狐辻さんの百合実験

あきろん

第1話 私達だけの合図

 私はさり気なく彼女の隣を通り過ぎる。

 少し視線を落として、彼女が手に持つ文庫本を盗み見する。

 文字だらけのページと1枚の挿絵が入ったページ。

 一瞬だけど、その挿絵は女の子同士が抱き合っているように見えた。


 狐辻こつじさんは、これがしたいらしい。


 これは彼女が決めた合図で、彼女が本を開くと私は通り過ぎざまに確認する。彼女のしたい事は挿絵が教えてくれる。


「……けほっ」


 私がそれを確認し、わざとらしく1回咳をした。

 この咳は、彼女への返答。私が了承した合図。


 別に虐められているとか、強制されている訳ではなく、友達と遊ぶ感覚に近い。

 挿絵がない日だってあるし、私が嫌な事ならば咳をしなければいい。

 といっても今までは手を繋ぐとか、髪を結ばせてとか、些細なやり取りで咳をしない事はなかった。


 なので今日は少し、変な咳になってしまった。

 今日彼女が開いていたページは、女の子が抱き合う絵。

 つまり、私と狐辻こつじさんが抱き合うという事。

 別に嫌じゃないけれど、でもやっぱり、少し恥ずかしいところはある。


 通り過ぎ際に私の後ろから小さく言葉が耳に入った。


「やたっ」


 振り返ると、小さな文庫本で顔を半分隠してはいるが、嬉しそうに笑っているのが分かる。隠しきれていないよ、狐辻こつじさん。



 狐辻こつじさんが今日したい事だから、明日、明後日にすることはない。

 だから他の人達が部活や帰宅する時間帯。放課後に私達は特に何もする事もないのに、だらだらと教室に残っては人が減るのを待っていた。

 教室で行う事もあれば、どこか人のいない場所を探しては、そこで済ませる。

 狐辻こつじさんが立ち上がり、私の方へ歩いて来る。

 まだ教室には数人いるのに近づいて来るってことは、そういうこと。教室ではない別のどこか。



りん、行こうか」

「う、うん」


 適当に場所を探しながら歩いては引き返し、歩いては奥へ進む。


「……」

「……」


「…………」

「…………」


「…………」

「……りんさ、今日、嫌だった?」


 きっといつもより変な咳をしたから、こんなことを聞いてきたのだろう。

 ずっと会話がないのは別に狐辻こつじさんと仲が悪いとか、話しにくいとかではない。


「ううん!全然!ちょっと、緊張してるだけ、かな……」

「良かった。でも全然だからね?」

「そ、そうだよね」


 狐辻こつじさんにとっては抱き合う事は普通でも、私自身からはちょっと普通とは思えない。


「ここでいいかな?」

「だね、周りには誰もいないよ」


 誰も来ない校舎の裏。壁際に立つ私は鞄を置いて、狐辻こつじさんの顔を見る。


「じゃありん、覚悟してね?」

「は、はいっ」


 そんな、今から抱き合うだけで、そこまで脅すように言わなくてもいいんじゃないかな?そんな風に言われてしまうと、私は変に身構えてしまう。


 少しずつ近づいて来る狐辻こつじさんは、私はより背が高くて、黒くて綺麗な長い髪が似合っていて、凄く大人っぽく見えて、だから、色気と言うのか、すごくドキドキしてしまう。


りんは髪、伸ばさないの?」

「短いの結構楽で、それに私には狐辻こつじさんみたいに長いのは似合わないよ」

「……まぁ、ショートのりんが可愛いんだけどね――」


 そう言って狐辻こつじさんは私を抱き締めた。

 突然のことで息が止まるけれど、激しく鼓動する心臓がうるさくなるけれど、覚悟したお陰か、気絶するようなことはなかった。

 

「……すぅー」

「!!なっ――なんで嗅ぐの!?」

「すぅ……なんでって、挿絵見たでしょ?――はぁぁ」


 狐辻こつじさんはお構いなし私の首、耳、おでこ、つむじ、と色々な場所に鼻を当てて息をしている。

 見たけど、思い出してみても、確かに抱き合ってるシーンだ。


「や、やだっ汗かいたしっ嗅がないで……」


 狐辻こつじさんを引き離そうとしても、力が足りず、ただただ匂いを嗅がれ続ける。


「別に臭くないよ。りんの匂い落ち着くよ」


 狐辻こつじさんが私の顔を両手で持ち上げると、目が合った。

 顔がすごく赤くなるのが分かる。体も熱くなっている。でも、それは狐辻こつじさんも同じなんだと、顔を見ればすぐに分かった。


 頬を赤く染めらして、肩で息をするように少し荒い呼吸。


「次、りんの番だよ」

「え!?私の番って」

「あの絵は、抱き合いながらお互いの匂いを嗅ぐシーンなんだよね」


 絵だけじゃ分からなかった。

 私は絵だけの情報しか与えられず、狐辻こつじさんは絵と文字の情報を得て、私にお願いする。


「なんか、ずるくない?」

「ずるくなんか、ないよ――」


 にやっと笑っては私の顔を胸に押し付けてくる。

 狐辻こつじさんの胸の感触が私の顔に伝わる。

 すごく大きいとは言えないけど、高校1年生にしては十分だと思う。


「どうかな?私の匂い?」


 そう言われて、私は思い出すかのように息をした。

 多分、狐辻こつじさん家の柔軟剤の匂いと、微かに感じる香水の匂い。

 甘く、脳が溶けてしまいそうになる。


 私はゆっくりと背伸びをして、狐辻こつじさんの首元に顔を近づけた。

 嗅ぎやすいようにか、狐辻こつじさんは首を少し傾げてくれる。


「ありがと……」

「ん」


 少し匂いが変わる気がしたけれど、それでもまだ甘い匂いがした。

 シャンプーやボディーソープの匂いなのかな?


「――――はい、今日は終わり」


 その言葉と同時に狐辻こつじさんは、私の体を引き離した。


「えっ早くない?まだ首しか、嗅げて――」

「そんなに、りんの好きな匂いだったのかな?私って」


 いたずらっ子のように笑みを浮かべて私を揶揄う。

 確かに今の私の言動はまるで、まだ狐辻こつじさんの匂いを嗅ぎたがっているみたいだ。


「別に、そうじゃないけど」


 恥ずかしさのあまり私は、不貞腐れた顔で否定する。


「まぁ本の内容を体験出来たし、りん、ありがとね」

「別に、このくらい、でしょ?」


「……だねっ」



 百合好きにとっては、このくらいは普通だ。狐辻こつじさんが読む本は女の子同士が絡む本。



 そう狐辻こつじさんは百合が好きだ。



 そして私は、狐辻こつじさんの実験に付き合う、助手のような存在。


 私は時々思い出してしまう。

 高校一年生になったあの日。

 狐辻こつじさんと出会ったあの日。


 私はすぐ友達が……出来たと思った。ただ、コレを友達と言える関係性なのだろうか?と、時々考えてしまう。





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