これが、現代に残る『万里の長城』建設の始まりであった。
始皇帝は気づいていなかったのだ。
実は、始皇帝の息子
*
これ以後、始皇帝はそれまで以上に大工事を連発するようになった。
万里の長城のみならず……
東は大海を埋め立て……
西は広大な宮殿、
南は五山を切り拓き、殿閣を造りつらねて……
これら巨大事業のために莫大な資金がついやされ、その負担はみな民に押しつけられた。
民の
その不満を押さえつけるために法律をさらに厳格化し、ほしいままに強権をふるった。
さらには、このあやまちを人々が議論することを恐れ、
天下の書籍を
これぞ歴史に悪名高き
*
始皇帝の長男
「
こんなことが続けば、天下が安寧を保てなくなります」
始皇帝は怒り狂った。
もともと
「どうして
こうして、跡継ぎの太子たる
名目上は大将軍
*
始皇帝の
かつて見た東南の雲気を、始皇帝はいまだに怪しみ続けていた。
「東南で反乱が起きるのではないだろうか?
そんな不安に取り憑かれ、またも東国を
ここ数年、東の国々は
にもかかわらず、始皇帝の車の通るところ、一日に数万もの金銀を費やす。
途方もない浪費である……その負担は、もちろん百姓にのしかかってくる。
苛烈な徴税によって暮らしていけなくなった百姓は、つぎつぎに耕地を捨てて逃亡していった。
彼らの中に、始皇帝を恨まぬものは一人もいなかったという。
(つづく)
■次回予告■
彼は張良、
『中国史上最強』の名をほしいままにした伝説的軍師の登場である。
次回「龍虎戦記」第二回
『始皇帝暗殺計画』
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