06

 連休でボケた頭に授業の内容はなかなか入ってこなかったのだが、真剣に取り組まないとまずい。五月の中旬は中間テストだ。

 ミナコーは進学校であり、ほとんどの生徒が大学を目指す。僕もその中の一人だ。将来の夢まで決めたわけではないが、できるだけいい所に入りたいと思っていた。

 そして、迎えた金曜日。


「すげぇ! すげぇ! 本物のドラムだー!」


 音楽室で陽希ははしゃいでいた。静人と大我はケーブルを繋いだりなんかして何かの準備を始めているし、僕は何もすることがない。ぼおっと突っ立っていた。

 陽希が叫んだ。


「俺、エイトビートだけはできるようになった!」


 大我が言った。


「じゃあ適当に合わせてみる? 陽希はとりあえず叩いてリズムキープしてて」

「了解っ!」


 スピーカーから鋭い音が鳴った。静人だ。本物のギターというのはこんなにもビリビリする音が出るのか。


「えっと……フットペダルこっち……右……左……よし……」


 陽希の初演奏はお粗末なものだった。ツッ、タン、ツツ、タン。それの繰り返しなのだが、ドタドタ慌てているようにしか見えなかった。

 大我がベースを鳴らした。ドドドド、ドドドド、と単調なリズム。それに陽希が合わせていく形で土台ができはじめ、静人のギターが重なった。


 ――凄い。これがバンドの演奏か。こんな迫力の中、歌うんだ。


 僕が見つめていたのは陽希だった。手元ばかりに集中していて、余裕がなさそうだ。それから静人と大我に目を向けると、彼らは視線を交わして笑みさえ浮かべていた。

 いつまでも続くかと思ったが、陽希がスティックを落として終わってしまった。


「ごめんごめん。やっぱり最初は上手くいかねぇなぁ」


 大我がフォローした。


「誰でもそんなものだよ。今日は陽希はドラムに慣れた方がいいよ。あとはそれぞれ練習しよう」


 ちょいちょい、と静人が僕に手招きをした。


「千歳も練習したいよね。サクラナミキなら覚えたから、ボクと一緒にする?」

「うん、頼むよ」


 僕は静人と向かい合い、ギターを弾いてもらって、スマホで歌詞を見ながら歌った。これを暗記しなくては格好がつかない。僕の課題だ。

 一時間ほどして、大西先生が来た。


「やってるねぇ。いいねいいねこの感じ!」


 陽希が大西先生に聞いた。


「もしかして、大西先生もバンドとかやってました?」

「やってたよー! 学生の頃にね。ドラムだったから、多少のことなら教えてあげるけど?」

「先生! 助けてー!」


 陽希は大西先生にドラムの位置の調整から教わっているようだった。僕は引き続き静人に手伝ってもらって歌を合わせた。

 放課後は、完全下校十五分前のチャイムがある。それが鳴って、慌てて僕以外の三人は片付けを始めた。

 何か手伝えることがあれば、と思うも、楽器のことなどまるで分からない僕は、またしても棒が床に刺さっているみたいに立っていただけだった。

 音楽室の鍵を閉めて、部室に楽器を置いて、それぞれの鍵を職員室に返しに行って。校舎を出たのはギリギリの時間だった。

 静人と大我に手を振り、陽希と歩き始めた。


「いやぁ……やっぱ、ゲーセンみたいにはいかないや。ハイハットの扱いわかんねぇ」

「ハイハット?」

「シンバルが二枚重なったやつ。あれを開けたり閉めたりするんだけどさぁ、タイミングが上手くいかねぇの」


 電車はちょうど退勤ラッシュだったのか混んでいた。つり革を持てず、立ってバランスを取ろうとしたがよろけてしまった。すると、陽希がくいっと僕の腕をつかんだ。


「俺を支えにしろよ。くっついていいから」

「で、でも」

「コケたら周りにも迷惑かかるだろ」

「そうだね……」


 僕は陽希の腰に手を置かせてもらった。シャツ越しに、体温が伝わる。この熱気は季節のせいか、混み具合のせいか。僕の顔はだんだん熱くなってきてしまった。


「おい……千歳。大丈夫か?」

「ごめん、なんか、身体熱くて」


 身長が低いと損だ。車内の空気が薄い。必死に呼吸を続け、ようやく家の最寄り駅にたどり着き、陽希が人混みをかき分けた後を着いていく形でホームに降りた。


「千歳、顔真っ赤。ここで休んでから帰ろう」

「うん……ごめん……」


 僕は自動販売機で水を買い、ホームにあるベンチに座って飲んだ。陽希が隣に座ってきて言った。


「この時間に帰るとこうなるんだな。金曜日は毎回そうなるだろうし……でも心配ないよ。千歳のことは俺が守るから」


 守る、という一言に僕は過敏に反応してしまった。


「やめてよ。確かに僕はチビだし弱っちいけど、男だよ」

「わかってるって。でも体格は仕方ないじゃねぇか。言い方が悪かった? 俺に頼れって。なっ?」


 僕はうつむいて、水のペットボトルのラベルを見つめた。書いている文字は頭に入っていない。ただ、陽希の方を見ることができなかったのだ。


「……もう大丈夫だから。帰ろう」

「おう」


 その夜、寝る前に思い返していたのは、陽希に触れた時の、上手く説明ができない胸のざわめきだった。

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