第38話 エルフの嫁入りその2 魔境の少年

 魔境に踏み込んでから数日が経過した。

「…何人殺られた?」

「今日は二人よ」

 確か隠れ里を出た時は50人は居たはずだけど、今はもう30人くらいに減っている。

 死傷者も居るが、負傷者を連れて脱出する為の付き添いや、そもそも魔境の瘴気に耐えられない者が離脱しているからだ。

「そうか」

 カレイジャスが口元を覆う布をキツく締め直す。浄化の魔術式を込めて縫い上げた布なので多少は瘴気を誤魔化せるが絶対ではない。早くあの人間を見つけねば、我々は…


(全滅―――)

 私の脳裡にその単語が思い浮かび、慌ててその考えを振り払う。まさか、怨敵に相見える前にこんな状態になるとは、私達は誰一人予想していなかった。


「早く、早くなんとかしなきゃ―――」


 その焦りが私達を破滅に導いたのだろう。


 私達は出逢ってしまった。


 あの男と出逢ってしまった。

 

 絶対に手を出してはいけない相手、敵対してはいけない存在に、文字通り弓を引いてしまったのだから。



☆☆☆☆☆



 その日も息苦しい瘴気を振り払いながら魔境探索を続けていた。

 カレイジャスが持つ御神木の果実は微かにだが鼓動を強くし、早めている。方向は間違ってはいないのだろう。だけどもし―――


(もしもこれが全て罠だったら?)

 わざとハイエルフ様の心臓の鼓動が届く様にゆっくりと逃げていたら?瘴気によって体が弱り、魔境のモンスターにより一人ずつ数を減らし、弱り切った所に魔王軍が集中攻撃して来たら?


(敵の目的がハイエルフ様の心臓だけではなく、私達の心臓…いや肉体全部だったとしたら?)

 エルフの肉体は髪の毛の先まで魔力に満ちている。魔法実験にはもってこいだと聞いた事がある。素材はバラバラにして触媒に出来る。さらに、私を含めてエルフの女戦士達が何人も居る。

 魔族やモンスターの子を孕ませて産ませる計画もあるかも知れない。エルフは繁殖力が低いが生命力は高い。

 もしも生け捕りにされたら、長い…長い年月、死ぬ事も許されずに邪悪な者共に犯され続ける未来が…………


(そ、そんなの嫌っ!)

 その悍ましい未来を想像してしまった私は、ハイエルフ様の仇討ちと言う崇高なる目的が揺らいでしまう。でもこれはおかしくない。もしも敵の狙いがそうだとしたら、ここで撤退する事こそが最善策なのだから。

 私はリーダーにこれを提案すべく話しかける。

「ねぇカレイジャス。一旦引き返して他の隠れ里に協力を………」


「居たぞっ!奴だっ!」

 事態が急変したのはその時だった。カレイジャスが鋭く言い放つ。

「え?まさ、か…」

 早く見つかれと願っていた。でもまさか、私が引き返したいと思ったこのタイミングで?

 嫌な予感が止まらなくなる。


「見ろ。あの出で立ちに魔力の気配。間違いない。そもそもこんな所に普通の人間が居る訳が無い。遂にみつけたぞ。エルフの大敵め」

 カレイジャスが憎々しげに木々の向こうを睨んでいる。私は彼の手元を確認する。果実の脈動は確かに強まってる気はするが、ホロス婆の言っていた早鐘の様にとは程遠い。


「ね、ねぇカレイジャス。果実の鼓動は小さいわよ?」

「だが見ろ。黒い髪だ。背丈も同じだ」

 確かに遠目にはあの襲撃者に似てる気はする。

 でもあんなだったかしら?

 目を…目を見ればきっと解る。

 あの深淵を覗き込んだ様な感覚を覚えた底知れぬ瞳ならば、きっと見間違えようがない。逆に変身の魔法とか使っていても目を見れば解るだろう。


「でもそれに…ほら、あの箱も持ってないわよ。服装も違うし…」

 文字通りの人外魔境に、まるで普段着の様な姿で手ぶらで居る。あの襲撃者は黒装束だった気がする。そしてハイエルフ様の心臓を仕舞った箱を持っていないのだ。

「何よりやっぱり、果実の脈動が弱いわ」

 私はカレイジャスを落ち着かせようとする。

 カレイジャスは真面目だけど少し頑固な所がある。それはリーダーとしての責任感から来るものなので決して悪い事ではないのだが。

 

「ハイエルフ様の心臓の反応が弱い?…と言う事は―――」

 カレイジャスが考え込む。

 そう、別人の可能性もある。よく見てみると今見張っている男はとぼけた表情でリラックスしている。魔境の奥地で、エルフから追われてる最中にあんな顔を出来るとは思えない。

「まさか―――」

 カレイジャスもハッとしている。気づいたみたいね。

 やはり別人だろう。魔力の波が違う気がする。私は感知魔法に長けていないからハッキリと断言出来ないけれど、あの底知れぬ邪悪な気配があの人間からは特にしない。あまり怖くない。


(冒険者…と言う者達が居て、魔境や大魔境に入り込む変わり者も居るとか。じゃぁあの人間は…そう言う人間なのかも)

「ねぇカレイジャス。あの人間は多分別人―――」

 早く話題を変えたい。私がしたいのはあの人間の話ではなく、ここからの撤退の相談―――

「まさかっ!ハイエルフ様の心臓を喰ったのかっ!?」

 …………え?なんて?

(どうしてそうなるのよっ!?)

 私があまりの思考の飛躍に固まってしまう。

「殺すっ!この場で奴を討ち取れぇっ!」

「応っ!」


 慣れない魔境での進軍、ハイエルフ様や里を失った怒り、モンスターへの恐怖、どんどん死んで減っていく仲間達…それらは思った以上にエルフ達の心を蝕んでいた。皆が冷静さを失っている。

「ま、待って…魔力の波が違うのっ!…た、確かに似てるけど…」

 私は手を広げて皆の前に立ちストップをかける。


「下手な隠蔽魔法でも使って誤魔化しているのだろうっ!もういいっ!退けシルクっ!私が殺るっ!」

 カレイジャスが私を押し退け、弓に矢をつがえて撃ち出す。


「だ、だめぇっ!」

 私の制止の叫びはカレイジャスにも、仲間の誰にも届かなかった。

 カレイジャスの放った矢は、緊張感も警戒心も無く無防備に歩くその人間の背中に吸い込まれたのだった。



☆☆☆☆



「ああっ!」

 やってしまった。カレイジャスの矢はその人間の左側の背中に狙い違わず命中したのだ。まさかの意趣返し。心臓の贖いは心臓で。カレイジャスの考えが手に取る様に解った。


「なんて、ことを…」

 私はもう彼と襲撃者が別人だろうと言う確信を持っていた。ハイエルフ様を倒した者を、こんな簡単に不意打ち出来る訳がないからだ。


「無関係な人間を、殺してしまった―――」

 私はガックリと項垂れる。無益な殺生。誤解による殺人。我々エルフに人間を殺した時の罪や罰は無いが、罪悪感が私の胸を占拠し、心に重く伸し掛かってくる。

(ごめんなさい…せめて…遺体は丁重に弔って―――)


「■■」


 矢が心臓に刺さったはずのその人間が、ボソリと何言かを呟いた。


「―――え?」

 

 そして何事も無かった様に腕を背中に回して矢を引き抜く。思ったより深く刺さっていない?服の下に何か着込んでいたのだろうか?


「嘘…」

 もしかして、私の予想が外れた?

 あの人間の男…いえ、少年と呼べそうなくらいの若い男が、ハイエルフ様を殺した…犯人?でも姿や気配は違う…と思う。私は目まぐるしく変わる状況について行けず混乱する。


「総員っ!戦闘態勢っ!殺るぞっ!」

 呆然とする私など捨て置き、カレイジャスが鋭い声を仲間達に放ち、二射目の準備に入る。

 その少年は鏃を舐めて何か人間語でぶつぶつ呟いている。

「ふんっ、我が里自慢の毒矢だ、とくと味わえ。体はじわじわと動かなくなり、いずれは呼吸も止まる。だが…」

 カレイジャスが嘲笑っている。

「魔族のバックアップがあるなら毒も無効化するかも知れんな。ここで確実に仕留める。撃てぇっ!」

 カレイジャスの号令の元、仲間達が次々と矢を放つ。


ヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!



「■、■、■■■っ!」


 少年が獣の様な声を発する

(笑ってる?)

 そして目が赤く妖しく光る。

 ぞくりとする赤い線を残像と共に残して、少年の姿が霞む。

 カレイジャス達が放った矢は全て躱された。

 完全に見切られている。


「なっ!なんだとっ!?」

 カレイジャスが焦った声を出す。

 少年とは最初かなりの距離があった。

 弓矢で射続ければ確実に勝てる距離だった。

 それがどんどん縮まって行く。


(やっぱりっ!あの少年は襲撃者じゃないわっ!)

 私は確信する。あの赤く輝く目も恐ろしくはあるが、あの真っ黒な瞳とは違う。あの目はこの世界全ての破滅を望んでる様な、邪悪を体現した様な圧があった。


「待って!止まって!私達は敵じゃないっ!」

 一方的に攻撃しといて虫の良い話であるが私は叫ぶ。このままぶつかればお互い怪我では済まないはずだからだ。


「■■■■■■■■」


 少年が人間語を呟き笑っている。見た目の年齢通りの無邪気な笑顔だ。

 しかし、無数の矢を躱しながら近付いて来る少年からは明確な死の気配があった。


(あ、これ、死ぬ―――)

 魔境に踏み入ってから何度となく味わった絶望感。まるで魔境に住まうモンスターに目を付けられた時の様な圧倒的な死の気配。

(そうか、それもそうか。あの少年はこの魔境でのんびりとした顔で歩いていた。つまり、あの少年にとって魔境は危機感も緊張感も感じない、自らの庭と同じと言う事………)

 つまりアレは…ヒトのカタチをしたナニカだ―――


「おのれぇっ!邪悪な人間めっ!このカレイジャスが成敗してくれるっ!風の精霊よっ!我が意に応えよっ!」

 殺意を漲らせたカレイジャスが矢を放ちながら魔力を練り上げている。

 その間にも少年はこちらへとぐんぐんと迫って来ていた。


「風の刃よっ!我が敵を斬り裂けっ!」


ゴウッ!


 カレイジャスが風の精霊魔法によるカマイタチを発生させる。不可視の真空波が少年に向かって走る。モンスターでもアレを喰らえば真っ二つになるカレイジャスの必殺の奥義だ。

 しかし…


ザンッ!ザンッ!


「何ぃっ!?」


 不可視の刃を少年は紙一重で躱し、彼の背後の大木が切断されていく。


「人間がぁぁぁっ!」

 カレイジャスが弓矢を構えながら少年へ叫ぶ。こちらへ猛スピードで駆けて来る少年に対し、カレイジャスや他のエルフ達が慌てて矢を、風魔法を放つがどれも当たらない。

 今までの疲労と、恐怖と焦りから狙いが滅茶苦茶になっているのもあるだろうが、少年の身体能力が高す過ぎる。


「■■■■■■■■■?■■」


 何かを呟いた少年の顔から笑顔が消え、スンッと真顔になる。

(ま、まずい―――)


 まだ間に合うはずだ。

 まだどちらにも死人は出ていない。誠心誠意を込めて謝れば止まってくれるかも知れない。

 だが、私のそんな甘い期待を、微かな願いを少年は粉砕する。


「死ね」

 知らないはずの人間語で、確かにそう言われたのが私には解った。


 少年が遂にはカレイジャスに肉薄し、拳をカレイジャスの腹に決める。


「ぐあええええっ!」


 カレイジャスは体をくの字に曲げて嘔吐する。

(!?里で一番強いカレイジャスがっ!?)

 エルフは身体強化魔法をそこまで極めてはいない。しかし、カレイジャスはハイエルフ様を除けば里の誰よりもその手の魔法に長けていた。風の刃も操り弓の名手。そして近接戦でも強い…それが我が里最強の戦士、カレイジャス…だったはずなのに―――

 

「ま、待って…」

 私が手を伸ばす。まだ、まだ間に合う。里のエルフ達は人間を嫌ってる。でも誤解さえ解ければ殺し合わなくて良いのだ。早く、早く彼の誤解を…


「■■」


 ボソリと少年が呟き目を細める。

 少年から漂う気配が、真冬の空気よりも凍えそうな程冷たいものに変わる。


「■っ!」


 ドズッ!


「ぎゃああああッ!」


 少年の指先がカレイジャスの片目に突き刺さる。目潰しだ。あれでは片目は失明してしまう。カレイジャスの戦闘力は大幅に下がる。そうだ、リーダーが重傷を負ったならば十分撤退理由になる。面目も立つ。この魔境から逃げ出せる―――


「死ねよ」

 私はまた、知らぬはずの少年の人間語が理解出来た。もう、全て遅かったのだ。


ブパッ!


 軽い破裂音を残し、カレイジャスの頭部が膨れて弾け飛ぶ。


「■■■■■■」


 少年が顔を顰めてぺっぺと舌を出している。


「あ、あああ、ああ―――」

 その光景を見た私は…私達は、100年以上エルフの隠れ里を守り続けた戦士の死を悼むのではなく、その戦士すら指先一つで殺すヒトのカタチをしたナニカに恐怖した。


「うわあああああああああああああああっ!?」

 そしてリーダーを殺された残りの仲間達は、私を含め恐慌状態に陥ったのだった。

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