追葬者

間灯 海渡

第1話

 その男はいつもするのと同じ様に、秋晴れのもとに広がる森の中を、茂った草とねじれた幹の木々をかき分け、奥へ奥へと進んでいく。

 

 男の荷物はリュックサックと、胸元にかけられた一眼レフのみだ。

 格好は登山客やトレッキングツアーの客がよく着ている、清潔でさらついたスポーツウェアを上下に纏っている。

 男の鼻梁は高く、目元は端正で鋭い。髪は目元でセンターに分けられている。

 男は息をつきながら、自分の額から顎先まで流れて来た汗を拭った。

 しかしその仕草や顔立ちに、どこかに品の良さを感じさせる……。

 


 男は趣味の森林浴に出かけるかの様に機嫌よく、森の深い場所まで進んでいく。

 進むにつれて、辺りは昼間なのに自然と暗くなって来て、心なしか周囲の空気も乾いて冷たくなり、足元の踏み締める落ち葉や枝もまるで抜け殻のように軽い音を立てて、クシャクシャと男の足に踏み締められていくのだった。


 そうして男は、森の道ゆく途中に生えた大きな木の前に立った。

 そして、目当てのものを発見した。

 

(あぁ、良かった。今日はあったか……入念に吟味したかいがあった。)

 

 男は木の前に立ち、胸元にある一眼レフのスイッチを入れると身体を動かしながら、被写体との距離を測り、光の当たり具合を探り、構図を決め、シャッターを切った。直後


 ーーカシャッ。


 深閑とした森の中に、無機質なシャッター音が響く。

 そして男は、その音の余韻を聴きながら顔を上げた。

 男の表情にあったのはただ微笑みのみだった。

 それは被写体への愛おしさから来るのかはわからないが……男は暫く被写体を光悦と眺め、再びシャッターを切り始める。


 ーーカシャ……カシャ……。

 カシャ、カシャ……カシャシャシャシャ。


 断続したシャッター音と共に、暗がりの森の中ストロボの様に明滅とした光が繰り返し、灯る。

 あらゆる角度で被写体を撮ると、男は満足し、写真を確認した後カメラを下げた。

 すると今度は、自分のリュックサックの中から、ゴムの手袋を取り出した。

 それを両手にはめ、男は被写体に近づいていく。

 ……そして、おもむろに被写体のにふれた。


「はぁ…………」


 男がふれた被写体は、折り重なった木に隠れる様にしてロープから吊り下がった、人間の死体だった。

 その死体は年若い女の死体であり、まだ死んでから幾分も経っていない様で、身体や髪の毛の原型をしっかり保っていた。

 異様に伸びて青ざめた首と、転がり落ちそうなくらいに飛び出た目がなければ、今にも動き出しそうなくらいだった。

 それは男がふくらはぎをさするのに合わせて、吊り下がったロープと枝を震わせながら、ゆらゆらと揺れている。それに合わせるかの様に、男は息を弾ませる。


 男は荒い息を吐きながら、ゴムを挟んで温い地肌と冷たい氷の様な肌をひたすら擦り合わせた。

 男の手は、女の水風船のように膨れ上がったふくらはぎを通り、茶色くカサついた腹を通り、岩みたいに固くなった乳房を通り、青く弛緩し切った首筋にまで辿った。


 そして擦り合わせても擦り合わせても、決してそこから温もりなど生まれる事はなく、ただ男自身の体温が、冷たくなった女の肢体に奪われていくだけなのであった。

 

 冷え切った手をハッと放し、男は我に返った。


(ーーあぶないあぶない。やりすぎてはいけない。あくまで、死体はこのままにしておかなければ)


 男はゴム手袋を外しリュックに詰め、その場を後にしようと踵を返す。


 最期にもう一度、男は吊り下がった女の死体の方に振り向き、カメラを携え、シャッターを切った。


 冷淡な機械音ーーモノクロフラッシュ……。

 それらに晒されてもなお、女の死体はただ木からぶら下がっているだけだった。



 ……これがこの男の日課だった。

 ある日から男は死体に魅入られて、より多くの死体を目にする為に度々この森の中に訪れていた。

 国内有数の名山の麓にあるこの森は、静かで深く、また方向感覚を狂わせるほど入り組んでいる。


 その為登山客こそ多いこの近辺だが、迷子になる以外の理由で好き好んで森に入るものはある一定の物好き以外にはいなかった。

 その為ここを終生の地と選ぶ自殺者が跡を立たない。


 だからこそ、男は登山客を装い、この森に入り、今日も被写体を探しているのだった。

 男は死体に異常な程の興味を示している。

 男にとって死体とは、刹那の衝撃と緩慢な揺籃と、日頃から巡り巡る自己と他への空虚さを埋め、男に快楽を惜しみなく与えてくれるものなのだった。


 男は、今日もいいものを見れたと満足げに、再び森を散策する。新たなる死の匂いを嗅ぎ分けながら。


 

 ーーそして、そんな男の影に忍び寄る足音が一つある。

 男と同じように草と木をかき分け、亡骸のような腐葉土を踏みながら……。

 それは男と付かず離れず、同じペースでついてくる。


 ーーザッ、ザッ、ザッ……と。

 

 死に魅入られた男は、今はまだ、その事には気が付かないのであった……。

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