25
迎えた土曜日。僕は駅前で陽希を待っていた。八時半。約束の時間より三十分早い。家でじっとしていられなかったのだ。おそらく陽希は時間ギリギリにやって来るだろう、と思っていたのだが、十五分前に来た。
「おっ、早いなぁ千歳。俺も早かったのに。そんなに楽しみだったの?」
「……否定はしない」
電車に乗り、映画館が入っている商業ビルを目指した。映画館に行くのは小学生の時以来だ。エレベーターに乗ってフロアに着いた途端、甘い匂いがした。
「陽希、この匂い何……?」
「多分ポップコーンだよ。食う?」
「うん!」
カラオケの時もそうだったが、映画のチケットも機械で買うらしい。またしても陽希に任せてしまった。
「俺、後ろの方が好きなんだけどそれでいい?」
「陽希に合わせるよ」
それからポップコーン。一番大きいやつ。それとドリンク二本でお得になるセットがあった。陽希がそれを持ってくれて、座席へと向かった。
「はい、千歳、あーん」
「やめてよね。それやってたらいつ終わるかわかんない」
僕は自分でポップコーンを口に放り込んだ。キャラメル味だ。ちょっと塩も効いていて美味しい。土曜日だということもあってか、席がどんどん埋まっていった。まだ場内は明るかったが、話している人はほとんどいなかった。僕も黙ってスクリーンを見つめた。
そして、いくつかの他の映画の宣伝や、映画マナーの映像が流れた後、本編が始まった。
「……凄かったね、陽希」
エンドロールが終わり、他のお客さんが席を立つようになっても、僕と陽希はその場を動けずにいた。僕が滅多に映画を観ないというせいもあるだろうが、あまりの迫力に圧倒されたのだ。
「ねえ陽希、そろそろ……えっ」
陽希はごしごしと顔を袖でぬぐっていた。
「えっ、泣いてたの?」
「だってさぁ……もうダメかと思ったのに結ばれたじゃん? 俺、すっげー嬉しくて。グレキャの曲聴いてたら余計にじわっときて」
映画の後半はどんでん返しが続き、ハラハラした。僕もラストシーンを観るまではバッドエンドで終わるんだと諦めていたくらいだ。
「なんか俺、千歳に泣き顔ばっかり見せてない? 恥ずかしいな」
「僕もフェスの時に泣いたからおあいこ」
昼食は、陽希に連れられて、映画館と同じ商業ビルに入っているパスタ屋に行った。映画のチケットがあればドリンクサービス。こういう所も抜け目ないのが陽希らしい。
「千歳、何にする?」
「……ジェノベーゼって何?」
「ああ、バジルを使った緑色のやつだよ。オリーブオイルもたっぷりって感じ」
「僕、それにしてみる!」
「俺は無難にミートソースかなぁ」
初めてのジェノベーゼ。こういうものを頼めるようになったというのは大人になったという気がする。形だけだけど。ドリンクもコーヒーにしたが、結局砂糖とミルクを入れた。
「あっ、陽希、ほっぺにソースついてる」
僕は手を伸ばして陽希の頬のソースをぬぐい、指をぺろりと舐めた。
「ちょっ、千歳」
「へへー。いつかのお返し」
食後、ゆったりとコーヒーを飲みながら、映画の感想を語り合った。
「千歳は恋人が失踪したらあそこまでできる?」
「僕もすると思う。多分あれって不法侵入とか器物損壊だけど、そこまでやっちゃうな」
「爆弾は?」
「うーん、僕失敗しそう。僕が主演なら爆発オチで終わっちゃうね」
ひとしきり映画の話をしてからパスタ屋を出て、帰ることにしたのだが、僕はまだ名残惜しかった。
「陽希、その……公園行く?」
「おう。俺もそう思ってた」
こうして陽希とベンチに座るのは何度目だろうか。他の人が来たことは一度もなく、まるで僕と陽希の聖域のようだった。そして、この場所でなら、きちんと本音を話せる気がした。
「僕、やっぱり不安がまだ強いな。お客さんに歌を届けられるのかどうなのか、そればかり気にしちゃって……」
「うーん、そっか。千歳は客のために歌いたいって感じ?」
「えっ、ライブってそういうものじゃないの?」
「俺は別にエゴでもいいと思うな。自分のために歌ったら?」
「自分のため……」
僕が思い出したのは、「フォーマルハウト」の一節だった。
――輝く場所なら自分で作る
僕は、僕は。僕は何のために歌を歌うのか。
「千歳の歌ってさ。神様からもらった才能だと思うんだ。それを見せつける。それだけでもいいと俺は思うんだ」
「僕は……ステージで、輝きたい」
「俺は、輝いている千歳を見たい。カッコいい千歳の後ろ姿を見たい。だからドラムを叩く。そう思ってやってる」
「そっか、うん、そっかぁ」
僕は勢いよく立ち上がった。
「僕、難しいこと考えるのやめた! 自分のために歌う! 歌うのが楽しいから歌う!」
「うん、それがいい!」
陽希も立ち上がり、僕の背中を思いっきり叩いてきた。
「痛ぁ!」
「ごめんごめん」
そして、二人ともプッと吹き出した。
文化祭は、もう目前だ。
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