第4話 好き?
絵李と葵は、どちらからともなく響久を見やる。
口元を押さえて愉快そうに笑っていた響久は、ようやく笑い声を抑えた。
「ね、そのうち会えると思うって言ったでしょ? この子が葵ちゃんだよお、この絵描いた子」
「葵ちゃん言うな、蹴るぞ」
まだ笑顔のままの響久は、ごく自然に絵李に言う。
ガン、と横から足を蹴られているがあまり気にしていないらしい。
「は、初めまして。日高絵李よ」
葵の言葉が気にならないわけではないのだが、まずは、とひとまず自己紹介をしておく。
「第1で2回見たけどな。……俺は
ふっと溜息を吐いた葵もすぐに返してくれた。
小さめの眉を少し寄せた顔は、少々愛想に欠けている。
少し背は低めで、大きな目が幼さと中性的な印象を持たせてくる。
それでも紛れもなく男性なようで、なぜかほっとしている絵李がいた。
「葵ちゃんはうちの部長さんだよー、すごいでしょ」
「へぇ、すごいのね。って……もしかして3年生!?」
何気なく聞いていた絵李が、驚いたように声を大きくした。
部長ということは3年生、つまり1つ上ではないか。
勝手に2人共同級生だと思っていたが、先輩だったりするのだろうか。
「いや、2年だ。先輩は6月に引退したから」
葵の返事を聞いて、絵李はほっと息を吐いた。
他校生とはいえ、先輩に失礼があったかと少し焦ってしまった。
「絵李ちゃんも2年生だよねー?」
「何で知って――」
咄嗟に聞こうとした絵李は、すぐに響久が自分のことを知っていたと思い出す。
響久が金賞を取ったコンテストの、銀賞の欄。
“日高絵李”の文字とともに、学校名と学年も記されていたはずだ。
「そうよ。私も2年」
絵李が気を取り直して返すと、響久は少し嬉しそうに口角を上げた。
「葵ちゃん、今日はこっちで描くのー?」
「月宮が俺の絵持ってくから探しに来たんだろうが。邪魔したら悪いし、すぐ出て行くよ」
呆れたように顔を顰めた葵が、ちらりと絵李の方を見る。
別に邪魔でなんてないのだが、と考えて、何かが引っかかることに気づいた。
「そういえば葵ちゃん、通い妻とか言ってたけど、絵李ちゃんと付き合ってるわけじゃないからね?」
言いながら眉を下げて笑った響久は、心底愉快そうだ。
そんな響久を睨むように見て、葵は「はぁ!?」っと顔を歪める。
「先に言えよ! 余計な気使っただろ!?」
「言えって言われても、勘違いしてると思わなかったしー」
またしても襟を掴まれ、響久は困ったように笑っている。
じっと考えていた絵李は、ようやく葵の勘違いに気づき――一気に顔を赤くした。
「かっ勘違いって……私……えぇぇぇぇ?」
「ほらあ葵ちゃん、絵李ちゃんがびっくりしてるから謝りなよ」
「お前が悪いだろうがっ! 絵が上手いとか可愛いとかいい子とか、来週来てくれるの楽しみとかずーっと聞かせやがって。逆に彼女じゃないのが怖いくらいだぞ」
目尻を吊り上げて抗議する葵に「ごめーん」と謝っているが、響久に反省の色は見れない。
絵李の方を向いたかと思えば、赤くなった顔を見てにやーっと笑った。
「ちょっと、人の顔見て笑わないでよ!」
「ごめんごめん、可愛いからつい」
隠すように口元を抑えた響久は、まだ肩を震わせている。
楽しそうだな、と不機嫌に言った葵が、一段強い力で引っ張った。
「月宮、そういうとこにキレてんだぞ俺は。わかってるんだろうな」
「わかった、わかったから離して……流石に首絞まる」
葵が間近で怒りを露わにすると、流石の響久も観念したらしい。
焦ったような表情が珍しく、絵李はつい笑ってしまった。
「はぁ……日高さん、だっけ。よくこいつに付き合ってられるな」
「普通よ。響久と描くの好きだわ」
絵李は柔らかく返したが、葵からの態度は素っ気ない。
不機嫌そうに細めた明るい色の目は、中々絵李を捉えようとしなかった。
「ごめんね、絵李ちゃん。葵ちゃん女の子と話すの苦手なんだ、慣れてないから」
「女の子みたいな見た目なのにねー」という言葉が、軽い調子で付け足される。
まるで怒りを抑えるように、葵は無理やり口角を上げた。
「ああそうだな、喧嘩なら高く買う」
「ごめんて」
葵は大きく溜息を吐くと、すっと後退った。
不機嫌そうに細めた目を2人に向けると、また息を吐く。
「じゃあ、俺はもう帰るから」
「この絵の続き、描きに来たんじゃないの?」
そのまま去っていこうとする葵に、絵李は反射的に問いかけた。
絵を探しに来た、と言っていたが、描くために探していたのではないのか。
葵が描いている途中なのだろう絵は、また触れられることなく佇んでいる。
「私に気を遣わなくてもいいのよ? 確かに少し気まずいけど、すぐ慣れるわ」
葵は恋人の逢瀬を邪魔できない、という理由で悪いと言っていたようだが、別に絵李達は付き合っていない。
気を遣う必要なんてないのだから、一緒に描けばいいじゃないか。
「……別にそんなつもりじゃない。絵が無くなったから探しに来ただけで、元々今日は描くつもりなかったよ」
「部活来たのに?」
「部長だから顔出しとこうと思っただけだ。塾で模試受けるから、教室で勉強する」
勉強をするなんて偉い、と絵李は感心したように少し目を丸くする。
一方の絵李は絵を描いてばかりで、夏休みの宿題すらまともに進んでいないことを思い出してしまった。
「それなら引き留められないわね。響久の好きな絵がどんな風に描かれるのか、気になったのに」
勉強も大事――と言うより、学生なのだから最優先かもしれない。
そう考えた絵李は、諦めて肩を竦めた。
「……お前……日高さん、本気で信じてるのか?」
「何を?」
細められた目でじっと見つめられ、絵李は小さく首を傾げる。
「こいつが、俺の絵を好きってことをだ」
「信じるも何も……響久が言ったもの」
戸惑いつつも、絵李は当たり障りのない答えを返す。
葵の絵が好きだと、確かに響久の口から聞いた。信じるも何もそれが全てだ。
「そうか」
葵にとってはそうでなかったらしく、男性にしては少し高い声が低くなった。
ますます細められた目は、まるで睨むように鋭い。
「――そうならよかったのにな」
赤茶色の瞳から、温度が抜けていく気がした。
失言だっただろうかと、絵李は今更自分の発言を辿る。
「じゃあ、俺はもう行くからな。月宮施錠忘れんなよ」
次にかける言葉を探し出す前に、葵は美術室を出て行ってしまった。
つい伸ばしてしまった手は、当然何にも触れることなく空を切る。
どこか素っ気ない声だけが耳に残る。
「――可愛いけど、ちょっと口が悪い。オレの言ったこと合ってたでしょ?」
「……そうね」
のんびりと言う響久に、絵李は少し硬い返事をする。
響久の薄い笑みが、なぜかぬるく感じられた。
「葵ちゃんのこと、気にしてる?」
「ええ」
不思議そうに聞いてくる響だが、あんな顔をされれば気にするのも無理はない。
ぎゅっと寄った眉に、キツく細められた目。ぐっと歯を噛みしめた表情。
「葵ちゃん、ちょっとキツいとこあるもんねえ。可愛い顔誤魔化してるだけだから大丈夫だよ」
「それだけじゃない気がするの」
睨んでいるように見えて、怒り――だけではない、何か別の感情を押し込めているように見えた。
わざとしかめっ面をしている、なんて理由じゃ済まされないような。
「あ、言い方? 万年反抗期で捻くれてるから通常運転だよー。怖かったかもだけど、許してあげて」
響久は全く気に留めていないようだが、どうしても引っかかってしまう。
いつも葵と会っているだろう響久の方が正しいのだろうが――。
低くなった声が、まだ耳に貼りついている。
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