3.遭難③

 リミルスの言葉にハインリッヒとセラフィーナはまじろいだ。


「使徒って、魔王の下僕のことでしょ?」

「俺たちになれって言うのか」


 魔王たちは人間界に介入する際、直接その身を晒すようなことはしない。大抵の場合、自分を信奉する信者などを利用する。人間界においては魔王を崇拝するカルトが無数にあるので、その中から使えそうな人材を選んで働かせるのだ。


 そして魔王に何かしらの命令を受けた人間は俗に〝使徒〟と呼ばれる。使徒に選ばれた人間は、強大なる魔王の無理難題をこなす為に奔走することになり、多くの場合は悲惨な運命をたどる。


 だが、中には命令を見事にこなし、魔王の歓心を得て報奨を得る者もいる。


 帝国で最も有名な話に、アルサン・エウールという騎士の逸話がある。クレーフェルト地方のある貴族に支えていた彼は、主君に妻を奪われた上、覚えの無い婦女暴行の罪で追放された。何年も仕えていた主君に裏切られたアルサンは自失状態になってしまったが、そんな時に一人の魔王が彼の前に現れた。


 その名は〝グルギアス・オプトマス〟。暴力と憎悪を司り、魔王と聞いて多くの人間が想像するような、頭部におぞましい角を生やした化物であるとされる。アルサンの惨状を見ていたグルギアスは、アルサンに魔族としての力を与え、かつての主君を血祭りに上げよと命令した。


 魔王の命を受け、帰ってきたアルサンは、アンデッドの軍隊を率いて人々を虐殺し、死体を槍にさして道に並べていった。領民は殺害対象ではなかったのだが、アルサンにとってそれは関係の無い事であった。そして主君を生きたまま切り裂いた後、元妻の首を槍に掲げて狂喜しながらグルギアスへの忠誠を誓ったのだ。


 その様子を見たグルギアスは大変満足し、アルサンを魔族に変えて自分の軍勢に引き入れた。以降アルサンは〝ミラス・ハイリ〟と名を変え、暴力と憎悪を司る魔王グルギアス・オプトマスの騎士として人間界に現れるようになったという。


『お前たちを見込んで言っているのだ。お前たちの世界には実に多様なアーティファクトで溢れている。それに下僕だなんて卑下するな。下等生物であるお前たち人間が、私の使徒になるのは二千年と五百年ぶりだ! お前たち基準では途方も無い時間だろう?』


 使徒の逸話を幾つも知っている二人は、まるでセールスマンのような宣伝ぶりを披露するリミルスにも不信のまなざしを向けていた。


「それはまあ、そうだけど……」

「けど、こっちにメリットがある訳じゃないし。っていうか、あなたの使徒になったら死後はあなたの領域に魂が行くんでしょう?」


 この世界の人間の魂は、通常は神々の住む天上という領域に行き転生までの時間を過ごす。だが、例外として魔王と関わりを持った人間の魂は、その魔王が治める領域に行き、そのまま領民として永劫の時を暮らす羽目になる。魔王は合計で十柱いるとされているが、統治している領域はそのどれもがおぞましく過酷な環境であり、人間の魂が耐えられる場所ではないとされる。


『その通りだが、私の領域は別にお前たちのように貧弱な存在でも生きていけるような場所だぞ? 定期的に降り注ぐ流星雨を防げるなら、だが』

「じゃあ嫌よ!」

「落ち着け、セラフィーナ嬢。そもそもコイツの言っていることが全部本当だと決まった訳じゃないぞ」

『用心深いヤツだな。まあ、バカ正直に私の言うことを聞くよりは良いか。しかし安心しろ。少なくとも変な悪ふざけは無しだ』

「悪ふざけの基準を擦り合わせることから始めたいね」


 ハインリッヒは皮肉を漏らした。


『お前たちが力不足だと言うなら、特別に道具を貸してやろう』

「待ってよ、まだあなたの使徒になるって言った訳じゃないんだけど」

『この期に及んで拒否権があると思っているのか?』

「……」


 セラフィーナは歯噛みする。ハインリッヒが諦めたように肩をすくめた。


「これで死後はリミルスの領域に行くことになるな」

「私は嫌よ。というかあなたはどうしてそんなに落ち着いてるの」

「落ち着いてないさ。むしろ胸がはち切れそうにバクバクしてる。けど、アーティファクトの回収くらいなら俺たちでも出来るじゃないか。これでどこかの国を滅ぼせだとか言われたら大変だった」

『そういうことだ、魔術師の女。どうせ簡単な仕事だ。それに自慢じゃないが、私は良き働きをする者には魔族も人間も関係なく報奨を与える。永遠の美貌とかな』

「永遠の……」


 セラフィーナの目の色が変わる。態度の急変にハインリッヒは思わずため息をつきそうになった。


「永遠の美貌もいいが、突然裏切るようなことはしないでほしいな」

『それは約束しよう。お前たちには目一杯働いてもらうつもりだからな。では、いろいろと道具を渡しておこう。後で必要になるだろうからな』


 ハインリッヒとセラフィーナの目の前に局所的なゲートが開く。虚数空間の彼方から、二つのアーティファクトが渡された。


『何個か持ってるやつだ。壊してしまっても構わんぞ』


 ハインリッヒが渡されたのは魔導書だった。紫色の表紙で、ハインリッヒが受け取ると中心部分についているが開き、黄色い瞳が銀髪の少年を睨み付けた。


「気持ち悪っ!」


 一方、セラフィーナは槍のように長い得物を受け取った。メカニカルな装飾で、先端には赤い球体が浮遊している。魔術的な産物というよりも工業製品のような印象をセラフィーナは抱いた。


『それらは大昔の統一皇国とかいう大層な名前の国で作られた物だ。よく考えて使えよ』

「皇国って……滅亡したのは二千年も前の話じゃ」

『そうだな。あの時は多くの人間が私と取引を望んだ。家族だけは安全な場所に匿ってくれ、財産を守ってくれ、国の滅亡を止めてくれ、とかな。面倒くさかったからほとんどの連中は魔物に変えてしまった』


 何のことでもないかのように、かくもおぞましいことを語る。やはり魔王だ。ハインリッヒとセラフィーナは心底から誓った。目の前のコイツには逆らわないでおこう、と。


『私が欲しいのは皇国時代のアーティファクトだ。今も大陸中に多く散逸している。それを持ってこい。その魔導書が場所を示してくれるだろう』


 ぎょろりと黄色い瞳がハインリッヒとセラフィーナを交互に見やる。


『では行け。せいぜい私を楽しませるが良い』


 石像の左の掌の上にあった光球が、さらに光を増す。部屋全体が神々しいまでの輝きに包まれ、ハインリッヒとセラフィーナの視界を覆った。


「……!」


 *


 視界が戻った時、二人はどこかの洞窟の前で立ち尽くしていた。


「……夢じゃないみたいだな」


 汚れた自分の服を見て、ハインリッヒは先ほどまでの出来事が現実だったことを確認した。


「そうね。幻覚ではないみたい」


 セラフィーナがいつの間にか身に付けているネックレスを見て忌々しげに言った。それが先ほど受け取った武器が縮小化したものだということは自明の理だった。


「あれ、俺の魔導書は?」


 そう言うと、何も無い空中から魔導書が現れ、ハインリッヒの手元に落ちた。黄色い瞳がじっと少年を見据えている。


「呼び出すと来るのか……」

「それでここはどこなの? 実習で入った遺跡からかなり離れてるようだけど……」


 その時、どこからともなくヘリコプターのローター音が轟いてきた。空を見上げると、帝国軍の制式ヘリコプターZー96が飛んでいた。


「まさか捜索隊?」

「おーい! おーい……って、叫ぶ体力すら無いんだった……」


 自分が疲労困憊の状態だったことを思い出したのか、セラフィーナは足をふらつかせて倒れそうになった。


「しっかりしろ。せっかく生き延びたんだからな」

「これから先が大変なんじゃない」

「それはそうなんだけど」


 はにかむハインリッヒ。そんな彼をセラフィーナは真顔で見つめる。


「何、どうした」

「生き延びたんだから、約束守ってくれるわよね」

「えっ? ああ、忘れてたと思った……」

「忘れるもんですか! 一生に一度のチャンスをモノにしたんだから!」

「ハイハイ、分かったよ。 叔父様に相談するから」

「本当なのね? 私をっていう話」

「だから叔父様に相談するって」

「なるべく早くね。ああ! 名門中の名門の家に嫁入りできるなんて! 財産も思いのままね! なんだか疲れが吹き飛んじゃった!」


 踊り出しそうな勢いで自分から離れたセラフィーナを遠目に、ハインリッヒはひとりごちた。


「元気付ける為に言ったが、まさかここまで本気になるとは……」


 その後、二人は無事に救出された。そこは魔術戦実習に使われた遺跡から十キロも離れた洞窟の入り口だった。


 


 


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