16.襲撃者①

 狼マスクの集団はハインリッヒに向かって様々な魔術攻撃を加えた。炎、氷、雷撃、毒、爆発、魔力の矢……それらは全てハインリッヒが作り出したシールドによって無力化されてしまう。


「質はそうでもないようだな」


 自分の想像よりも相手の力量が下である事を確認したハインリッヒは、ようやく勝てる自信がついた。実のところ、今の今まで本当に勝てるか不安だったのだ。


 ハインリッヒはお返しとばかりに魔力の矢を放つ。彼の周囲に幾つか魔方陣が現れ、純粋な魔力で構成された矢を撃った。威力の強さを示すような、銃声並みの発射音を発して。


 回避は不可能だった。ハインリッヒの正面にいた三人の身体が一挙に弾け飛ぶ。爆散と言って良い。その威力に狼マスクの集団はあからさまに動揺を示したが、何か思い直したようにハインリッヒを取り囲んだ。


「コイツら、連携だけは一丁前に……!」


 ハインリッヒは魔術攻撃の猛雨にさらされた。必然的に高硬度のシールドで自分を守らねばならなくなる。実は、狼マスクの集団にはとある狙いがあった。


 魔術戦において、魔力の管理は必須事項である。これが出来ないうちはどんなに強くても素人として扱われる。いかに効率良く魔力を使い、洗練された戦いをするか。それが戦闘魔術師の価値基準なのだ。


 その論理で見ると、ハインリッヒは素人同然の魔術師である。高出力・高威力の魔術。それは確かに強い。だが、強力な魔術だからこそ、消費される魔力量はバカに出来ない。


 狼マスクの集団はハインリッヒが魔術を使った時、その常識はずれな出力に恐れはしたが、同時にこうも思った。──魔術一つにあれだけの魔力を消費したら、すぐに魔力切れを起こすに違いない。囲んで押せば勝機はある。


 狂人にしか見えない狼マスクの集団は、戦術眼だけは常識的だった。数的有利を生かし、時間をかけて追い詰める。それは魔術戦に慣れた者たちの、当然の発想なのだ。


 だが悲しいかな。今回の相手は格が違った。千年をかけて魔力保有量を増やし続けたクルツバッハ家の次期当主の魔力量は、それこそ常識外だった。魔術を撃ち込み続けていた狼マスクの集団は、徐々に違和感に気づき始める。


 高硬度のシールドなど、普通はほんの数十秒で消滅してしまうはずだ。なのに全く破れる気配が無い。外付けの道具で魔力量を増やしているにしても、異常な量だ。


 魔術攻撃の勢いがほんの少しだけ弱まる。そこから狼マスク集団の当惑を何となく感じ取ったハインリッヒは、シールドの中でほくそ笑む。


(コイツがいて助かった……)


 ハインリッヒは服の裏側に隠しているシェイプシフターに触れた。偽魔導書から高濃度の魔力がハインリッヒに供給される。


 生態不明のシェイプシフターと触れ合う内、ハインリッヒはとある事実に気づいた。それは彼──シェイプシフターに性別は無いので、これはハインリッヒによる愛称──がその小さな身体に膨大な魔力を秘めているという事。長い間魔力の濃い魔界に住んでいた影響で、〝本人〟も知らず知らずの内に魔力を取り込む機能を獲得していたのだ。


 それに気づいたハインリッヒは、自分と偽魔導書を結び付け、任意に魔力を〝奪える〟ようにしたのである。当然シェイプシフターは抗議の意を示したが、ハインリッヒは対価として家にある魔導書を差し出した。シェイプシフターは擬態の効果を高める為、擬態対象の情報を常に求める生態があった。


 正当な取引によってシェイプシフターとの協力関係を構築したハインリッヒは、その契約内容を遠慮無く利用していた。偽魔導書から魔力を取り込み続け、シールド魔術に使用する。狼マスクの集団が魔力切れによって攻撃を止めてしまった後も、ハインリッヒのシールドは万全の状態にあった。


「化物……」


 狼マスク集団の一人が呟く。近くにいた仲間が言葉を発したその男の方を向いた。〝任務中〟は言葉を発してはならないといわれているのに。


「素人の俺にはかなりキツかったが、ようやく打ち止めか?」


 ハインリッヒは右手を軽くスナップした。彼を囲うように魔方陣が発生し、同時に魔法の矢が包囲中の集団に襲いかかる。


 狼マスクの集団はそれぞれがなけなしの魔力を使い、シールドを張る。が、シールドの硬度に魔法の矢は打ち勝った。集団は次々と矢に貫かれ、砕かれ、爆散していく。


 一斉射の後、ハインリッヒを囲んでいた敵は一瞬で壊滅状態に追い込まれた。残っているのは自身の右腕がちぎれた事に驚愕しているただ一人だけだ。


「終わった?」


 ハインリッヒが頭上を向くと、戦闘衣装を返り血で汚したセラフィーナが降りてきた。


「もう敵を殲滅したのか?」


 黒のランジェリーを脳裏に焼き付けつつ、ハインリッヒは訊ねた。


「雑魚以外の何者でもないわ。あなたの方が時間かけすぎ」

「まともに戦ったのはこれが初めてなんだよ」

「どうりで。下から魔力波長をずっと感じてたわよ。少し訓練した方が良いわね」

「君が教官かい?」

「私以外に誰がいるの。厳しくしてあげるからね?」


 愉悦を含んだセラフィーナの笑みにハインリッヒはたじろぐ。


「……で、この苦しんでるバカはどうするの?」

「どこか人気の無い場所に連れていって、そこで情報を聞き出そうと思う」

「ああ、尋問ね。一度やってみたかったの」


 上機嫌に髪をなびかせるセラフィーナ。大鎌を持ち直し、その切っ先を狼マスクの男に向ける。


「いきなり襲って来たんだもの。それなりの覚悟はあるんでしょうね?」

「……」

「あら、だんまり? フフフ。まあ、あと少ししたら嫌でも話す羽目に──」


 特段の予備動作も無く、狼マスクの男は胸ポケットから何かを取り出した。それは小さなシリンジで、中には透けた赤い液体が入っている。


 男はシリンジを自分の首に突き刺し、一気に内容物を注入した。たちまち血管が膨張し、男の目が赤くなっていく。


「セラフィーナ!」


 ハインリッヒに叫ばれずともセラフィーナには分かっていた。全てがひっくり返る前に、男の首を落とす。


 大鎌を振るうスピードからして、男の首は飛ぶはずであった。だが、セラフィーナの一撃を男は片手で防いだ。刃を素手で掴んだのである。


「はあっ?!」


 驚異的な反射神経にセラフィーナは普段の振る舞いからは想像出来ないような声を出してしまう。刃を掴んだ男の左手は、黒い毛に覆われ肥大化し、鋭利な爪が伸びていた。


 さらに驚くべき事に、千切れたはずの右腕が再生し、左腕と同じように黒い毛に覆われ、同時に男の身体全体に変化が起き始めた。


 鼻が伸び、耳が頭部に移動して獣のそれに形状を変え、黒い毛むくじゃらの筋肉が服を突き破って現れる。おぞましい光景にハインリッヒとセラフィーナは立ち尽くす。ややあって完全な四足歩行の生物に変化すると、男は地の底から響くような声で叫んだ。


「オオオォオアアアアァッ!!」

「ヤバい!」


 ハインリッヒはセラフィーナを片手で抱きしめ、咄嗟に空中浮遊の魔術で近くの屋上に飛んだ。二人が地面から足を離したのと同時に、怪物と化した男が右腕を振り下ろし、衝撃波を発生させた。


「何なの?!」

「ウェアウルフだ」

「ウェアウルフって……えっ、あの?!」

「それ以外に何があるってんだ」

「月が出ている夜じゃなきゃ変身出来ないんじゃないの?!」


 セラフィーナの問いにハインリッヒは頭を抱えそうになったが、すぐに思い直す。


「それは俗説だよ……。ウェアウルフは昼夜関係無く変身出来る」


 狼の怪物、夜闇の狩人、ウォーウルフ、ライカンスロープと様々な二つ名がある怪物、ウェアウルフ。吸血鬼と同様、人間に紛れて暮らしている魔物だが、多くの人間がある勘違いをしている。それは〝夜にしか活動出来ない〟という説である。


 様々なおとぎ話の題材にされているウェアウルフだが、多くの物語で月夜の森を駆け抜け、迷い込んだ人間を狩り殺すような描写がなされている。そのせいで人々は〝ウェアウルフというものは夜にしか活動出来ない魔物である〟と思い込んでいるのだ。


 当然、ハインリッヒのように研究志向の魔術師は魔物の生態を熟知しているのだが、中にはセラフィーナのように名門ながらも世間の巷説程度の知識しかない者もいる。


「っていうか、君は戦闘魔術師だろ。魔物の生態は知ってないとマズイんじゃないのか?」

「だって領地では魔物なんか出てこなかったんだもの」

「それにしたって基本的な知識くらい……」


 二人の会話はそこで打ち切られた。ウェアウルフが二人と同じ建物の屋上に上がってきたのだ。


 どうやら怪物にはハインリッヒとセラフィーナがこの上ない獲物に見えているようだった。口からは涎を垂らし、血走った目は二人を凝視して放さない。


「きっ、気持ち悪っ! 勘弁して!」

「逃げても無駄だろうな。ここで倒すしかあるまい」

「あなたねえ、私が相手するからって──」


 セラフィーナは気配の奔流とも言うべきものを察知した。気づけばウェアウルフが目の前にまで接近している。その鋭利で巨大な爪がハインリッヒとセラフィーナに向けて振り下ろされる。


「ヤバッ!!!」


 二人はそれぞれ別方向に避ける。ウェアウルフの爪は空を切り、衝撃波を発生させた。


 セラフィーナにとってさっきまでの戦闘は〝お遊び〟のようなものだったが、今は違う。本気で殺らなければ、こっちが殺られる。


「援護して!」


 ハインリッヒに叫びセラフィーナは行動を開始した。ウェアウルフはハインリッヒの方を向いていたが、魔法の矢が眼前をかすめた事で集中力が断たれる。自分の邪魔をするのは誰だと言わんばかりに矢の飛んできた方向を見ると、白色の戦闘衣装に身を包んだ少女が挑発していた。


「ほらほら~、私を捕まえてご覧なさ~い?」

「ゴアアアアッ!!」


 挑発に乗ったのか、はたまた単純にセラフィーナを最初の獲物と見なしたのか、ウェアウルフは咆哮して伯爵令嬢に突進した。その様はまさしくウォーウルフの異名にふさわしい威容である。


「頭は良くないのか……なら!」


 セラフィーナはタイミングを見極め、ウェアウルフが自分を攻撃する瞬間にジャンプした。黒々とした爪が横向きに振るわれた時、セラフィーナは空中で優雅に舞っていた。


 大鎌の刃が怪物の背中に深く突き刺さる。セラフィーナは手応えを感じたが、それはほんの一瞬に終わる。ウェアウルフは勢い良くセラフィーナの方を向くと、振り向きざまに爪を振るう。


 セラフィーナは回避動作に入ったが、爪は戦乙女の背中をかすめた。激痛が少女の背中を走る。


「!!」


 着地したセラフィーナは、思わず膝をついてしまう。久しぶりの負傷。傷の痛みを彼女はすっかり忘れていた。痛覚神経が総動員でセラフィーナの足を引っ張っているようだ。


「クソ……」

(傷が……ただの爪じゃない?!)


 背中の傷はゆっくりと広がっていた。痛みがじわじわと広がっていき、セラフィーナは思わず嗚咽を漏らしてしまう。


「──っ」


 パートナーの窮地に、ハインリッヒは即座に対応した。上級回復魔術でセラフィーナの傷を塞ぎ、さらに強壮効果で彼女の気力を回復させる。


 ハインリッヒの回復魔術の効果にセラフィーナは内心で驚いた。傷の回復だけでなく、体力や気力にまで影響を及ぼすとは。名門中の名門というのは伊達ではないという事か。


「強化魔術もくれてやる」


 そう言ってハインリッヒはさらに強化系魔術でセラフィーナをサポートする。俊敏化、痛覚鈍化、反射神経向上、魔力のシールド……思い付く限りの強化魔術をセラフィーナに付与した。


 一通りの魔術を受けた後、セラフィーナは世界の見え方が変わったかのように清々しい気分になった。何者も自分を止める事は出来ない。そんな気すらしてしまう。


 自信過剰になっている自分に少し驚くと同時に、ここまで強化魔術を行使出来るハインリッヒにある種の情愛が浮かんだ。


(私にここまでしてくれるなんて……)


 ハインリッヒへの恋愛感情は無いが、この時ばかりは彼への感情が糧となった。すっかり気力を取り戻したセラフィーナは、大鎌を軽く振るってウェアウルフと相対する。


「今度はこっちから行くわ!」


 後ろ向きに大鎌を構え、セラフィーナは突進した。


 ハインリッヒの強化魔術で身体能力を強化されたセラフィーナは、転移と見紛うほどのスピードで人狼に肉薄する。その速さたるやウェアウルフの動体視力でも捉えきれないほどだ。


 大鎌が振り下ろされる。怪物は右手の爪でそれを受け止めたが、パワーが違った。爪にヒビが入り、根元の部分から折れる。ウェアウルフは驚愕に目をみはり、セラフィーナは微笑む。


 一秒に満たない時間で、セラフィーナは大鎌の長柄を逆手に持ち変え、そのままウェアウルフの右腕を切り落とした。大鎌の刃に込められた魔力が青紫の残光として煌めく。


「ガアアアアアッ!」

「また右腕が無くなったわね!」


 快哉のような声を上げ、セラフィーナはまた一瞬で距離を取る。ウェアウルフはすっかり我を忘れ、セラフィーナを虐殺するべく咆哮と共に突進した。


「学習しないやつ!」


 軽く大鎌を回転させ、余裕を見せるセラフィーナ。次で決める。そう決心した戦乙女は、自身もウェアウルフに向かって突進する。


 大鎌の刃と、怪物の鋭利な爪が交差する。それはやはり数瞬の出来事だったが、動体視力を魔術で強化し戦闘の様子を見ていたハインリッヒには分かった。セラフィーナの勝利だ。


 互いに数秒前とは正反対の位置に立ったセラフィーナとウェアウルフ。セラフィーナが自身の髪を得意げになびかせると、人狼の身体から血が噴き出した。


「──ッ」


 魔物に言葉は無い。怪物は遺言も何も残す事なく倒れる。そして二度と立ち上がらなかった。




 


 


 


 


 


 




 


 


 


 


 

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