第5話「合鍵」と「お出かけ」

 あれから3日経ち、私の風邪もすっかり良くなった。言っていた通り純玲ちゃんはこの3日間、私の部屋で生活して看病してくれていた。


「36.5℃…うん、平熱になりましたしもう大丈夫そうですね」


「本当にありがとうね。あと…手も、握っててくれて……」


 恥ずかしい…ただでさえ付きっきりで看病してもらってたのに、寝る時に手を握ってもらって本当に子供に戻ったみたいだ。


「あれくらいのことで落ち着けるならいくらでも…」


「……うん」


「そんなに申し訳なさそうにしないで?隣同士の仲ですから」


 私が俯いていると、彼女は四つん這いになって部屋のドアの横に置かれた鞄をゴソゴソ物色し始めた。


「えっ…とどこ入れたっけな?あ、あったあった」


「何してるの?」


「これ、あげます」


 そう言うと、彼女は私の手のひらに鍵を乗せた。これって―――。


「合鍵、私の部屋のです」


「それ、貰っちゃっていいの?」


「はい、小日向さんにはお世話になってますし、その…いつもご飯を家で作ってくれるから出入りは楽な方がいいかなって」


 信頼……してくれてる、ってことでいいのかな?そうだったら嬉しいけれど、こういうのってもっと警戒心を持つように言った方がいいのだろうか?


「嬉しいけど、あんまりこういうのは…何があるか……」


「少なくとも私の知っている小日向さんは、小日向さんが想像してるようなことをしてくる人では無いです」


 まるで私の考えを読んでいたみたいに被せ気味に言ってくる。純玲ちゃんの中で私への信頼度ってどうなってるんだろう?


「とにかく体調良くなって安心しました」


「本当にありがとう……ん?」


 ふと、彼女の手を見ると小さく震えていた。もしかして相当心配してくれていたのかな?


「ふふっ、いっぱい心配掛けたから、お礼させてね?」


「えっ?……!?」


「ぎゅー!」


「な、何してるんですか!?」


「何ってありがとうのハグだよ?沢山不安にさせてたみたいだから、ごめんなさいも入ってるけど」


「もう、変な人……」


 そんなことを言いつつも、純玲ちゃんも顔を埋めて抱き返してきてくれている。こんなふうに誰かに抱きついたのなんて何年ぶりだろう……。



 松木さんにもっと甘えておけばよかったかも…。






 風邪も治って、数日――以前のようにご飯を一緒に食べる時間が戻ってきた。


「ねえねえ」


「どうしました?」


「純玲ちゃんが良ければさ?今度のおやすみにどこかに遊びに行かない?」


「遊びに、ですか」


 私の急な提案に彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見てくる。


「そう、この前は付きっきりで看病してくれたじゃない?だからそのお礼がしたくって」


「お礼、ですか…」


「……やっぱり歳上の、最近仲良くなったばっかりの人と急にお出かけって無理だよね。ごめんね、忘れて?」


 何やってるんだろう私。これまで彼女といて、ご飯を一緒に部屋で食べるようになって、連絡先と合鍵を貰って…何か期待しちゃってたのかな?






 ――――期待。



 何に期待していたんだろう?



「いいですよ。どこに行きますか?」


「えっ……?」


「どこがいいですかね?私こっちに来たばかりで何も分からないから、良かったら小日向さんの行きたいところ連れてってください」


 少しだけ嬉しそうなはにかんだ笑顔でそう言う純玲ちゃん。私の方こそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっちゃってたかも―――。


「うん、行こう!ちょっと遠くだけどここの植物公園行こう!お花が綺麗で癒されるんだよ〜!」


 嬉しい。まさかOKしてもらえるなんて思わなかったから、凄〜く今飛び上がりそうな気分だ。


「はは、小日向さん。今までで一番嬉しそう」



 ◇◆◇







 純玲ちゃんとお出かけの約束をしてから数日。休みの日になり私は姿見の前で着ていく服を悩んでいた。


「どれを着てこうかなぁ?うーん…」


 人とお出かけするなんて久しぶりだから、どんなのが良いのかよく分からなくなってしまっている。


 そうやって唸っているうちに、ふと洋服棚の一番下の引き出しに目を向ける。


「そういえば……」


 引き出しを開けると、洋服が上下一着ずつ大切そうに置かれている。松木さんが成人祝いで買ってくれた服、久しぶりに着てみようかな。


「おぉ、まだ意外と入るものなんだ」


 あれから4年も経っているから、着れるか不安だったけれどキツかったりは全くなかった。


 松木さんのことだから「新しい服にすればいいのに」なんて言いそうだけれども松木さんが最後にくれた私へのプレゼントだから今でも大切に保管している。


「やっぱり可愛いな」


 姿見に映る自分を愛でるみたいに見つめる。白のブラウスに紺色のロングプリーツスカート――歳に似合わず可愛すぎかなぁ?



 ピロン



「あっ、純玲ちゃんだ。準備出来たんだ」


 純玲ちゃんはどんな服着てるかなぁ?クールそうだけど、案外カワイイ系だったり?それともやっぱり見た目通り?



 ピンポーン


「はーい、お待たせ。忘れ物な……」


 ドアを開けて玄関前に立っていた純玲ちゃんの姿を見て思わず言葉を詰まらせてしまう。

 目の前に立つ女性は少し大きめのサマーニットにジーンズ、黒の帽子を被っている。


「かわっ……ううん。おはよう純玲ちゃん」


「かわ…?おはようございます」


「じゃあ行こっか」


 危ない危ない。思わず純玲ちゃんの格好を見て「可愛い」って言ってしまうところだった。思ってたよりも大人っぽい服装でびっくりしちゃった。


「まぁでも、大学生だし大人みたいなものか……」


「何がです?」


「あっ、やっ!なんにもないよ!」


「……?そうですか」


 気になるみたいで首を傾げていたけれど、すぐに元に戻って彼女はさっさと歩き始める。


「そういえば今日ってどうやって公園まで行くんですか?遠いって言ってましたよね?」


「ふふん。実は私、免許持ってるんだよ〜?」


「そうなんですね。あ、でもここのマンション車庫ないですよね?」


「うん、だからレンタカー。偉ぶったけどペーパードライバーなんだよね」




 それから私たちは近くのレンタカーのお店で中古車を借りて乗り込んだ。ハンドルを持つのも久しぶりだ。


「えっと、バックミラーよし…ルームミラー合わせてっ…と」


「………」


「うん?純玲ちゃんどうかした?」


「いえ、私車に乗るの初めてで…車酔いとか少し緊張してます」


「車酔い…そっか、気分悪かったらすぐ言ってね?」


「はい」


「それじゃあ出発〜」



 お店を出てナビの案内に従って運転する。この感覚も久しぶりで全身に妙な緊張感が走るのがわかる。そういえば松木さんとも1回だけドライブしたなぁ。


 あの時もテンパって焦りながら運転してたら、珍しく松木さんが震えてて後で2人で大笑いしたっけ?



 ふと純玲ちゃんのことが気になって隣を見ると、彼女は窓の外の景色を眺めていた。


「なんか不思議な感覚です」


「不思議?」


「はい。なんて言っていいかわからないですけど、自分は動いてないのに、景色がどんどん流れていって…映像を見ているみたい」


 顔は見えないけれど、声色がちょっとだけ浮ついてて楽しんでくれてるのがすぐにわかった。


「ちょっと窓、開けてみていいですか?」


「いいよ。あ、もしかして気分悪くなっちゃった?この辺で1回停める?」


「いえ、そういうわけでは…ただ。風に当たりたくて」


「そっか。気持ちいいよ〜?」



 あぁ、やっぱり気持ちいい。



 今日はあんまり風はないって予報で言ってたけれど、運転してると自然と弱めの風を感じられて癒される。純玲ちゃんも同じ気持ちだったりするのかな?


 相変わらず窓の外を見てるから、顔は見えないけれど、同じことを思っててくれていたらいいな。





 それから40分くらい車を走らせて、やっと公園に辿り着いた。久しぶりの長時間の運転だったからかお尻と背中が少し痛いかも。


「ここが…」


「うん、私のおすすめの植物公園だよ。今は7月の真ん中だから…紫陽花や薔薇、向日葵。屋内にはハイビスカス、フクシアなんかが咲いてるみたい」


「ハイビスカス…フクシア…知らない花です」


「とっても綺麗だからきっと気に入るはずだよ!行こ!」


 そう言って私は彼女の手を引いて植物公園に入る。中に入って少し歩くと、目の前には視界に収まらないくらいのたくさんの花たちが咲き乱れていた。


「……わぁ」


「ふふっ、綺麗でしょ?」


「はい、まさに…楽園って感じ」


 楽園かぁ。確かに純玲ちゃんの言う通りかも。

 少しだけ入口を通り抜けただけなのに、普段はなかなか見られない光景がどこまでも続いていて別世界に来たみたい。


「ここって撮影とかっていいんですかね?」」


「うん、パンフレットにOKって書いてある。いっぱい写真に残そう」





 それから私たちはパンフレットに載っていた散策コースに沿って、園内を歩き始めた。天気も良いし、楽しそうに写真を撮る純玲ちゃんの姿もまた私の癒しになってくれている。


「向日葵、こんなおっきくなるんですね」


「種類にもよるけれど、ここまでおっきくなるってびっくりだよね」


 今私たちの目の前にあるのは1.5mくらいはありそうな向日葵。私たちより少し低いくらいの高さだ。


「綺麗だね」


「ですね」


「ぷふっ、あはは!」


「な、なんですか急に?」


「いやぁ?なんか、語彙力ないなぁって思ってね?」


 そう、本当に語彙力が無くなってしまっている。さっきまでは香りがどうとか、2人で話してたのに見て回っていると「綺麗」くらいしか言わなくなっていた。


「そうだ……どうかな?」


「どうって…向日葵の前で手を挙げて何してるんですか?」


「向日葵のポーズだよ?ひまわり〜」


「……何それ。ふふっ」


 思いつきでやってみたけど、純玲ちゃんは少しだけ笑ってくれた。子供みたいだけどこういうのも楽しいよね?


 パシャ


「あー!撮られた〜」


「並んでると可愛くってつい」


「純玲ちゃんも一緒にやろうよ?」


「えっ?私もやったら撮れなくないですか?」


 確かに…自撮り棒なんて持ってないし、どうしようかな?


 ―――なんて考えていると、親子連れの人が通り掛かられて撮ってもらえることになった。他人に撮られてるからか純玲ちゃんはどこかぎこちなくって、そういうところも可愛く見えた。


「可愛く撮ってもらえて良かったね」


「よしてくださいよ。私、小日向さんみたく可愛い格好じゃないですよ?」


「そんなことないよ!似合ってる!」


 私が今朝呑み込んだ想いを口にすると、純玲ちゃんは満更でもないみたいに顔を反らしてしまった。


 そういうとこだよって言いたくなったけれど、さすがに言わないでおこう。




 そんなこんなで、3時間くらい2人で楽しい時間を過ごして、レストランで遅めの昼食を摂って長いようで短かった植物公園の散策が終わってしまった。


「今日、楽しかったね」


「はい。写真フォルダ凄いことになりました」


「喜んでもらえて本当に良かったよ。ありがとう」


「お礼を言うのは私の方ですよ。なんだか名残惜しい」


 そう言うと純玲ちゃんは前みたいにどこか寂しげな顔で植物公園の入口の建物を見ていた。


「大丈夫。また来ればいいよ」


「そうですね………また来れるといいな」

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