姫と白鬼

四月十一日 金鏡

 どこか暗い雰囲気だ。寧姫ねいひめ永信えいしん明孝あきたか、そして彼らの団長の四人での食事中。

 明孝の手から箸が滑り落ちた。


「……どうした、明孝」


 武士団の団長である金髪の男が問いかける。


志堂しどう殿……結界内に侵入者が」


「なら、討伐しなくてはなるまいな」


 志堂と呼ばれた男は刀を持ち立ち上がる。


「それが……」


 明孝はそのまま続ける。


「それが、兄上……トキであっても?」


 空気が凍りついた。

 それは、その発言だけが理由ではない。あたりに一層強い瘴気が立ち込めたのである。


 永信が即座に刀を抜き、戸を開け放って中庭に出る。と、その瞬間、白い影が降り立ち、永信と刀を交わらせて金属音が鳴り響いた。


「お前……ッ」


 その顔を見て、永信は表情を歪ませる。


 白い影……白髪のその男は、右の額から一角の角を生やし、黄色い瞳を抱えた“鬼”。ひどくトキに似た鬼であった。


「トキ! なんのつもりや!」


 鬼は答えない。なんの感情も浮かばぬ瞳に永信は怯んだ。その隙を見て、白髪の鬼は屋敷の中に飛び込む。彼の目指す先は……寧姫だ。


 霊力砲を放とうとした寧姫は、彼の姿を見て硬直した。今、彼女の中では走馬灯のようにトキとの思い出が駆け巡っている。


 結界術『椿』を展開し、身を挺して間に割り入ったのは明孝だ。鬼が、刀を持ち直す。


「見損なったよ兄上。死してなお、寧姫を苦しめるなんて」


 鬼は、その言葉にピクリと眉を動かした。


「……俺、は……お前の兄では、ない……!」


 まるで久しぶりに言葉を発したかのようにたどたどしく言う。言い換えれば、弱々しく。あるいは、自分に言い聞かせるように。


「いいや、兄上……君は、一ノ瀬 暁孝ときたかだ」


「黙れ!」


 鬼は、さらなる攻撃を加える。


「俺は、白夜びゃくや! 天魔てんま様の配下の鬼だ!」


あやかしの王の配下だって? 笑わせるね! 君の術が誰のためのものなのか、もう一度胸に手を当てて考えろ!」


 しかし、明孝の結界は徐々にひび割れていく。


「僕じゃ無理だ、志堂殿! 特級相当の異形いぎょうと見て間違いない!」


「分かった」


 志堂が短く唱術した後、立体的な紋様が浮かび上がり、それが霧散したと思うや否や、白い鬼……白夜の動きはピタリと止まる。


「……『魂縛たましばり』の術……!」


 白夜は解術を試みるが、全く解けそうにない。金の御髪を靡かせながら、志堂は彼に近づく。


「これは、私とお前が一緒に組んだ術式だ。記憶を失っているらしいお前には解くことはできない」


「……ッお前たちは、俺の何なんだよ!」


 白夜はどこか悲痛な叫び声をあげる。


「……家族だ」


 それを聞いて彼はギリと歯軋りをすると、縛られた身体を無理やり動かそうとする。志堂は舌打ちをした。


「流石に特級相当というだけあるな……! 寧、『白魔はくま』を放てるか!」


 寧姫が泣きそうな顔をした。


「む、無理です。あんなの放ったら、暁孝は……!」


「特級だ、その程度じゃ死なん!」


 そうこうしているうちに、白夜は転移術を使い、瞬きほどの間で寧姫の前まで移動する。刀が振り下ろされ、誰もが凍りついた瞬間、額に触れるすれすれのところで刃が止まった。カタカタと小さく震える音が響く。


「このアホッ!」


 その隙に、永信が体当たりした。白夜はうまく動かない身体を持て余して倒れる。


「自分が何しとるんか分かってやっとんのか! その人は、お前が何よりも大事にしとった奴やないか……文字通り、命をかけて守り抜いた奴やないか!」


 その剣幕に誰もが黙り込んだ。永信の刀の先が、白夜の喉元に伸びる。


「ここで答えろ! お前の一番大事なものはなんや!」


「……そんなの」


 白夜の唇が震える。


「そんなの、分かんねえよ……」


 金鏡きんきょう。それは、月の異名。

 従者が死んだ後の、姫と鬼の物語。

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