舞台裏「長谷川悠司」




「そういえば、例のオープニングあるだろ? アレ、挿入位置を怪人との戦闘直前にして、映像終わる前に倒しちゃったらどうなるのかな」

『そりゃ、そのままエンディングじゃないですかね。私、そろそろアレ飽きてきたんですけど』

「なんでや、入魂の会心作やないか」

『出撃してるマスカレイドさんはいいでしょうけど、毎回見せられる身にもなって下さいよ。すでに夢にも出て来るレベルですよ』

「……つまり、ミナミさんは新作を作りたいと」

『なんでや』




-1-




「……まさか、使う日が来るとは」


 サイフォン式のコーヒーメーカーで抽出されるコーヒーを眺めている。

 これは以前同僚の引っ越し時にもらったものの、部屋のインテリアと化していたものだ。忙しい日々が続く中では、コーヒーを淹れる趣味に目覚めでもしない限りは使う事はないだろうと思っていた。

 しかし、いざ銀行を辞めて時間ができたところで、自分に趣味がない事に気付いてしまった。ぶっちゃけやる事がない。時間があったらやろうと思っていた事でも、いざ時間ができてしまうとまったく興味が湧かないのだ。多大なストレスから解放されたあとのリフレッシュ期間とも考えてみたが、再就職活動を含めてもまだ時間が余るという有様である。そうして何気なく手を出してしまった結果がコレだ。

 正直コーヒーの味の違いなど分からないし、やっていて楽しいとも思えなかった。しかし、こうして抽出されるコーヒーをただ眺めているのは考え事をするのにはいいと感じている。……そういう意味では、やはりこれはインテリアなのかもしれない。なるほど、だからコーヒー店に飾られているのか。


 抽出されるコーヒーを眺めながら頭をよぎるのは、当然ヒーローの事。これまで得た情報で怪人とヒーロー、あるいはマスカレイドという個人についての考察である。少ない情報を繰り返し噛み砕き、頭の中で整理する。

 怪人を一言で表現するなら意思を持った災害だ。どこからともなく現れ、人間社会に被害を出し、どこかへと去って行く。

 自然災害と違うのは、人間と明確に敵対している事。会話が成立しても、根本的な部分で相容れない以上、もし全面的に戦うとしても戦争ではなく生存競争と呼ばれる戦いになる。ただただ被害を与えるのが怪人、耐えるのが人間。関係は一方的であり、それは年中この国を襲っている地震や台風と同じ性質のものと言える。ヒーローというカウンター的存在がいてもそれは変わらない。

 一方のヒーローは表現する言葉が浮かばない。ただ、無条件でなくとも怪人から人間社会を守ってくれる存在ではあるらしい。

 対話も成立する。実際会話をしたし、どうやってかは知らないが向こうから電話をかけてくるくらいだ。会話した限りでは怪人討伐だけが目的で人間はついでに助けるというスタンスではなく、被害を減らそうという意思を感じられる。人間の価値観とは乖離していて、何が優先されるものなのかが分かれば交渉だって可能だろう。

 もしも、これがただ単に怪人対ヒーローの構図で人間社会はその舞台になっているだけ、という状況なら悲惨な事になっていただろう。無力ではあっても対立の構図に絡んでいる以上、人間にも行動の余地がある。

 人間と怪人とヒーロー、この三つは明確に立ち位置の異なる勢力として考えるべきなのだろう。ヒーローを人間の括りに含めてはいけない。たとえ出自が特撮のように人間が変身した姿だとしても、ヒーローを人間勢力として数えるのは危険過ぎる。

 彼らは人でも動物でも自然現象でもない。にも拘わらずそのほとんどが未知のまま、近しい言葉・概念に置き換えて完結し、本質を知ろうともしない。ヒーローや怪人を名乗ってはいても、彼らが過去にあった創作上のそれであるとは誰も言っていないのに。


 なんとなくヒーローの役に立てればという考えで始めた情報収集だが、各所で見られる反応……特に元職場でヒーローの饅頭が販売されているのを知って以来、強い危機感と頭痛を感じている。

 以前から怪人が出現していたという海外でも同様だが、あれほどまでに非現実的な力を見せつけられて尚、常識的な考えを脱却できていない。

 怪人がもたらす脅威に対して人間がどうにかできるとは思えないし、それをヒーローに任せるのは仕方ない事だろう。怪人にせよヒーローにせよ、これまでの常識では有り得ない超常の存在なのだから。しかし、その捉え方・扱い方がまずい。許可もとらずにグッズを売り、どうして助けてもらえるかも分からないまま行動を批判する。その結果何が起きるのか想像もしていない。

 元同僚や警察はそれらを正しく認識せず、未だどこか日常の延長線上にあるものだと勘違いしている。本人に聞けば理解していると答えるだろう。しかし、本当に理解しているのなら勝手に饅頭など売り出すはずはないし、それを許可するはずがないのだ。地元の名産が増えたとか何かのイベントがあったとか、そういった基準で考えていいはずがない。どう考えてもリスクとメリットが見合っていない。自分たちの行動・言動がどう影響するのか、例のテレビ局襲撃事件のように見捨てられたらどうするのか、怖くはないのか。

 もちろん、理解している者は多数いるだろう。しかしその逆もまた多く、そういった者の声は決まって大きいのである。

 現在の日本で蔓延している認識は極めて危険だ。これを無視した結果、人類社会が基盤ごと崩壊する可能性もある。いや、すでに"その兆候は現れている"。放置するのは悪手以外の何物でもない。人間社会、あるいは国家という枠組みで考えるなら、今後の対応を検討するのは必須だろう。


 ここに長谷川悠司という個人が関わる理由は存在しないし、その必要性もない。怪人と戦う力もないし、特別なスキルもない。あるのはただ妙なジンクスと、それに振り回されてきた人生経験だけ。

 なんの因果か、政府か警察の回し者と思しき存在に監視されていたり、ヒーローから直接電話がかかってきたりしているが、この状況も偶然の産物、タイミングの妙というやつだ。

 私自身に何かがあるわけでもない。監視だって、情報が集まれば次第に引き上げるはずだ。進んで足を踏み出さなければ、これからも……これからは大して特筆する事のない人生を送る事ができるだろう。日常が非日常に染まりそうな状況では、それもその他大勢と変わらない程度の意味合いしかないのだが。


「……それでいいのか?」


 しかし、葛藤がある。

 妙なジンクスのせいで非日常を知っているとはいえ、それは知っているだけ。私自身が特別というわけではない。


『なので、できる限りの事はします。どこまでやっても借りを返せる気はしませんが、よっぽどひどい事でない限りは』


 あんな事を言ってしまったのは、心のどこかでは非日常へ踏み出す事を望んでいたからかもしれない。ただ巻き込まれた上で傍観するしかできなかった世界に。

 それでどうこうしたいとか野心があるわけではない。ただ、好奇心はある。冷静に考えるなら、この好奇心は猫を殺すものだ。辛うじてでも日常に踏み留まるか、それとも足を踏み出すか。……そもそも、私は抑制するつもりがあるのか。

 サイフォンのコーヒーは、湧き上がる私の好奇心そのものではないのか。


 コーヒーの入ったカップを手に自室へと戻ると、あからさまに分かる変化が一つ。……ベッドの上にA4サイズの紙が数枚置かれていた。

 誰かが侵入したわけではないのだろう。そんな痕跡はないし、予想が当たっていればこの紙の主はそんな事をせずとも超常を起こせる存在だ。侵入経路について深く考えるまでもない。

 とりあえず、これを読まないという道はない。自ら望んだものだし、読んだだけでどうこうという事もないはずだ。一般人が読んでも大丈夫なように中身を厳選しているに違いない。

 問題はそのあとだ。踏み込むか否か、それを決めずにこれを見るのは致命的なように感じる。

 ……いや、誤魔化すのはよそう。私は足を踏み外す事を望んでいる。目の前にあるのはただのきっかけなのだ。




「これはまた……」


 紙に書かれていたのは、予想通りヒーローと怪人に関する情報だ。おそらくは明かしても問題のない最低限……しかし、このまま公開すれば激震が走る事間違いなしの内容である。現在私を監視している者が接触して来た場合でも、これをすべて明かすのはちょっと問題があるだろう。

 不明瞭な部分や疑問もあるが、一時間後に再度連絡するとの記述もあるので、細かい事を含めてそこで質問しろという事なのかもしれない。……この情報の範囲なら、自分の裁量でという事なのかもしれないが。

 言っていた通り、別に饅頭はどうでも良さそうだ。


 間違っても電話を取り逃したりはしないよう愛用のスマホを近くに置き、紙に書かれた内容を熟読する。

 読めば読むほどに無茶苦茶な世界である。そして、これが明かしてもいいとなると、その先にあるのは一体どんな世界なのか。その世界に踏み込んで、私に何ができるというのか。

 武者震いなのか恐怖なのか、とにかく訳の分からない感情で体が震えている。この状態でまともに受け答えできるか不安だが、そろそろ連絡があるはず……と、スマホを見つめていると、予告ピッタリの時間に連絡があった。


『こんばんは、長谷川悠司さん。はじめまして』


 ……待ち構えていた電話ではなく、PCからだが。




-2-




 連絡、交渉役として接触して来たのはマスカレイドさんではなく、ミナミと名乗る者だった。

 本名であるかどうかは分からないが、それは以前マスカレイドさんと会った時に出た名前と一致する。ただ、現時点で重要なのはミナミがマスカレイドさんの協力者であるという事実のみであり、偽名か否かは二の次だろう。

 性別や年齢は分からない。日本語を喋ってはいても日本人とは限らないし、そもそも人間かどうかも怪しい。フィルターをかけた音声もそうだが、感情の感じさせない口調はむしろ機械音声か何かと言われたほうがしっくりくるものだった。


「……何故、マスカレイドさんではなくあなたが?」


 明かしてもいい情報の中にミナミの存在は含まれてない。なのに、こうして対話可能な存在だと知られるのは問題があるのではないだろうか。強盗の時も、広めないで欲しいと注意を受けたはずだ。


『本来秘匿すべき存在ではありますが、"ミナミ"の存在をすでに知られている以上、あなたと対話する事で追加される懸念要素はありません。その前提なら本来窓口に立つべきは私の役割です』

「この公開可能な情報についての質疑応答もあなたが?」

『はい。その上で、こちらの提案と意思確認を行わせて頂きます』


 会話を通してこちらを値踏みしている印象を強く感じる。超常の存在を相手にして下手に誤魔化しても意味はないだろうと、ただ素直に応えるだけだが。


「……提案?」

『あなたに正式な形で私たちの協力者になって頂きたい』


 心臓が跳ね上がった。何かしら要求される事は想定していたが、あまりにも直接的な提案だった。


『私たちは人間社会に直接干渉できる手を持ちません。しかし、あなたも懸念しているように、何らかの形で情報を発信する必要性を感じています』

「その必要性は……はい」


 やはりというか、情報のノイズが増えて困るのはヒーロー側も同様という事か。少なくとも万能というわけではないらしい。

 憶測と流言飛語が飛び交う中で、確かで正確な情報は道標になる。内容を鵜呑みにするのはまずいだろうが、情報源がはっきりしているというだけでも重要性が高まるだろう。現在、監視している連中が必要としているのはそういう情報のはずだ。


『私たちがあなたに望むのは、窓口役と人間社会の情報収集です』

「協力する事自体はやぶさかではありませんが、あまり長期となると自由に時間を使えるわけでは……」


 現在、就職活動中の身である。今は時間が取れるからいくらでも協力できるが、今後ずっとというわけにもいかない。

 貯金は年相応以上にあるが、何年も収入がない時期が続くのはさすがに厳しいだろう。……あるいは、窓口として政府など国家組織から収入を得るという方法もあるかもしれないが、確実ではないし、それはそれで活動に制限を受ける事になる。ヒーローという存在を金儲けの材料にするのも気が引ける。


『ふむ……』


 ミナミが悩むような声を出した。これまで人間味を感じさせなかった中で、初めての感情らしきものだ。


『では、こちらで就職先を用意します』

「……は?」


 そして、次に待っていたのはあまりに予想外の言葉だった。……用意する?


『ダミーとしての肩書きと、定期的な給与は保証しましょう。額は……』

「ちょ、ちょっと待って下さい。話が飛躍し過ぎて……」


 そんな事が可能なのか。いや、相手は文字通り超常の存在だ。可能かどうかなら可能なのだろう。

 ここまでは協力するといっても、自由になる時間を使ってという認識だった。それが就職先と収入まで用意されるとなると、正しく全面協力だ。どこまで要求されるかは分からないが、頭までどっぷりと非日常に身を置く事になる。

 ……いや、いっそそれでも構わないが、展開が早過ぎて理解が及ばない。


「……いえ、続けて下さい。労働条件の交渉は可能だと考えても?」

『……へえ』


 それはおそらく、感嘆の声。ゾワリと、背中に冷たいものが走った。何か触れてはいけないものに触れてしまったような、未知の恐怖を感じている。

 何かまずい事を言ったか? それとも即答がまずかったのか。恩のある相手、それも理解の及ばない超常の存在相手に抗う気なんてないぞ。


「あの、何か?」

『いえ、少し興味深いと感じました。では、労働内容と条件について決めましょうか』


 そうして、何故か就職に向けた交渉が始まってしまった。理解し難い展開ではあるが、飲み込むしかない。

 用意できるという企業は複数あるが、どれも実体のない名義だけの法人だ。最終的には東京に本拠を構え、二十年の歴史を持つ服飾業……その営業が私の次の就職先となった。なんというか、実際に二十年前から存在する中身のない企業らしい。

 当然そこに通う必要はなく、営業として何か労働をする必要もない。

 給与は銀行振り込みをする上で不自然にならない程度の額が上限という話だったが、銀行職員時代と同様の額に下げてもらった。これだって結構な額だし、そんな身を滅ぼしそうな額面は必要ない。というか怖い。

 経費は自由、申告さえすれば上限なしで支給されるらしい。銃や爆弾など所持に問題のある物が必要になった場合は応相談……つまり、用意はできるという。

 加えて福利厚生も極まっている。普段使用する事になる住居の他、日本各地に数か所セーフハウスまで用意。必要があれば偽造の戸籍やパスポートを用意するとの事。

 ……どう考えても真っ当な仕事ではない。しかし、ここまでの内容を聞いただけでもすでに逃げられないと確信できてしまった。完全なる囲い込みだ。絶対に裏切れない。もし裏切ったらどうなるのか、と聞くだけでも怖い。想像を絶する報復が待っているに違いない。


 望んでの結果ではあるが、この日私は完全に日常から足を踏み外した。




-3-




 東京某所。駅前にある、特に特徴のないどこにでもあるような喫茶店のドアを潜る。昼時は過ぎているので客はまばらだ。


「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」

「いや、待ち合わせで……ああいた」


 店内を見渡すと、目的の人物を発見する。向こうもこちらに気付いたようだ。


「久しぶり、後藤。今日は悪かったな」

「暇は作り易い仕事だから気にすんな。というか、これも仕事なんだろ?」

「まあ、決まったわけじゃないがな」


 待ち合わせしていたのは高校時代のクラスメイトである後藤だ。実は数年ぶりの再会になる。


「しかし全然変わってねーな、お前。銀行マンってもっとピシっとしたスーツばっかり着てるイメージなんだが」

「辞めたから銀行マンでもなんでもないぞ。それより、紹介してくれるか?」


 ボックス席には後藤ともう一人、浅黒い肌の男が座っている。


「ああ、悪いな。カルロス、こいつが例の件で話を聞きたいっていう長谷川。現在無職らしい」

「無職を強調するな。……えーと、英語でいいのかな。スペイン語はできないんだが」

「いや、日本語でいい。アルゼンチンのスポーツライターやってるカルロスだ。よろしく」


 男が立ち上がると、予想以上の長身だった。さすがに二メートルは超えていないだろうが、ここまで大きいとさすがに圧倒される。

 話す日本語は異様に流暢で、ほとんどネイティブなのではないかというほどだ。名刺の出し方は適当なものだったが、それは人種か職業によるものなのか分からない。後藤は忘れているのか名刺すら出して来ないし。


「カルロスさんね。よろしく」


 名刺に書かれている情報が表向きの顔である事は分かっている。

 カルロスというのも偽名で、ミナミの事前調査によれば本当はイラン人のアリーさんというらしい。中東に良くある名前だ。

 とはいえ、それを突っ込むような段階ではない。色々裏のある人間らしいが、直接関係のない今は普通にカルロスさんとして接するべきだろう。


「さて、さっそくだが仕事の話といこうか。ヒーローと直接話した最初の日本人として記事にして欲しいんだったよな」

「ああ。取材の上で雑誌に掲載するかどうかは任せるし、今回に限っては取材費もいらない。ついでに言うと、これは警察以外で初めて話す内容だ。なんか重要っぽいだろ?」


 実際、貴重な情報のはずだ。後藤本人が使わないにしても、雑誌向けのネタとして十分なインパクトはある。


「そりゃありがたいが、一応理由を聞かせてもらっても?」

「話す内容にも含まれるんだが、ちょっと情報を拡散させたくてな。個人がネットで活動するよりは、出版物の後押しが欲しいんだよ」

「その際にヒーローから何か言われたとか?」

「いいや。だけど、現状の憶測と噂が飛び交っている状況は正直好ましくないし、怖い。例のTV局襲撃事件みたいに、ヒーローから見捨てられるのは御免だからな。あんなのの巻き添えを喰らいたくない」

「ああ、アレね。……まあ、会話できるって事は、そういう無礼な事も伝わるって事だもんな」


 後藤の顔が引き攣った。

 目撃者や関係者が多く、生中継までされていたあの事件の情報は多い。見捨てられた経緯だって調べれば簡単に分かる事だが、ヒーローが人間を見捨てたという事実だけしか見ない者も多い。


「あとは、海外の怪人事情に詳しい人とのコネ作りだな」


 カルロスさんに目を向けると、こちらに興味深そうな目を向けていた。

 彼は後藤に話を持っていく時に海外に詳しい人物はいないかと聞いて、紹介された人物だ。事前にある程度話は通した上での対面となったわけだが、実は彼も怪人事件について調べているという。


「こちらも正直助かるな。各地で怪人事件を追ってはいるが、未だにヒーローと邂逅した事はなくてね。会話となると更に貴重だ」

「あんた、スポーツライターじゃなかったっけ? 危険じゃないのか? 怪人って……アレだろ、銃とか効かないんだろ」

「スポーツの話題は供給過多なんだ。逆に怪人とヒーローネタはどこの国も情報に餓えている。先の見通しが立つならこっちを本業にしたいくらいだ。……ウチの国はサッカーファンも危険だしね」


 会話の通り、怪人事件を追っているのはこの話が出るまで後藤も知らない事だったらしい。

 しかし、海外のサッカー事情は知らんが、怪人と比べるのは間違っているだろう。それとも、南米のサッカーファンはそれほど凶暴なのか。


「それと、サッカー場に怪人が現れた事もあるんだ。はっきりと怪人の仕業っていう証拠はないけど、死人まで出てる」

「うへぇ」

「ハセガワが聞きたいのもそういう分野なんだろ? 南米と中東、アフリカならかなり詳しいほうだと思うよ」

「そりゃ助かる」


 見事に欲しい地域の情報だ。ミナミが手を伸ばし難いと言っていたエリアでもある。


「ちなみに、長谷川はなんでそんな熱心に調べてるんだ? さっき言ってた危機感ってやつか?」

「それもあるが、半分趣味だ。仕事辞めて暇だったからな」

「再就職決まって暇がなくなりそうだから、最後に雑誌に載ってやろうと」

「……まあ、そういう事にしておくから、派手に頼む」

「内容次第だな」


 というわけで、これまで何度も繰り返しまとめて来た情報を伝える。主に銀行強盗の際にマスカレイドさんから聞いた内容だが、ミナミから受け取っている広めたい情報を警察にも言っていない極秘情報として加えた。

 ほとんどがネット上の噂話レベルでも出てきていない新情報のはずだ。二人は興味深そうにメモを取っている。


「そういえば、そのマスカレイドってヒーローは日本人って事なのか?」

「なんでそう思うんだ? ギリシャ彫刻みたいな容姿に加えて完全な銀髪だぞ。特撮みたいに変身してる可能性はあると思うが」

「日本語で会話したんだろ?」

「ああ……あとで調べて分かった事なんだが、ヒーローも怪人もその国で使われてる言語を使うらしいんだよな。良く分からない力で翻訳されてるのか、世界中の言語を網羅してるのかは知らないが。海外のほうがそういう事例は多いんじゃないのか?」


 日本以外で取材しているカルロスのほうが、この手の比較はし易いだろう。


「ああ、確かに怪人が使うのも出現したその土地の言葉だとは聞いている。実際、爆弾騒ぎの時の宣言も全世界で翻訳されていたはずだ」

「そういえば、そういうのもあったな」


 忘れていたが、アレは分かり易い例だ。動画サイトに上がっている各言語版も、改めて編集したものではなくオリジナルのままである。


 そうして、取材というよりもただのヒーロー談義になってしまった打ち合わせは続く。打ち上げとして奢るという話になっていた居酒屋に移動しても、話題は変わらずだ。元クラスメイトの後藤は、どうやら高校卒業してからの私に興味はないらしい。

 最終的な感触としてはかなり良いほうだろう。世間の需要を考えればまず掲載され、あとはどれくらい枠を取れるかという検討に入るレベルだとか。

 そしてカルロスが語る海外の話もなかなかに興味深いものだった。ネットから拾える以上に現地の状況が悪い。特に怪人被害を受けた地域は目を覆うような有様だという。以前は治安が良かった場所が今は護衛が付いてないと歩けない場所になっていたり、元々治安が悪かった場所が更に悪化して事実上の無法地帯と化している例もあるそうだ。現地に足を踏み入れないと分からない情報は貴重である。


「ニュースだと、どうしてもライターのフィルターがかかるからな。直接被害を受けた住人は、どこもひどいもんだったよ」


 日本にいながら海外の情報を集める場合、どうしてもネットを介してニュースなどのメディアを参考にする事になるが、やはりそれだけでは正確な情報は得られないという事だ。

 個人のブログなどが機能していればいいのだろうが、被害に遭った人が以前と変わらず更新を続けられるはずもない。モチベーションもそうだし、怪人被害で家やPCを失って物理的に更新不可能なケースも考えられる。

 そういった興味深い話を一通り聞き、話題の中心がヒーローから離れてから小一時間経ったところでお開きだ。

 深夜に近いが、終電までにはまだまだ時間がある。サラリーマンの飲み会なら、このまま二次会へ行くのだろう。




 店の前で二人と別れ、深夜の街を一人歩く。

 駅まで微妙に距離はあるが、タクシーを拾ったりはせずに徒歩だ。ミナミならいくらでも経費として計上してくれそうではあるが、これは節約のためというよりも別の目的がある故の行動である。それに、無駄に出費をする必要もないだろう。

 途中、如何にも接触を待ってますよという雰囲気を出しつつ、自販機でコーヒーを買いその場で飲む。今の状況とは関係ないが、やはり豆から抽出したコーヒーとの差は分からない。自分の馬鹿舌に泣けてくる。


 コーヒーを飲みながら、頭の中で今日の情報を整理する。

 第一の目的はまあ上々の感触といっていいだろう。

 後藤の反応を見る限り、なにかしらの形で記事にはなるはずだ。編集部の反応次第で流れる可能性もあるが、他社の雑誌にも声をかけてみると言っていたので保険も効いている。駄目でも別の知人を当たるなり、ミナミの推薦を待つなりする事になるだけだ。気長に行きたい。

 第二の目的もそこそこ。

 海外の怪人事情にそこまで真新しい情報はなかったといえるが、現地の空気やネット上と実情の乖離などが分かったのは大きい。独自に怪人ネタを追っている、ミナミの情報網に引っかかり難いという地域を網羅している、という条件もあって期待していた以上の情報は得られた。海外の雑誌社・新聞社への顔繋ぎをしてくれるかもしれないという利点も大きい。

 そして、これだけ露骨に今までと異なる動きをすれば、そろそろ監視している連中が接触してくるだろう。

 見られている感じはずっと続いている。家の中や店まで入って来ないし、ミナミの言によれば盗聴、盗撮、ハッキングの可能性も低いという。もはやただの観察だ。電子機器を避けているという話だったから、彼らはこのあと手書きで報告書を書くのだろうか。ひょっとしたら宿題として『長谷川悠司観察日記』の提出を求められているのかもしれない。かわいそうに。

 こちらから接触してもいいかもしれないが、少々不自然だろう。できればこちらから依頼するのではなく、向こうから交渉を持ち掛けて来たという体にしたいところである。わざわざ人気のない路地で一人になっているのだから、そろそろ近付いて来て欲しい。


 自販機の横に備え付けられたゴミ箱に缶を捨てる。

 ……結局、接触はなしか。なら、普通に帰って報告書をまとめる作業に入るだけだ。

 と、張り詰めていた緊張を解き、駅まで移動したところで不意打ちのように声をかけられた。


「やあハセガワ、もう少し話さないか?」


 ただ、接触して来たのは監視ではなく、先ほど別れたばかりのカルロスだったのだが。




-4-




 そう誘われて行った先は、妙にムードのあるバーだった。元々は後藤が教えた店らしく、ちょっとした密談に使っているらしい。

 少々変わった行動をした事で監視連中が近寄って来る可能性もあるが、あまり広い店ではないから、誰かか入店すればすぐに分かるだろう。


「一応言っておくが、私はノーマルだぞ」

「すまんが、その手の話は冗談でもやめてくれ。……ゴトウには言わないで欲しいんだが、以前ブエノスアイレスでゲイの集団にレイプされかけて以来トラウマなんだ。奴らは恐ろしいぞ」

「それは……なんかすまん」


 ちょっと想像が付かないレベルのトラウマ持ちだったらしい。既婚者という情報をもらっていたから疑っていたわけじゃないんだが、冗談でも話題に出してはいけなそうだ。少しだけ、怪人と対峙するのとどっちがいいか……なんて聞いてみたかったが、この様子だと確実に印象を悪くするだろう。


「そんな話題のあとでなんだが、個室でいいか? あまり人には聞かれたくない話なんだ」

「そりゃ構わないが」


 少なくとも後藤には聞かせたくない話だろうとは予想が付くが、一体どんな密談をするというのだろうか。最近、ヤバイ話ばかり聞いている気がするんだが。まったく別方向でヤバイ話だったら、そろそろ飽和するぞ。

 空いていた個室に案内してもらい、適当に注文を済ませる。店自体静かだったが、個室は防音に気を使っているのか更に静かだ。個人的には、入口あたりの様子がガラスごしに見れるのがいい。


「それで、なにか重大な話がありそうだけど?」

「まずは一杯飲ませてくれ。シラフじゃキツイんだ」


 カルロスはそう言って運ばれて来たウイスキーをロックで飲み干し、ボトルから手酌で二杯目を作っていた。

 さっきも結構飲んでいたような気がするんだが、南米……いや、イラン人は酒に強いのだろうか。日本人が極端に弱いのは知っているが。

 というか、イラン人ならイスラム教じゃないんだろうか。今更だが、酒飲んで大丈夫なのか?


「……一応聞いておきたいんだが、カルロスはどこの宗教の人?」

「日本人から宗教の話を振られるのは珍しいな。名目上はキリスト教だが、限りなく無神論者に近い。と言っても共産主義者でもない。幼少期を日本で過ごしたせいか、日本人の感覚と近いよ。ちなみに嫌いな宗教は宗派問わずイスラムだ」

「……ああ、そういう」


 なんとなくだが、現在のカルロスさんになるまでの流れが想像できてしまった。


「……そろそろ本題に入ろう。最初に聞きたいんだが、ハセガワはヒーローへのホットラインを持っていたりしないか?」

「……何故、そんな事を?」


 あまりにピンポイントな発言に、心臓が跳ねた。顔には出ていないと思うが、動悸が早くなっている。

 これまで失言らしい失言はしなかったはずだ。どれも、銀行強盗時の経験やネットを調べて考察可能な事しか言っていない。


「強いて言うならジャーナリストとしての勘だが、実は可能性がありそうな相手はすべて当たってるんだ。藁でもなんでもいいからすがりたい状況に追い込まれている。空振りばかりで錆びついた勘でもこれ以外に頼るものがない」


 特別、私だからというわけではないという事か。


「ひょっとして、スポーツライターなのに怪人事件を追っているのもそれが理由とか?」

「ご明察。一年前、とある事件に巻き込まれて以来、ずっと追っている。俺には小さい息子がいるんだが、目の前で怪人に攫われたんだ」

「な……」


 あまりにも直接的な怪人被害者だった。

 ミナミが事前に調べたプロフィールではそこまで触れていなかったはずだ。公になっていないという事なのだろうか。


「怪人もヒーローもまだ世に出て間もない頃の話だから、世間では怪人事件として認知すらされていない。俺の息子も数ある失踪・誘拐事件として扱われて迷宮入りだ」

「その手がかりを追ってるって事か」


 それが本当なら必死にもなるだろう。

 しかし、妙な違和感がある。誘拐というのは、あまり怪人事件に合っていないのではないだろうか。

 過去の例から見ても、奴らは交渉などする気はなさそうだし、時間が経てば消える存在がわざわざ人を攫う理由も分からない。人間社会にダメージを与える目的なら、殺したほうが早いだろう。


「怪人が人を殺したというのは良く聞くが、誘拐なのか? その……勘違いとか」

「少しでも怪人事件を調べれば、普通その疑問に到達する。殺された事実を認められずに現実逃避に走ったってね。だが、確かに誘拐なんだ。幻覚や思い込みなんかじゃない」

「なにか根拠がありそうだな」

「世界各地で同じ事件が発生している。しかも、数少ない目撃証言を信じるなら、実行者は怪人だ。死傷者や被害の規模が大き過ぎて霧に隠れてしまっている。分かっているだけでも十七件。怪人被害に比べて目撃情報が少ない事を考えるなら、実際は倍くらいはいってておかしくない」


 もし本当なら、マスカレイドさんやミナミが知らない情報かもしれない。少なくとも怪人の生態についてのレポートには記載されていなかったし、会話にも上がらなかった。なんというか、怪人の行動を知る者から考えれば……浮いている。


「しかし、行方不明者が複数出ているなら、もっと話題に上がってもいいと思うんだが」


 たとえば、日本でそんな事が起きればニュースになる。殺人でも同様だ。今というデリケートな時期なら尚更だろう。


「ハセガワ……というよりも、日本全体で考えられている以上に怪人被害は深刻なんだ。調べていて目を疑ったんだが、この国は未だに怪人事件に伴う死者がゼロだ。二次被害者だって極端に少ない。ここは、まるで別世界だ」


 違いはあるし、被害者が少ないのも知っている。しかし、それは過去から見られる日本と海外の治安の違いのようなもので、別世界と言われるほどの極端な違いがあるとは思えなかった。少なくとも、実感はない。


「現地に行ってみれば良く分かるが、もう何もかもが違うんだ。怪人が暴れた場所なんて、現地人は誰も近寄らない。例の爆弾が落ちた場所なんて、ほとんどが廃墟かスラムになってる。怪人がどこに現れるかなんて分からないから、過去の例をアテにするしかないんだ」

「日本の場合は……変わらないな。唯一落ちた場所は周りに道路しかないような場所だし、三つ同時に落ちて来た東京も空中で討伐されてるから比較対象にはならないんだろうが」


 というよりも、日本が空中撃破を行った唯一の国だ。改めてマスカレイドさんの実力に戦慄する。


「ヒーローの実力差も大きいのかもしれないな。動画でしか知らないが、ハセガワが会ったというヒーローの実力は確認されている中では最上位クラスだから、何かしらの抑止力になっているのかもしれない」

「やたらめったら強いのは理解している」


 最初から怪人対ヒーローの構図になっていなかったからな。トイレに逃げ込んでいたくらいだ。


「この国はそういった幸運でフィルターがかけられているから、世界で起きている事を直視できていない」

「実際は、居酒屋で話していた以上に厳しい状況だと?」

「話した概要に嘘はない。が、すべてを言ったわけじゃない。報道されてない事実も多いし、現地に行かないと分からない事も多い」

「……たとえば、どんな?」


 酒の減るペースが早い。私はまだ一杯目なんだが。


「表向きはまた別のお題目を掲げているが、怪人・ヒーロー由来の紛争・内乱が始まっている。近々、いくつかの国は割れるだろうな」

「……は?」

「とある地域でヒーローが出動したが、その翌週古くから民族的確執のある隣の地方ではヒーローが出撃しなかった。難民キャンプとして実効支配されている地区で怪人が暴れていた同時期に、近くの地域でヒーローが複数出撃していた。政権交代不可避といわれた選挙期間中、どう考えても人間では実行不可能な暗殺事件が発生した。被害なしに怪人を討伐したヒーローが住人に石を投げられたケースもある。ハセガワが懸念している問題は、現在進行形で起きている問題なんだ。ニュースにはなっていないケースがほとんどだがな」


 その言葉を聞きながら私の顔は引き攣っていたと思う。

 私が最悪のケースとして考察していた状況が、水面下とはいえ現実で起きているというのか。


「大国……政府が力を持っている国はまだいい。真っ先に問題の発生しそうな中国やインドも誤魔化しが効いている。しかし、中東やアフリカの小国は元々の火種も含めて大炎上だ。中南米もかなり厳しいが、個人的には西欧諸国のほうが先に問題が噴出するんじゃないかと睨んでいるがね。あと、この国が脅威に感じているだろう例の国は情報がない。現地に行くのもちょっとね」


 それは仕方ないんじゃないだろうか。実はもう滅亡してたり……はさすがにないか。


「さっきハセガワが言っていた、『ヒーローは無条件で救ってくれるわけじゃなく、助ける対象を選ぶ』っていう言葉に納得させられたよ。なるほど、その通りだ」


 それはマスカレイドさんの言葉そのままなんだが、彼以上に海外では選り好みされていると。……いや、この場合ヒーローの意思だけとは限らないのか。その国の背景を見て救わないメリットが大きい場合だってあるはずだ。

 日本でだって、ヤクザの抗争のド真ん中に怪人が現れて暴れても可哀想だとは思い辛い。中には喜ぶ者だっているだろう。国家規模の問題になればなおさらだ。

 誰も好き好んで足を引っ張られたくはない。ならば警戒し、干渉を最小限に留めるのは正解だ。……その結果が私という最小限の窓口というわけだな。


「水面下とはいえ、これだけ問題が起きているんだ。加えて死人のほうが遥かに多い状況で、行方不明者が出たところで相手にされるはずがない。だが、息子は目の前で攫われたとはいえ明確に殺されたわけじゃない。きっとまだ生きている。少しでも足掻きたいんだ。でないと、潰れてしまう」

「…………」


 正直、生きている可能性はあると思う。人間が起こす誘拐事件と比べて、想定できる目的が希薄過ぎるからだ。

 わざわざ手間をかけてそんな事をしているのだから、意味がないはずはない。


「カルロスは怪人による誘拐事件が発生し、その被害者がまだ生きているという前提で考えた場合、どんな理由があると思う? 私には、ちょっと目的が思いつかない」

「一番に考えられるのは、人間ではなくヒーロー向けの人質だ。だが、怪人は現場でいくらでも人質を確保可能な以上、根拠として考えるにはちょっと厳しいだろう」


 私もその考えには至ったが、根拠として弱いのも同感だ。ヒーロー本人に縁深い人間でもない限り、そんな手間をかける理由にはならない。


「……おそらくだが、そう遠くないうちに大きな動きがある。怪人が何か大きな事をしでかすはずだ」

「三月にあった全世界同時爆弾テロみたいな」

「その全世界同時爆弾テロが今俺を支えている根拠だ。誘拐・拉致した被害者を使って、なんらかのショーを行うんじゃないか……そういう考えに至った」

「それは……」


 ないとはいえない。むしろ、それは有り得るんじゃないかとさえ思える。


「そうした時に何もできずに右往左往するだけなのは御免なんだ。わずかな可能性でもいいんだ。ヒーローに繋がる糸があるのなら期待したい。代価はなんだって構わない。だからもし、そんな伝手があるのなら……」

「ストップ」


 懇願するカルロスの発言を遮る。

 駄目だ。いきなりでなんだが、私が判断していい内容じゃない。


「……悪いが、就職先から電話だ」


 別に着信があったわけじゃない。カルロスも気付いてはいるだろう。

 このタイミングで席を立つのはあきらかに不審だ。暗にヒーローと繋がりがあると言っているようなものである。

 幸い、トイレの利用者はない。セキュリティ的にどうかとは思うが、諦めて電話をかけた。


『こちらミナミです』

「聞いていたか?」


 別に盗聴器を仕掛けていたわけでもないんだが、ミナミなら会話内容も把握しているだろう。


『はい。誘拐事件はこちらでも把握してません。読み通りイベントが発生する可能性も否定できません』

「他に怪人が人間を誘拐するメリットについて何か思い至る事は?」

『イベント用ではないと考えるなら、実験や怪人への改造。もう少しマイルドなら洗脳といったところでしょうか。改造の前例はありませんが、洗脳能力を持つ怪人はいます』

「…………」


 予想以上に冷酷で非道な答えが返って来た。思い至ったとしてもカルロスに伝えられるわけがない。


「生きてても、無事かどうかはまた別問題って事か」

『生きている可能性だけなら高いと判断します』

「助け出したりは……無理だよな」

『現時点では不可能です。誘拐の事実も不確実、囚われている場所も分からないでは動きようがありません』


 そりゃそうだ。どんな特撮ヒーローだってお手上げだろう。


『もし読み通り世界規模のイベントが発生するのなら、その際に救出を念頭に入れて行動する事は可能です』


 ほとんど情報がない中で、それ以上は無理があるか。これだって、無条件の譲歩なのだ。

 被害者ならどれだけ面の皮が厚いと思われようが無事に帰ってくる事を望むだろう。目の前に懇願する相手がいれば尚更だ。

 私の役割は正にその中継地点であり緩衝役。際限なく増幅する人間側の要求を抑え、妥協点を探らないといけない。今更ながら、胃が溶けそうな仕事だな。


「ヒーローにこの情報を伝えたとカルロスに言う事に問題はあるか?」

『こちらとしては元々の目的に合致しているので、それは構いません。長谷川さんの危険度という意味ではオススメできませんが』


 窓口として活動する事を目的としていたわけだから、ヒーローとの繋がりがある事自体はそう秘匿する情報ではない。

 しかしそれは特定の相手だけ、それも段階を踏んで開示すべきものであり、無闇矢鱈に交渉相手を増やすのは好ましくない。ミナミの言うように、私の身の危険は加速度的に増加していく。普通に考えるなら、カルロスには『伝手ができたら伝えておくよ』とでも言って去るべきだろう。


「彼を継続的な情報収集役として雇うのは?」

『現地で活動できるジャーナリストとしての手腕を見るならアリです。彼には栓抜きとしての付加価値もありますので』

「栓抜き?」

『偶然が多分に絡んだ結果のようですが、彼はハッカーです。栓抜きは中東で呼ばれている渾名ですね』


 サーバーをボトルにたとえた渾名だろうか。国籍云々の偽装はそこら辺が絡んでいるという事か。


『ただし、雇用するとしても長谷川さんとの契約に留めて下さい。費用はこちらで出せますが、直接の関係者を増やす予定はないので』

「私次第って事か」


 言ってみれば後藤との関係を継続的にするのと大差ない。こちらとしては手は広がるし、利用価値もある。裏も含めて個人情報も掴めているから、彼がスパイになる可能性は低いだろう。費用面では何も問題はない。せいぜい額が大きくなったら私が不安になるくらいだ。

 問題は、情報拡散の速度を間違える事で私の身が危険になるという事。……その点を含めて自己責任で判断しろと。


『雇用するにしてもジャーナリストとしてのカルロスで留めるか、ハッカーとしてのアリー・レザーを含めるかという選択肢もあります。ハッカーである事を知っていると伝えれば、嫌とは言わないでしょう』

「それは脅迫なんじゃ」

『そうですね。ただ、長谷川さんの安全を考えるなら、出し抜く事は不可能だぞと忠告するのも悪くない手かと。ハッカーなんて、何かを出し抜く事に長けている人種です』

「……うーむ」


 いや、答えは出ているのだ。ただ踏ん切りが付かないだけ。

 思った以上に日常から遠ざかる速度が早く、環境に適応し切れていない。このままではどこかで振り落とされるのがオチだ。

 そうなれば私は切られる立場の人間であり、マスカレイドさんもミナミも切り捨てる判断をするだろう。もちろん、そうならないために行動はしてくれるだろうが、いざとなったらそう判断する。そういう合理的で冷徹な部分が垣間見えている。


 かつてマスカレイドさんは、自身は正義の味方ではないと言った。しかしそれは無制限にデメリットを許容しないというだけで、行い自体は正義そのものだ。彼はヒーローとして許容可能な閾値を自分の中に持っている。無感情で冷徹にしか感じられないミナミだって、きっと内ではそういう基準を抱えているはずだ。ならば私だって許容できる範囲で正義を貫くのは構わないだろう。

 怪人を倒せるわけでも特別な技能があるわけでもない。過分とも思える報酬までもらっている。大人なのだから、報酬に見合った労働をしないといけない。それは決して我が身可愛さに安全圏に留まる事ではない。

 身の危険にしても、いつ強盗に殺されてもおかしくない人生を送ってきたのだから、それに比べればまだまだ許容値だ。


『そろそろ、ケブラー製の衣服と万年筆型の小型スタンガンくらいは身につけておいたほうがいいですね』

「……前向きに検討する」


 セーフハウスに用意されていた、見かけだけは合法的な品物の数々を思い出し苦笑する。


 さて、私の正義はどこまで許容できるのだろうか。失望されないよう頑張るとしよう。

 ……上手く立ち回らないと死ぬな。



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