四月十三日 白鬼

「例の鬼……白夜びゃくやの様子は」


「特に動きはありません。暴れる様子もなく、丸二日座して黙り込んでいます」


 それを聞くと、寧姫は礼を言い座敷牢に向かった。聞いたとおり、格子の向こうで白夜は胡座をかいて座っている。


「白夜……さん」


 彼の瞳が開かれ、黄色い目があらわになる。それに寧姫の心ノ臓は跳ねた。


「……あなたか」


「少し、お話をしませんか」


「どうぞ」


 寧姫は鍵を開け、座敷牢の中に入る。白夜は少し眉を上げた。


「いいのか。逃げるかもしれないぞ」


「そんなことしなくても、あなたなら転移術で外に出られるでしょう? 妨害の結界もないのだし」


 白夜は気まずそうに黙り込んだ。


「……やはり、記憶はありませんか」


「……ない。俺の一番最初の記憶は、雪山で見た満月だった」


 寧姫の目元にぐっと力が入った。


「そこで……天魔てんまに?」


「そうだ。名前と、刀を賜った」


「あの刀……立派な刀でしたね」


 白夜が頷く。


「ああ。銘を“友切ともきり”という」


「友……切」


 それは、寧姫、いや武士団の仲間たちにとってはあまりにも残酷な名前だった。


「では、天魔のもとに、妖の王のもとに帰ってしまうのですか?」


 なかば縋り付くように彼女は尋ねる。


「……いや。あそこに、俺の居場所はない。なぜか、いつも異物を見るような目で見られる。生まれて間もないからかもしれないが」


 その答えを寧姫は知っている。彼が白夜となる前。生前、暁孝ときたかは妖との戦いの最前線に立つ武士だった。記憶を失っているとはいえ、受け入れられるはずがない。


「俺も、聞きたいことがある」


「……どうぞ」


「あなたの名前を知りたい」


 彼女は息を呑み、わずかな時間のあと震える声で告げた。


「……寧といいます」


「ねい、か」


 白夜は口の中でその名を転がした。


「寧姫」


 暁孝と同じ声で、顔で、表情で。白夜は彼女のことを、そう呼んだ。途端、寧姫の目尻に溜まっていた雫がツ、と頬を伝って垂れる。


「なぜ、泣くんだ」


 白夜がその雫を拭おうと指を触れようとして、弾かれたようにその手を引っ込めた。


「……」


 今度は寧姫が彼のその手に触れようとする。


「触るなッ!」


 寧姫の肩がビクッと跳ねた。


「俺は、鬼だ! 瘴気であなたを傷つけるかもしれない!」


 白夜は恐れていた。白夜自身も、なぜ彼女に触れることをこんなにも恐れているのか分からなかった。


 それでも、寧姫の手は白夜の頬に触れる。


「あなたは、こうして私たちを傷つけないように瘴気を封じているじゃないですか」


 白夜はその手に震える自身の手を重ねた。

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