その二輪の華は、寄り添い咲く

甘恋 咲百合

プロローグ「出逢い」と「再会」

「雨、強くなってきた…」


 梅雨入りし、雨予報が多くなるこの時期――。

 客足が少なくなって静かになったお店の窓から沈みきった空模様を眺めながら小さく息を零す。


「この調子だともうお客さん来そうにないし、閉めようかな?」


 憂鬱な気持ちを抑え、一通りお店の中を掃除してから、入口に掛けてあるOPENの看板をCLOSEに替える。


「これで、よし。びちゃびちゃやだなぁ…」


 家は近くだけれどこの雨脚の中、傘1本では少しだけ…いやだいぶ心許ない。でも「すぐにお風呂に入れば大丈夫」と自分に言い聞かせ、意を決してお店を出る。


「あれ?あの人は――」


 勝手口を出てお店の前を横切ろうとした時、入口のオーニングで雨宿りする1人の女性が立っていた。


 その女性は頭のてっぺんから、靴の先までびしょ濡れで長く下ろされた綺麗な黒髪からは雨粒が滴り落ちている。


「――あ、あの」


「あっ…ごめんなさい!邪魔ですよね?すぐ退きますから…」


 私の呼びかけに驚いたその女性は傘も差さずに雨が降りしきる中駆け出そうとする。


「ちょっと待って!」


 そのままじゃ風邪を引いちゃう――そんなお節介を発動して、彼女の腕を咄嗟に掴み閉めたばかりだったお店に招き入れる。


「お邪魔じゃ、ないんですか?」


「こんな雨の中、傘も差さないでびしょ濡れの人を追い出すほど鬼じゃないですよ?私」


 そう言い、お店の奥から持ってきたタオルを彼女に手渡す。本当はすぐにお風呂に入れればいいんだけど、あいにく家と併設されてないからこれくらいしかできなくて少し申し訳なくなる。


「お店、びしょびしょにしてごめんなさい」


「もう、そんなに謝らないでください。こういう時はほら、助け合いですよ」


「…ありがとう、ございます」


 少しだけ笑顔になった彼女に安心して、髪を乾かす姿を眺める。


 ―――本当に綺麗な髪だな。


「へっくしゅ…」


「あ、そうだ。服濡れて寒いですよね?家近くなんですけど、お風呂入って少し休んでいきませんか?」


「えっ…いいんですか?」


「はい!ちょうどお店も閉めましたし、そのままじゃ風邪引いちゃいますからね。お気になさらず、ですよ」


 一通りタオルで濡れた全身を拭き終わると、私は彼女を連れて急ぎ足で家に案内する。


 気まずいのか彼女は私の傘に入ってから一言も話さずに私と歩幅を合わせている。なんだか子犬でも拾ったような気分だ。




「服、私ので申し訳ないんですけど、良かったら使ってください」


「ありがとうございます。助かります」


 お風呂場のドアから透けて見えるその姿は私と同じくらいでサイズも問題なさそうでよかった。凄く大人びた印象だったけど、年上っぽそうではなかったし…この辺の人なのかな?


 ひとまず彼女の着ていた服を洗濯機に入れて、リビングでのんびり待つことに――。



 そうだ。なにか飲み物でも用意しよう。さっき予報を見た感じ、あと1時間くらいで雨も弱まるらしいし服が乾くまでは泊めてあげた方がいいよね。


「――お風呂ありがとうございました」


「おかえりなさい。あと1時間くらいで雨弱まるらしいので泊まっていってください。なにか飲みますか?」


「えっ」


 私の言葉に彼女はとても驚いた様子で立ち尽くしていたもののすぐに冷静になって、私が座っていた机の反対側に腰掛けた。


「ルイボスティーとコーヒーとココアしかないんですけど、どれがいいですか?」


「…えと、ココアでお願いします」


「はーい」


 そういえば彼女の名前を聞いていなかった。これっきりかもしれない人の名前を聞くのは気持ち悪がられるかもしれないけれど、せっかく巡り会った仲だし、多少はいいよね?


「……この方は」


「ん?ああ…気になります?」


「あ、や、嫌だったら気にしないでください」


 彼女の言う方には仏壇――そこには1人の女性の遺影が置かれている。


 彼女のココアと私のルイボスティーの用意ができたから、カップを机に置いて「この人」の話をすることに――。


「この人、私の恩人なんです」


「恩人、ですか?」


「そう、私産まれて直ぐに両親が亡くなってそれで引き取ってくれたのがこの人なんです」


 遺影を眺めていると、彼女はバツが悪そうにココアを飲み始めた。


「1年前までさっき会った喫茶店で働いてた方なんですけど、病気で…」


「そうなんですね…」


 松木さん、それがこの人の名前。松木さんは、亡くなった両親の代わりに大学まで私を通わせてくれた。だから亡くなった時は悲しかったけれど、その恩を忘れないためにも松木さんが切り盛りしていたあの喫茶店で今は私が働いている。


「なんか、すみません。空気も読まず…」


「いえいえ、気にしないでください!そうだ!貴方のお名前は?」


「えっ…?相楽純玲です」


「純玲さんかぁ…いい名前ですね!私は小日向詩音です」


 名前も教え合い雨が止むまでの間、他愛のない話に私たちは花を咲かせる。彼女は今大学1年生でバイトをしながら勉強を頑張っているらしい。


 偉いなぁ。私は松木さんにお金を出してもらっていてバイトのひとつもしたことが無いから、バイトと学校を両立しているなんて尊敬してしまう。


 ◇◆◇


「今日はありがとうございました」


「はい、良ければまた喫茶店に来てください。自分で言うのもなんですけど居心地いいので!」


「はい、また機会があるときに…」


 そう言うと純玲さんはぎこちない笑顔を浮かべ、軽くお辞儀をして部屋を後にした。




 〜1ヶ月後〜




 純玲さんと別れてからもう1ヶ月――。

 

 結局彼女は喫茶店に現れることは無かった。「また来てください」なんて言っちゃったけれど、もしかしたら学校は近くじゃないのかも?


「気を遣わせちゃったかなぁ…?」


「どうしたの?詩音ちゃん?なにか悩み事?」


 私が珍しくしおらしくしていたせいか、いつも昼時になると来店される葉月さんが声を掛けてくる。


「いえいえ、悩み事ってほどではなくて…」


「そう?ならいいんだけど。なにかあったら教えてよね!力になるから!」


「ありがとうございます」


「あっ!そんなこと言ってたら休憩終わっちゃう!お会計お願い!」




 ―――葉月さんにはああ言われたけれど、本当に相談するような内容じゃないのが困りものだ。

 

 1ヶ月も前の話だし、そもそももう会えるかどうかも分からない子の話しなんてしても返答に困るだろうし…。


 そんなふうに頭の中で純玲さんの顔を浮かべながら、マンションの自室に入る。


 別に大したことじゃない。1時間ちょっと話しただけの仲なのに妙に純玲さんのことが気になってしまう。


 ピンポーン


 急に玄関の方からチャイムの音が鳴りビクッと体が反応する。いつもは誰も尋ねてこないはずなのにと疑問に思いつつも部屋のドアを開ける。


「はーい。どなた…えっ!?純玲さん!」


「どうも。お久しぶりです」

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