第16話 獲物を狙うかのように

楠木菜津くすのきなつでございます。お初お目にかかります」


 丁寧に挨拶をしているのは、異国人のようにすらりと背の伸びた姿勢の良い女学生だった。野暮ったさのないドレスが、しっくりと似合っている。

 さきほど、馬車の中で星周から「知っていますか?」と聞かれた女学生、そのひとだ。「話したことはないけど、お見かけしたことはあります」と胡桃は答えた。近くで目にするのは、これが初めてだ。


(星周さんの婚約者候補。最近特別手続きで転入されてきた方で、お家柄が良いとは耳にしていましたが、とても綺麗な方ですね)


 背の高い星周と並べば、さぞや見栄えがしそうだ。つい、ちらっと星周に視線を向けてしまう。

 ばっちりと、目が合った。てっきり、挨拶をしてきた菜津の方を見ているものだと思っていたのに、なぜか星周はその瞬間、胡桃を見ていた。「挨拶しなくていいのですか?」と、胡桃が目で促すと、ふいっと星周は顔を上げて菜津と向き合う。


「はじめまして。柿原星周です。お名前は存じ上げております。丁寧にご挨拶をいただきまして、どうもありがとうございます」


「あら。話すのはこれが初めてですが、私は新年の集まりですとか、これまで柿原本家での行事で、何度も星周様の姿をお見かけしておりますわ。年頃も近いのですから、話す機会があればと思っていましたが、本家は何かとしきたりが厳しくて。分家筋の娘など、おいそれと近づけませんでした」


 ほほほ、と朗らかに笑いながら菜津が言う。そつない挨拶を返した星周に対して「自分は以前からしっかり存じ上げていました」と、印象付けようとしているようだった。

 星周は、如才のない笑みを浮かべた。


「年中行事は、細かい段取りがあります。私語は慎み、落ち着きなく周りを見回すのは控えるよう、子どもの頃からしつけられていました。堅苦しい席でのことですから、小さい頃は大変でしたよ。早く終わらないかなと、そればかり考えていました。いまは、『いずれ自分が開催側になるのか』と気づいたので、覚えるのに必死です」


「頼もしい限りですわ。幼い頃からしっかりとなさっていて、いまは本家の跡継ぎとしての自覚を持ち、先々まで見据えてらっしゃるとのことですね。さすが星周様。優秀の誉れ高い方と聞き及んでいましたが、惚れ惚れとしてしまいますわ」


 しなを作って、ふふ、と笑う。どことなく妖艶な空気が漂い、胡桃は息を止めて見つめてしまっていた。


(積極的……! 獲物に狙いを定めた獣みたい。あ、いけない、失礼なことを考えてしまいました。でも、綺麗な女性からこんな風におだてられたら、星周様だって悪い気はしないのでは)


 自分を落ち着かせようと、ゆっくりと呼吸しながら胡桃は星周の様子を窺う。

 星周は、感じよく微笑んでいた。それに気を良くしたように、菜津は星周へとさらに歩み寄る。


「それでは、せっかくの機会ですから、星周様もダンスの練習に参加なさってください。私とあなたが、夜会の場で息の合ったダンスを披露すれば、皆様もお喜びになることかと思いますわ」


 言いながら、星周の腕を取ろうとするかのように、手を差し出した。

 ちらっと見ることもなく、星周はわずかに動いて、さりげなくその手をかわした。 


「遠慮します。あなたと踊ることはありません」


 冷たくはないが、断っていることは勘違いしようもなくはっきりと伝わる言い方だった。

 菜津は、「うふふ」と楽しげに声を立てて笑った。


「そういうわけには、いきませんわ。星周様は柿原本家の跡継ぎとして、周囲の期待に応えることの大切さをよくご存知のはず。『嫌だ』『できない』でやり過ごすことは許されませんの。だいたい、私と踊らないというのなら、誰と踊るというのです?」


 絶対に断らせるものかという、強い意思を感じる。


(それはそうですね、楠木さんは周囲から「星周様の奥様になるよう」言われているはず。断られたからと言って、引くわけにはいかないのでしょう)


 決められた結婚なれば、相思相愛である必要はないにしても、信頼関係を築くことは大切だ。菜津はその常識に従い、星周に歩み寄ろうとしている。

 一方、星周はそもそも菜津と婚約する意思がない。外堀を埋められるのを避けたい気持ちは、あるだろう。それこそ、練習のときからダンスの相手になっていて、実に睦まじい様子であったという話題を提供するつもりは、ないに違いない。

 

 胡桃としては、両方の考えがわかる。

 菜津が積極的なことには驚いたが、婚約は決まったようなものだと言い聞かせられているのであれば、ここまで強硬な態度に出るのも理解はできるのだ。

 これは、断るのは大変じゃないかな? と感じた。

 少なくとも、菜津を納得させるだけの理由を、星周から提示する必要があるだろう。


 胡桃が考えつくようなことは、当事者である星周もよくわかっているようで、星周は「そのことですが」と真面目な口ぶりで切り出した。


「私は現在、婚約はしていません。いまの段階で、どこかのご令嬢をまるで婚約者であるかのように扱うのは、大変な問題があります。あくまで、決まるのはまだ先のこと。ですので、練習といえど誤解を生むようなことはしません。特定の相手と『親交を深める』目的でのお誘いであれば、お断りします」


 あら、と菜津はあくまで余裕のある雰囲気のまま、星周を見据えて口を開いた。


「まるで、番狂わせでもあるかのような言い分ですわね。もしかして、どなたか心に決めた相手でもいらっしゃるのでしょうか」


 探るような調子でそう言ってから、菜津は不意に、星周の隣に立つ胡桃へと目を向けてきた。

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身代わりの男装令嬢は異能の青年に溺愛される 有沢真尋 @mahiroA

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