汚れを知らない私には

田中八郎

1

 夢であってほしかった。

 儚げな思いは一瞬にして粉砕される。鏡が映すのは現実。そこには痣だらけの裸身を晒す自分がいた。それを見なければもう少しだけ夢を見ていられたのに。

 ベッドの上の自分。隣に男はいない。枕元には万札が四枚。一応約束は守ってくれたらしい。こっちも身元は分かっているから、邪な思いを抱けばなんだってできる。だからこそ交渉も強気にいけた。

 何より男のプレイ内容の言いなりになったのだ。身体を張った分だけの見返りを受け取れたのか三奈には判断がつかないけれど。

 シャワー室に向かい丁寧に身体を洗う。それからゆっくりと全身を拭き取る。

 鏡に映る自分を見てため息をひとつ落とした。右肩に噛み跡。左腿は内出血をしていて、背中には無数に浅い切り傷があった。出血まではない。あくまで皮だけ。確かきちんと消毒したカッターナイフだって自慢げに話していた気がする。

 服を着てホテルの一室を出る。ここのホテルはよく使っているから今が現実であることを切実に実感してしまう。

 時間の感覚が狂っている。スマホを見れば12時を過ぎていた。曜日は日曜日。雑多と猥雑が犇めく通りをひとりで歩くのは物凄く心許ない気がするけれど、同時に新たな男の候補を捕まえられる機会かもしれないから、そんなに悪い気はしない。

 時間帯のせいなのか、不倫カップルは見受けても正常なお付き合いをしていそうな二人組とはすれ違わなかった。素行の悪そうな野郎にもまた然り。

 ランクの高いホテルはだいたい通りの中ほどにある。私が出てきたホテルはまさに通りのど真ん中だった。そこから路地の入口に向かうほどに、格式は下がっていく。

 エロをどこに見出すか。そこにかかっているのだろう。今日の私の相手みたいにアンダーグラウンドな性癖を持つなら高級なホテルにするだろうし、とにかく健全にイッパツやりたいだけなら、あるいは本気で愛し合っているなら、場所なんて外じゃなければどこでもいいと古臭いホテルを選ぶ。財布との相談。自分の捌け口との兼ね合い。

 女からしたらやはり、上等な部屋の方が自分を大事にしてくれてると思うのだろうか。そんな女がいたらぜひとも会ってみたい。すぐにでも掲示板に晒して無数の男に犯してほしい。

「男は中身なんだよなあ。実際」

 互いの秘密を貪れるのはそこに若さがあるからだ。なにも熟女を否定しているわけではない。あくまで機能的な問題だ。そうなってみると、やはり番えられるうちに結婚や出産をするというのは、なるほど合理的な選択なのだろう。

 私には関係ないけれど。

「だからさぁ。ちょっと休もうって言ってるだけじゃん」

 ホテル街の一本道を外れると思い出したように健全さに溢れかえった街並みへと変化する。まるで異世界ワープでもしたかのように、この地の変装は完璧だ。初見殺しという異名を持っているだけあって、ここで誘われ泣き寝入りをする女性が多いと聞く。

「だって。こ、ここ、ここって。ラブ、ホテルですよね」

「いやだからさ。変な意味じゃなく疲れたからさ。ね、休んでこ」

 見るからに底辺そうな男が誘い込んでいるのは、ホテル街の一番端っこの安宿だった。


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