オフィスで一番苦手な人と――

櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん)

いきなり、結婚することになりました


 結婚することになりました。

 社内で一番ムカつく人と。


 萩原拓人はぎわら たくと

 社内で一番人気のこの男が私は嫌いだ。


 ……そこには、語りたくない深い因縁と怨念があるからだ。




 で、そんな話を社食でしていると、同期の辰子たつこが言ってきた。


「いやいや、鈴香すずか

 なに言ってんの。


 いいじゃない。

 拓人と結婚。


 私が変わりたいくらいだわ」


 ……なにを言ってるんだ、このラブラブ人妻め、と野菜多めのランチを食べながら、私は辰子を見た。


「そもそも、なんで結婚することになったのよ」


「いや~、それがさ。

 週末、拓人んちに遊びに行ったら――」


「待った」

とまだなにも語っていないのに、ストップがかかる。


「いやいや、あんた、嫌いとか言いながら、家まで遊びに行ってんじゃん」


「拓人のおばあちゃんが来てたからだよ。

 子どもの頃、夏休みとか、お兄ちゃんと拓人と拓人の従姉妹たちと、よくおばあちゃんち泊りに行ってたんだよね~。


 ま、ともかく、週末遊びに行ったら、おばあちゃんがさ。


 いきなり、

『あんたたち、いつ結婚するの』

 って、私と拓人に向かって訊いてきて。


 拓人は、ほら、おばあちゃんっ子だからさ」


「いや、ほらとか言われても知らないわよ……」

と辰子が眉をひそめた。


「で、拓人がおばあちゃんに調子良く話を合わせてるうちに、なんか結婚することになってたのよ」


「……結婚って、そんな安易に決まるものなんですか?」

と隣で食べていた可愛い後輩の紗奈さなが怯える。


「安易っていうか、まあ、弾みは必要よね」


 そう、入社一年で大学のときの彼氏と結婚した辰子が頷きながら言ってきた。

「そういえば、男友だちと行きつけの花屋さんに行ったら、彼氏と間違われて。


 店員さんに、

『ご結婚のご予定がございましたら、うち、式場の花も請負うけおってますよ~』

 とか言われて。


 なんとなくそのまま話してるうちに、ああ、この人と結婚してもいいかなと思って、結婚したって人知ってるわよ」

と辰子は言う。


「ま、そもそも、店員さんが、結婚間近のカップルと勘違いするような雰囲気がふたりにはあったってことなんじゃない?


 あんたたちも、おばあちゃんが誤解するような、なにかがあったんじゃないの?


 ね、拓人」

と辰子は私の頭の上に向かって言った。


 り返るようにして後ろを見ると、拓人が立っていた。


「鈴香。

 今日は俺、早く上がるんだが。

 どうする?

 指輪でも買いに行くか。


 それとも、式場を見に行くか」


 社食がざわついた。

 ひーっ、こんなところでなに言ってんだーっと思う。


「たた、拓人っ。

 私があんたのファンの人たちに、夜討ち朝駆けで襲撃受けたらどうしてくれるのよっ」

と訴えてみたが。


 拓人は、

「夜討ち朝駆けとは、偉く勤勉な襲撃者だな」

と呟いたあとで、


「大丈夫だ。

 骨は拾ってやる」

とぽん、と肩を叩いき、さっさと行ってしまった。


 そちらを見送りながら辰子が訊いてくる。


「いや、そもそも、なんであんた、拓人じゃ不満なのよ。

 同期でも一番人気じゃない。


 お姉様方にも」


「いや~、拓人に問題があるわけじゃないんだけど。


 昔から、拓人のせいで、女の先輩方やあまり親しくない同級生女子たちに、ぽこぽこにされたり、優しくされたり。

 いろいろ大変だったから、トラウマっていうか」

ともらすと、紗奈さなが、


「優しくされたりはいいんじゃないですか?」

と鋭く突っ込んできた。


 いやいや、それはまあ、そうなのだが。


 所詮は、拓人への橋渡しを期待されて、優しくされているだけのこと。


 他の後輩女子には厳しいバレー部の先輩なんて、いきなり豹変しないだろうか……といつもビクビクしていたのだ。


 基本、小心者なので。


 そんなことを考えながら、辰子たちと社食を出ると、自動販売機の前に、他の同期が溜まっていた。


 拓人と一番親しい淳平じゅんぺいが、

「なんだ、お前ら。

 結婚するんだって?


 しょうがないなあ、奢ってやるよ」

と言って、カップの珈琲を奢ってくれた。


 そのカップを手に黙っていると、淳平が、

「どうした、鈴香。

 渋い顔して。


 やっぱり、拓人より俺と結婚したかったとか?


 今からでも遅くない。

 断れよ」

と拓人を前に笑って言ってくる。


「……いや、したいか、したくないかと訊かれたら、ちょっとよくわからないんだけど。


 それ以前に、なんというか。

 長年の因縁と怨念が」

とカップを手に私は呟いた。


「なんですか? 長年の因縁と怨念って。

 拓人さんのせいで、一部女子に嫌がらせを受ける以外にもなにか?」

と紗奈が突っ込んで訊いてくる。


「いやそれが。

 中学生のとき、みんなが憧れてた、拓人の次に格好いい同級生と結構仲良かったんだけど。


 ある日、

『拓人とつきあってるんだってね』

 って言われて、


『いやいや』

 って、否定したんだけど。


『またまた』

 って言われて、なんの進展もなく。


 それから今度は高校生のとき、拓人の次に格好いい先輩と同じ部活で仲良かったんだけど。


『拓人とつきあってるんだってね』

 って言われて、以下同文」


「うん。

 ちょっと待て」

と拓人が話を止めてきた。


「その俺の次にってのは、誰の判断だ?」


「……えっ?

 私かな?」





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