君の涙は苦く 君の愛は甘い

梅之助

序章・Surprise  ①

一際華やかに輝く真っ白な馬車が、大通りを通り抜ける。

その馬車には、ウルスラ王国王太子妃ベアトリスの名前が入った、薔薇の印章が刻まれていた。

通りすがる人々はそれを見て、深く頭を垂れる。


乗っていたヴィンス・トリッシュは、まるで自分が王太子妃になったような、複雑な気分になっていた。

自分は王太子妃どころか、貴族でもなければ、女性でもない。


艷やかな黒髪も、平民らしく襟足で切り揃えられていたし、健康的な小麦色の肌や、肉厚な胸板は農民のように逞しく、庶民的だった。

唯一、愛らしい大きな紫の瞳は、いつもは少年のようにキラキラと輝いていたが、この時ばかりはその差し迫った状況に光を失っていた。


「えっと……何で、こんな状況になっちゃったかな」


誰も同乗者のいない馬車の中で、独り呟く。


ヴィンスは、王太子妃ベアトリスお抱えの服飾デザイナーであり、宮殿近くに店を構えるブティックの店主でもあった。

齢二十八で、貴族の間で最も『洒落た服をデザインする男』として知られ、最近は忙しくて寝る間もない程だ。


その手には、スケッチブックがいつもあって、ちょっとした合間にもデザイン画を描いている。

どうして、一介の服飾デザイナーである自分が、こんな豪奢な馬車に乗って揺られているのか。


ついさっきまで、ベアトリスの私室で王太子妃のドレスのデザインを描いていた。

それが突然にウルスラ王国の王太子、アレクサンダーに呼び出され、「ヴィンス、そなたをローレンス・ランドルフ・ギルベルト伯爵にめあわせる」と言われた。

正に、青天の霹靂だった。


ローレンス・ランドルフ・ギルベルト伯爵とは、面識すらない。

チラリとも見た事がない。

ローレンスはこの度、長く続いた隣国との『十年戦争』を終わらせた功労者であり、黒の騎士団を束ねる大将でもある英雄だった。

そして此度の功績により、空席だった将軍に任命された。


アレクサンダー王太子は、そんなローレンスとヴィンスを妻せると言った。

『めあわせる』という言葉の意味を、ヴィンスはすぐには理解出来なかった。


「『めあわせる』って、『会わせる』みたいなものかな。戦争からお帰りになったギルベルト大将……ギルベルト伯爵?の洋服をデザインして来いって意味なんだよな。多分」


ヴィンスは、良くも悪くもおっとりとしている。

幼い頃から苦労し通しだったので、感覚的に『悪い事』と察知したものからは、とにかく逃げる習性が身に付いてしまっていた。

だから、この度のアレクサンダー王太子からの命令も、『妻せる』という言葉を、「ローレンス・ランドルフ・ギルベルトの洋服を作って来い」と都合良く脳内変換した。


だが、チラリと不安も過る。

ヴィンスのパトロンでもあるベアトリス王太子妃が、それにはえらく立腹し、大反対したからだった。

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