Go Ing My Way!! 尾崎行雄っ!!
@asakurazyunzyun
プロローグ
本文をクリック(またはタップ)してくださり、誠にありがとうございます。
本小説はタイトルのごとく、「尾崎行雄」の半生を描いていきます。
さて、皆様に一つ、質問をさせてください。
皆様は、「尾崎行雄」をご存知でしょうか。
私が学生時代のときには、教科書で太字表記されておりました。
ですので、学生の皆様やまだまだ若い読者様は名前こそ知っているかもしれません。
尾崎行雄を知らない皆様に、簡単に尾崎行雄を紹介いたしましょう。
彼は、一八五八(安政五)年十一月二十日に神奈川県津久井郡又野村(現在は津久井町又野)で爆誕しました。
この年はハリスが幕府に条約調印を迫り、日米修好通商条約を調印いたしました。
幕府なんたることか! 外人なぞ排斥してしまえ! と尊王攘夷運動が盛り上がりをみせました。
尾崎の父も、尊王攘夷運動に身を投じました。
幕府は崩れ、新政府が誕生してから数年。
自由民権運動が盛り上がると、尾崎行雄は大隈重信や犬養毅らと共に勇んで参加しました。
新政府に危険人物とみなされ、一八八七(明治二十)年には保安条例により東京を追い出されました。
第一回衆議院選挙で見事当選を果たした後、彼は藩閥政府打倒を旗頭に積極的に政治活動を行いました。
一九一二(大正元)年に成立した、バリバリ長州派閥の第三次桂太郎内閣に対しては、「桂は陛下のかげに隠れて政敵を攻撃している」と批判し、退陣にまで追い込みました。
そして、一九二四(大正十三)年、政党の協力なくして成立した清浦奎吾内閣に、非立憲的と主張し、第二次護憲運動の主要人物として動きました。
その後、政党内閣が続き、犬養毅が暗殺されて政党内閣の慣習が終わると、尾崎の存在は教科書で触れられなくなります。
しかし、彼は若き日のごとく、巨大な権力に立ち向かいました。
議会が軍部追随に染まっても。
軍部を支持する刺客が暗殺を仕掛けてきても。
東条内閣にいわれなき罪を着せられて、牢屋にぶち込まれても。
尾崎は、反軍部を掲げ、言論での攻撃をしました。
彼は奇跡的に戦争を生き抜き、戦後を迎えました。
敗戦によって軍部が崩壊した後も、尾崎は変わること無く、吉田茂内閣を意気揚々と批判しました。
これほどの強硬な人物でありながら、幼い頃の彼は病弱で弱っちい男の子でした。
基本的に偉人の子供時代は「誰からも好かれ親分肌でした」の一文が入っております。
例えば伊藤博文。
例えば山縣有朋。
探せばいくらでも出てきます。
ですが、尾崎は全く違いました。
彼は幼い頃、毎晩のように自分や父親が死ぬ夢ばかり見ていました。
苦しむ彼は、死に方の研究をいたしました。
ピストルで自殺したイギリスの株屋のニュースをきいて、それもいいかも、と思いました。
けれど、自殺するなら日本刀でしたいとおもい、いつも短刀をもって歩いていました。
さらに、政府をいじめる尾崎は、幼い頃は意外にも苛められっ子でした。
学生時代には、何もしていないのに石を投げつけられ、陰口を叩かれました。
政界に進出した後も尾崎は嫌われまくり、新聞紙上でがんがん叩かれてました。
尾崎は自伝で、どうやら自分は嫌われがちな性格と察し、悩んでいた時期もあったと話しています。
ただし、客観的にみれば、そりゃ嫌われるわな、といった行動をしています。
例えば学生時代。
彼はなぜ嫌われるのか、自分なりに解答をだしました。
自身の学力のなさを見透かされて、馬鹿にされるのだろう、と。
ならば、どうしたら嫌われずに済むか。
悩んだすえに、尾崎はこう決断しました。
そうだ! 誰とも話さなければよいのだ! と。
そしたら、誰にも馬鹿にされない! と。
これが、慶應義塾時代の話です。
同世代の子とは喋らないくせに、先生が間違ったことをいうと執拗に指摘するので、慶應義塾のトップ福沢諭吉は「やべえやつがきちまったな……」と思ったとのことです。
今度は政界進出後の実例を上げましょう。
尾崎は大隈重信系の政党、立憲改進党の幹部でした。
ところが、大隈のライバル、伊藤博文の政党が発足すると、大隈をはじめとした、立憲改進党のメンバーに何ら相談せず、政友会に突如として加入したのです。
これには立憲改進党のメンバーも戸惑いブチ切れました。
普段全く怒らない大隈も、さすがに怒りをあらわにしたとのことです。
しかし、尾崎は自身の行動が裏切り行為だと理解できませんでした。
彼は東京市長時代、立憲改進党メンバーにいじめられた、友達だと思っていたのに、と発言してますが、そりゃそうでしょう。当然の結果です。
さらに、尾崎は外交に関しては強硬派で、日清戦争のときには「首都を落としてしまえ!」とウキウキで発言していました。
にもかかわらず、ある時を境に「戦争は駄目だ! 軍事費なんてゼロでいい! 侵略されたらどうするって? 無抵抗主義でいこう!」なんて言い出しました。
くるくると思想を変え、くるくると立場を変えていたら、まあ嫌われて然るべきです。
しかし、それこそが、尾崎行雄の良さなのです。
自分の正しさに真っ直ぐ。
まさに猪突猛進。
まさにGoing My Way。
中々の傑物ですが、にしては現代での尾崎行雄の知名度はかなり低いです。
原因は明白で、尾崎は演説こそ上手ですが、それ以外の政治活動は一切できないからです。
悪い言い方をしますと、尾崎は口だけなのです。
立派な政策を立てることもしません。
人脈を使って、敵対派閥との意思疎通を図ろうともしません。
なにか訴えたいことがあれば、バカ正直に演説か新聞紙に投書するばかり。
権謀を暴くのが大好きな歴史学者にとって、尾崎はあまりにわかりやすく、あまりに愚直すぎて、研究の対象になりません。
そのせいで、この知名度になってしまったのでしょう。
確かに、尾崎行雄は歴史学として描くには魅力がありません。
ですが、小説として書くのなら、大活躍できるのではないか。近代史が苦手な人も、尾崎の活発な活躍を見れば、少しは関心を持ってくれるのではないか。
そう願って、本小説を書きました。
皆様が少しでも尾崎行雄に関心を持っていただいたら、これほどありがたいことはありません。
ちなみに、私は尾崎行雄の同担拒否勢ですので、好きにはならないでください。知るだけでとどめてください。よろしくお願いします。
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