雪花東征一代記

星のえる

雪花、出稼ぎに行く

第1話

「おとう、何て言った?」


 弟妹たちの泣き声や喚き声、笑い声、奇声。いつもの如く家の中は破茶滅茶だ。一番下の妹を抱っこしてふかし芋を食べさせながら、そわそわと落ち着かない父に問い返す。

「私がお勤めに上がれば、冬越しの米と麦と塩がもらえるって?」

 






 春に母が亡くなってからというもの、長女の私は朝から晩まで働き詰めのてんてこ舞いだ。父はうだつの上がらない地方役人の端くれで、小さな村の官吏ではあるものの、家はあっという間に傾いた。我が家はたくさんの弟妹たちがいて、食べるものを確保するだけで精一杯の毎日である。体の大きくなってきた弟が懸命に畑を耕して育てた野菜や果物で夏の間は食い繋いできたが、秋が近づいてきて獲れ高が減り始め、朝餉の麦粥が段々と水っぽくなってきた。

 冬が来ないといいんだけどな、と思いながらも、そんな願望だけで幼い子たちが食べていけるはずがない。許婚はいるけれど、母が亡くなって結婚の話が延び延びになっている。状況が変わって我が家の先行きが暗くなっているのを、先方が足元を見始めたのだ。親同士で話し合っている段階だが、我が家を援助する代わりに次の春に結婚する約束になっている。この冬の間に何人かは口減らしになるだろうという魂胆と、一度嫁いだらどうも体よく姑にこき使われそうだという先行きが見えている。

 だが仕方ない、家族を食わせるためだ。諦めはとうについているし、この子達がこの冬を越せるよう、とにかく今はできることをしようと心に決めていた。

 そんなわけで嫁入り直前で嫁ぎ先もアテにできないので、出稼ぎだろうがなんだろうが条件さえ良ければ承諾するつもりでいた。そこへ全く都合の良い話を父が持ち帰ったのである。


 父は落ち着かない様子でついさっき子どもたちにかき消された話を繰り返す。

「そうだ、米と麦と、塩と…それだけじゃない、冬越しの為に必要なものは何でも与えてくださるということだ。」

「はは、威勢のいいお話ね。それほど言うなら、この子たちの冬越し分くらいは期待していいのかしら。で、私は冬の間何をすればいいの?」

「なんでも、そのお勤めに上がる御殿に高貴な姫様がいるから、その、話し相手を探しているという話で…雪花ソルファ、お前は針仕事が得意だろう?その姫様と気が合うだろうと」

 父はすっかり活力を失って言葉を途切らせた。


 ははーん。わがままなお姫様のお世話をするってことか。察するに理不尽な扱いにどんどん召使いが逃げ出すから、こんな田舎にまでお鉢が回ってきたのだろう。

「お父、分かってるって。わがままな人には慣れてるし、うちにはありがたいお話だわ。一冬くらい、私も我慢するわよ。ただ、嫁入り支度はしておいてよね。」

「雪花…もちろんだ、もちろんだとも」

 父は声を詰まらせる。

「そんなに心配しなくても、うちのことはチビたちだって手伝えるわよ。とにかく食べる物さえあればみんなで冬が越せるわ。」

「雪花、お前には苦労をかけてばかりで」

「お父、たった一冬のお話でしょ。なんてことないわよ、すぐ帰ってくるって。」

「だけれども、考えてみたらあんまりにも良い話過ぎて…」

「まぁーねぇー、ただの話し相手って訳にはいかないんだろうなぁとは思うけど…」

 その時、畑仕事に出ていた弟二人が何か叫びながら駆け戻ってきた。

「お姉ー!お姉ーー!!」

「馬車が来るー!!」

「ちび共避けろ避けろっ轢かれちまうぞ!」





 何事かと外へ出ると、手入れの行き届いた白馬赤馬が、何やらとにかく山と積まれた荷車、しかも見るからに高級な荷と分かる綺羅綺羅しいそれを引いてこちらへ向かってくる。あまりにも高く積み過ぎて、今にも荷崩れしそうだ。それがぞろぞろ、ぞろぞろと同じように後ろへ続いて、なんと6台も。自分で言うのも切ないがここは辺鄙な片田舎で、道と言えば石ころや木の根っこでガタガタの砂利道が一本通っているだけだ。馬車が通ること自体滅多にないことなので、弟たちが大慌てで畑を放り出してきたのも当然だ。


「何だありゃ」

「車ってのは、あんなにでかいんか」

 弟たちは口をぽかんと開けてこちらに進んでくる行列を眺めている。


 裕福な貴人様の御荷物が、道にでも迷われたんだろうか。

 あれの内の一台でもあれば、我が家は一冬どころか次の冬のその先だって越せてしまうだろう。持ってる御人のところには、何でもあるんだなぁ。

 すると、隣で父が苦し気に呟いた。

「もう来ちまった…」

「え!あ、あ、あれ、うちに来るの?!」

 弟たちはびっくりして父を振り返る。

「お父。私だけじゃなくてたくさんお勤めに上がるんだね?」

「いや…呼ばれたのは、針仕事が好きそうな娘を一人、と…」

「お父、耳が遠くなったんだな。こんな村の娘一人を一冬雇うのにあんな、あんなの来るわけが」

 すぐ下の弟はやけに明るい声で笑う。もう一人の弟はというと、驚いて半泣きになって私の腕を掴んだ。

「お姉、身売りするんか…」





 不思議と馬車の行列は道のがたつきに荷を揺らすことなく、滑りこむように我が家の門の前に到着した。これまた見るからに良い仕立ての身なりをしたお偉いお役人らしい男がこちらを見回して言った。

ちょうの村のうんの娘、雪花」

「はぃ…」

「先方がお前を待っている。乗りなさい。」

「え、今すぐ、ですか?」

「当たり前だ。」

 こいつは何をもってして当たり前だと言い切りやがるのか。出稼ぎの話を聞いたのがついさっきだぞ。しかも明らかに、勤めの内容に釣り合わない積み荷の数々。あっという間に全て家の前に降ろされてしまって、もう断ることも出来そうにない。


(…ううん、断る理由がない)


 大事な家族のためだ。

 こんなに手厚く報酬が出るなんて、聞いたことがない。これだけあれば家族を飢えさせずに済む。なんなら私はちょっとくらいどうなったって文句はない。このお話が流れたら、どんな冬が来るだろう。小さな弟妹たちの誰かしらはこの冬を越せないんじゃないかとずっと思い悩んでいた。私一人がどれだけあくせく働いたところで一生のうちに稼ぎ出せる量じゃない。どんなお勤めだろうと、野盗に誘拐されるよりはずっといい。ひとまずあとに残していく家族を心配する必要が無いのだから。



「はい。」

 空になった荷車によいしょっと乗り込む。すると弟たちが駆け寄ってきて、「お姉」と縋りついた。

「ちびたちを頼むよ。」

「うん…お姉、帰ってくるよね?」

「一冬だってお話だよ。すぐだよ。」

「ほんとか?ほんとに…お姉、帰ってくるよな?」

「だからそう言ってんでしょ!」

 泣き出した弟たちの頭をペンと叩いて、最後に優しく撫でた。

「お姉!どうした?!なんでそんなん乗ってんの?!」

 なんだか様子がおかしいと思ったのか、家の裏にいただろう妹が出てきて叫んだ。

「お姉はちょっと出稼ぎに行ってくるよ。あとを頼むよ。」

「お姉、なんで?!どこに行くの?!」

「お姫様の御屋敷だってさ。一冬で帰ってくるよ。ちびたちに腹いっぱい食べさせてやってね。」

「…分かった、がんばる。お姉、ちゃんと帰ってきてよ」

「あはは、たったの一冬だよ。」

 あとからわらわらと小さいのまで家から出てくる。それぞれポンポンと頭を撫でて別れを告げた。


 父は青い顔をして立ち尽くしている。

「お父」

「雪花…」

「行ってくるよ。」

「済まない…済まない、本当に、最後まで苦労を掛けて」

 父のただならぬ雰囲気に、弟妹達がふたたび泣き始めた。

「やっぱりお姉、帰ってこないんだ…」

「お姉…」

「うわぁぁん、お姉いかないで~!」

 大合唱で泣きだされ、こちらが一喝する羽目になった。

「一冬って言ってんでしょ!さあ米と麦を今すぐ倉に運び入れて。あんたたち、いっぱい食べていっぱい働くんだよ!怠けてっとあっという間になくなっちゃうんだからね!」


 最後に車に縋りついていた小さい弟を大きい弟に託して「お待たせしました」と告げると、御役人は顔色一つ変えずに馬を走りださせた。


 あっという間に家は見えなくなり、村は遠ざかった。

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