クロニクル・アレンジア~美少女婚約者と一緒にアーティファクト集め~

不知火 慎

1.遭難①

 アレンジア大陸全土を支配していた超大国〝統一皇国〟が滅び去って数千年。皇国の後継国家を自称し版図を拡大し続けるロドレジア帝国において、ある事件が起きた。帝国魔術学院の二期生二人が、皇国時代の遺跡で行われていた考古学授業の実習中に遭難してしまったのである。


 その遺跡は学院と学芸省による事前調査と整備によって安全性が担保されていたはずだった。だが、やはり数千年という時間をかけて風化した遺跡の状態が万全なはずはなく、件の二人は突如発生した床の崩落に巻き込まれ、行方知れずとなったのだ。


 遭難したのはクルツバッハ侯爵家の嫡子ハインリッヒと、ラインカイネン伯爵家の令嬢セラフィーナ。どちらも名門貴族の子息子女であり、その命は同い年の平民百人にも勝る貴人とされていた。


 学園上層部が上へ下への大騒ぎをしながら捜索を行っているまさにその頃、二人は光が届かないほどの下層で道に迷っていた。


「道が塞がってる。多分、俺たちのよりも遥か昔に起きた崩落のせいでな」


 ハインリッヒが言った。銀色の髪が光によって輝きを放っているように見えるが、透明に近い灰色の瞳には疲労感がにじんでいる。


「最悪。これで何回目?」


 セラフィーナは長い縦ロールにしたプラチナブロンドの髪を苛立たしげにいじっていた。澄んだ水色の瞳はハインリッヒに指すような視線を投げかけている。


「そうイライラしないでくれ。少しずつでも道を潰していけば、いつかは上への道に……」

「いつって、何時? 確かに三十分前にも同じようなことを聞いた気がするんだけど」


 もはや苛立ちを隠さず、セラフィーナは忌々しげに言う。それを耳にしたハインリッヒは、数時間前から溜まっていた鬱憤うっぷんが遂に抑えられなくなってしまった。


「……ああもう、文句ばっかり! 一体何様のつもりだ?!」


 男子にしては高い中性的な声でハインリッヒは叫ぶ。その端正な顔立ちは怒りによって激しく歪んでいた。


「何様ですって?! 指標も無くフラフラ歩き回っているあなたに言われたくないわ!」


 対するセラフィーナも負けじと声を張り上げた。罵声ではあるが、鈴を転がすような耳心地の良い響きなのは疑いない。彼女も隔絶した美貌を持っていたが、ハインリッヒと同様に理性を失った怒気によって歪んでいる。


「何だとォ?! 地上に続く道を探そうって言ったのは君じゃないか! もう忘れたのか?」

「こんな適当に歩き回るとは思わなかったもの!」

「だから行き止まりの道を潰していっているって言ってるだろうが!」

「ああそうですか! じゃあ正しい道が見つかるのはいったい何時になるのかしらねェ?!」


 ハインリッヒとセラフィーナは臨戦態勢と言うべき状態にあった。何かの拍子で魔術戦に移行してしまいそうな雰囲気が漂っている。


 だが、幸いにも激発はしなかった。激烈な感情の中に、冷然とした現実感覚が潜んでいたのだ。ここでやりあったら、本当に生還のチャンスを失ってしまう。その認識が二人を抑えた。


 顔を突き合わせていたハインリッヒとセラフィーナだったが、不意に熱が冷めた。奥底にあった現実感が急浮上し、二人の理性を呼び覚ましたのである。ハインリッヒもセラフィーナも、まるであらかじめプログラムされていたかのような動作で壁に寄りかかった。


 魔術で強化され、ほのかに輝いている水色の瞳をセラフィーナは両手で塞いだ。


「私たち、何してるんだろ。こんな場所で死ぬの? 誰の助けも来ずに?」

「捜索は行われてるよ。俺たちは貴族だから」


 ハインリッヒの発言は己の身分を笠に着た傲慢な物言いに聞こえるが、そうではない。帝国の支配者階級である貴族は、例え子弟であっても重要な存在なのだ。万民を統括し、帝威を知らしめる役割を生まれながらに担っている貴族を帝国は簡単に見放さない。だからハインリッヒの発言は事実を指摘しただけで、そこに自慢や驕り高ぶりといった意識は皆無だった。


 しかし、これでは捜索隊も自分たちを見つけられないかもな。ハインリッヒはそうも考えていた。いったいここはどれほど下の階層なのか、皆目見当がつかない。壁や天井の装飾は上層のそれと異なっているし、生物の気配も存在しない。


 ハインリッヒはずっと手に持っている小型の携帯機器の画面を見た。それは学院から支給された物で、持ち主の足跡を元にマップを作成する機能が備わっている。


 画面には、二人がこれまでに歩いた軌跡がしっかりと記録されていた。それによると、今自分たちがいる場所は迷路並みの複雑さを呈し、出口へと続きそうな道は存在していないという事が分かった。


 それにしても、こんなに統一皇国の遺跡にこんなに無秩序な通路があるのだろうか。製作者の意図が全く理解出来ないほどの乱雑さで、壁や天井に刻まれた精巧な装飾がむしろ不気味さを増している。


 ここは何かが変だ。明らかに上層の遺跡とは違う。あまり長居するのは良くないかもしれない。


 そんな直感がハインリッヒを立ち上がらせた。向かい側の壁に背中を預けて茫然としていたセラフィーナの腕を取る。半ば絶望しているようなその表情にハインリッヒは場違いにも美しいと感じてしまう。


「休憩はおしまいだ。行こう」

「どこに……?」

「どこでもだ」


 ハインリッヒは適当に答えた。まさか永遠に座っている訳にはいかない。救助隊に見つけてもらう為にも、ハインリッヒはセラフィーナを無理やりに立ち上がらせ、手を引いて来た道を戻り始めた。


 暗闇の中でも目がハッキリ見える魔術を使っている為、二人は常時魔力を消費している状態にある。そして魔術師は、魔力を失うと著しく弱体化してしまう。その前に何とか上層へ続く道を見つける必要があった。


 ハインリッヒは最初に落ちてきた場所に戻ってきた。崩れた床が小山のようになっている。


 もはややる気の無いセラフィーナをよそに、ハインリッヒは魔術で聴力を強化する。魔力消費が辛いが、出し惜しみしてはいられない。


 ややあって、どこからか水の流れる音がしてきた。川か水路か、どちらにせよ地上に続いている可能性はある。ハインリッヒはそう思い込むことにした。


「水が流れてる」

「どっち?」

「こっち」


 ハインリッヒは柱が倒れて通路を塞いでいる道を指さした。


「こんな場所で死にたいのか?」

「死にたくないけど……」

「なら行くぞ」

「ちょっと、引っ張らないで!」


 二人は倒れた柱を乗り越え、横幅五メートルはある通路を進み始めた。


 しばらく歩くと、人工の壁や床が途切れ、巨大な空洞に足を踏み入れた。そこには地下湖があり、空洞上部のそこかしこから水路が伸び、どこからか水を湖に届けていた。


「行き止まり……」


 セラフィーナの言葉には隠しきれない失望の念が含まれていた。


「もうダメね。私たちはここで死ぬんだわ」


 その場にへたりこみ、セラフィーナは瞑目した。


「もういい。殺して。覚悟はできてるわ」

「急にどうした」

「破滅の美学って言うでしょ。ここで干からびるくらいなら、まだ綺麗なままで死にたいわ」

「自分の容貌に随分と自信があるんだな」

「悪い? 少なくともそこらの凡百よりは上でしょ?」

「それは認める。だがな、まだ諦めるには早いぞ」

「あなたが意固地なだけよ」

「そう言うな。よく見ろって。各所の水路から絶え間なく水が運ばれてるっていうのに、この湖は全く溢れてない。本来だったらこの空洞は水で満杯になっているはずだぞ」

「……」


 セラフィーナは顔を上げ、各所から突き出ている水路と湖に視線を走らせた。少女の疲労にあえぐ頭脳がある推論を組み立てていく。


「……まさか」

「思いついたか? 湖の底にはさらに穴があるってことだ。じゃなきゃ溢れない理由が説明できない」

「そうね。あなたが次に何を言おうとしているのかも予想できたけど、私は賛成しないからね」

「何を言おうとしてるって?」

「潜るって言うんでしょ!」


 ハインリッヒは人の悪い笑みを浮かべた。


「他になす術があるって言うのか?」

「これ以上どこに行こうって言うの。そもそも湖の底に穴があったとしても、また下に行くだけじゃない。上層からどんどん離れていくでしょ」

「上に続く地下洞窟にたどり着くかもしれないぞ」

「なんでそんなに楽観論が思いつくの? 頭おめでたいの?」

「違うよ。能力の限り足掻あがこうとしてるだけだ。……なあ、もう少し頑張ろう? ダメなら一緒に死んでやるから」


 一体自分は何を言っているんだろうとハインリッヒは思った。死ぬ気など更々無いのに。だが、こんな美少女と死ぬなら悪くはないと思ったのは事実だ。


「別にあなたと心中する気は無いわ。そこの湖に私を沈めてたら、後は好きにしなさい」


 セラフィーナは頑固だった。体育座りの状態で、スカートの隙間から下着が見えているのにも気づかないほどに。


「本当に死ぬ気か? 俺に殺させるのか?」


 ハインリッヒはセラフィーナの虚ろな表情を見ながら言った。


「由緒正しい貴族であるクルツバッハ侯爵家の跡取りに殺されるなら良いわ」

「俺のことを知ってるのか?」

「本気で言ってるの? 王朝開闢かいびゃく以来続く名門を知らない貴族なんてモグリよ」

「それを言うなら、俺だって武官貴族の名門であるラインカイネン伯爵家のご令嬢を殺したくはない」

「……」


 セラフィーナの眉がわずかに動く。


「もし一緒にここから脱出できたら、そうだな……」


 ハインリッヒはセラフィーナの耳元で囁く。ややあって、光の消えかかっていた伯爵令嬢の瞳が彩度を取り戻した。


「それ、ホント?」

「食いついてきたな」

「嘘じゃないのね。あなたにはいないのね?」

「ああ、今のところは」


 セラフィーナはわずかに首を傾け、地面に視線を下ろす。ハインリッヒは彼女の顔に生気が戻っていくのが分かった。


「どうだ?」

「……癪だけど、そう言われたら死ぬ気が無くなって来たわ」

「案外チョロいな」

「……約束守りなさいよ」

「大丈夫だって。──水中呼吸の魔術は使えるよな?」

「バカにしないで。それくらい朝飯前よ」


 二人はそれぞれ自分に魔術をかけると、ゆっくりと湖の中に入っていった。


 水は不自然なほどに澄んでいて、生物の類はいなかった。その代わり、崩れた石柱が点在していて、そこが元は遺跡の一部だったことを物語っている。


 ハインリッヒはセラフィーナと並んで泳ぎ始めた。


 しばらく進み、二人は望みのモノを発見する。


(……やっぱりあった)


 ハインリッヒの予想通り、湖の底には穴があった。そこから水が絶え間なく抜け出ているおかげで、湖が溢れていないのは確実だった。


 セラフィーナにジェスチャーで水底の穴を示す。セラフィーナは軽くうなずき、ハインリッヒに先導するよう顎を振った。


 穴に近づくにつれ、二人は水流が強まっていくのを感じ取った。いずこかへ続く穴は、直径四メートルほどの歪な円を描いていて、少なくとも自然に出来上がったものではないことが分かる。


 目と鼻の先にまで着いたところで、ハインリッヒはセラフィーナの手を取って引っ張った。


「?!」


 セラフィーナが何かを言おうとしたが、水中では喋れない。ハインリッヒはセラフィーナを抱き締めると、そのまま穴の中に吸い込まれていった。


 





 


 

 


 

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