第36話 エルフの嫁入りその1 ハイエルフ殺人事件

 森が燃えている。

 私達の大切な森が―――


「火を消せぇぇぇっ!」

 里のエルフ達が慌てふためき右往左往している。

 こんな一大事、私が生まれて150年は起こった事が無いはずだ。

「なんで、こんな事が…」

 私は呆然と、夜空を焦がし真昼の様に森を明るく照らす炎を見上げる。

 そんな時だった。


『…水魔法…使え…者は、早…御神木…頼み…』


「ハイエルフ様っ!?」

 私の頭の中にこの里の里守であらせられるハイエルフ様の苦しげな声が響く。里のエルフ全員に伝わっているのだろう。周囲のエルフ達も頭や耳を抑えている。

(そうだ…ハイエルフ様なら…)

 エルフの隠れ里は、妖精郷の世界樹から株分けされ根付かせ育てられた御神木によって守られている。

 さらにその御神木を守るために里守としてハイエルフ様が居る。


 ハイエルフ様の真名を語るのは恐れ多く、里長しか知らないため、私達は皆ハイエルフ様と呼んでいる。

 ハイエルフ様は強力な精霊魔法を操れる。

 私は樹木を操る木魔法しか使えないが、ハイエルフ様なら木でも風でも水でも操れる。炎も操れれば火の勢いを弱められるかも知れない。


「ハイエルフ様なら火を消せるっ!」

 私はハイエルフ様がいらっしゃる御神木を目指して走り出した。



☆☆☆☆☆



 皆同じ考えだったのだろう。

 水の精霊魔法を使えるエルフ達は火事の消火に向かい、私の様にそれ以外の属性を持つ者達がハイエルフ様の元に向かっていた。


「シルクかっ!」

「里長様っ!カレイジャスっ!」

 私は顔見知りの二人の男性エルフと合流する。

 里長様はハイエルフ様と共にこの隠れ里を作った、正にこの里の生き字引の様な方だ。御歳600は越えている。私の木魔法の師匠でもある。


「お前の木魔法なら延焼も防げただろう。あちらに迎え」

 カレイジャスが眉根を寄せている。カレイジャスは風の精霊に愛されている。戦いでならこの里で右に出る者は居まい。

「何故?ハイエルフ様をお連れすれば…」

「いや、恐らくあの火事は陽動じゃ。里の結界を何者かがすり抜けた」

「嘘…そんな、まさか」


 里長様の言葉に私は青褪める。確かに火の手が上がってる森は今向かってる御神木とは反対方向だ。もしも全員で消火に向かえば御神木は手薄になるだろう。しかし御神木はハイエルフ様が直接守ってくださっている。

「そんな侵入者如きにハイエルフ様が負けるかしら?」

 侵入者に気付かなかったと言う事は、その者はそこまで邪悪な存在…所謂モンスターや魔族ではないと言う事だ。

「確かに我等全員合わせてもハイエルフ様には勝てん。だがそれは親と子の関係性もある」

 精霊魔法の特性上、精霊により愛された者がその恩恵を総取り出来る。私の木魔法もカレイジャスの風魔法も、ハイエルフ様が念じれば木の葉一つ動かせなくなる。


「生命本来の魔力を練り上げる人間魔法と、闇の力を使う魔族の魔法なら話は別じゃ」

 私はその話を聞いてごくりと生唾を飲み込む。

「でも、ハイエルフ様は1000歳を超える超常の存在よ?人間や魔族如きに遅れを取るなんて、ある…わけ…」

 無言で走り続ける里長様達に私の言葉は勢いを失う。もしかしたら私が生まれる前の戦争とかで、ハイエルフが負けたり殺されたりした事があるのだろうか?そんなバカな事が―――


「な、なんだこれはっ!」

 里長様が突然叫ぶ。激しく動揺している。

「どうした!?里長っ!」

 カレイジャスが愛用の弓に矢をつがえる。

「御神木が枯れ始めているっ!ハイエルフ様に何かあったのじゃっ!」

 木魔法の熟練度の高い里長様は御神木ともリンクが繋がっている。それによる感知だろう。

「御神木が?嘘…。それこそハイエルフ様がいらっしゃるのだから…」

 私が未だ半信半疑で応えている間に、私達は御神木が肉眼で見える位置にまで辿り着いてしまった。


「御神木がっ!」

 私が悲鳴を上げる。ここまで近寄れば私も御神木の気配…魔力を感じ取れる。

 肉眼でも確認出来る。

 御神木が、枯れかけている。

 今朝見た時は青々と茂っていた葉が赤黒く染まりボロボロと舞い散り、幹にヒビが入り表面が割れ始めている。


「邪悪なる何者かによる攻撃じゃっ!御神木とハイエルフ様をお守りせよっ!」

「応っ!」

 里長様の号令に周囲のエルフ達も応える。

 そして私達が御神木に辿り着いた時に見た光景は…



☆☆☆☆☆



「ハッ!ハイエルフ様ぁっ!」

 御神木を守る様に立ち塞がっているハイエルフ様の左胸に腕を突き刺した、一人の人間の姿だった。

 バカな…ハイエルフ様は私達普通のエルフよりもずっと強い。

 いくら隠れ里の結界維持に魔力を使い続けていたとは言え、あの様な人間一人に敗れるなど有り得ない。

 何十年か前に、里に近付いて来た魔境のモンスターを一撃で倒された事がある。その時の力強く逞しく頼もしい姿と、今の血を流し顔面蒼白な姿が重なる。


ズリュッ…


 粘ついた水音を立てて、ハイエルフ様の左胸から手を抜き取る人間。

「!アレは………」

 その人間の手には脈打つ肉塊が握られていた。心臓。心臓だ。奴はハイエルフ様の心臓を奪い取ったのだ。


 そして奴はその心臓を何かの箱に入れるとその箱を抱え、踵を返して走り出した。

「いかんっ!奴を逃がすなぁっ!」

「おのれぇっ!」

 カレイジャスが風の刃を放つがその人間には当たらない。

「はぁっ!」

 私は地面に手を付き木の根を蠢かす。


ボゴッ!


「!?」

 私が木魔法で人間の足元の根を操って足を捕らえた。モンスターでも絞め殺せる私の木魔法だ。絶対に逃げられな…


バキッ!


「嘘っ!そんなっ!?」

 あっさりと私の拘束を破ったその人間はこちらを振り返る。


「!!!???」


 怖気を振るう様な瞳だった。全てを飲み込む深淵の様な、真っ黒い瞳だ。私はその瞳に射竦められて動けなくなる。


「逃がすかぁっ!」

 カレイジャスや他の風魔法の使い手が風魔法で追い風を受けてその人間に迫る。

 その人間はふいと私から視線を外すと再び逃走を始め、あっという間に姿を消してしまった。

「風魔法ではない…あれが人間魔法―――」

 我々エルフも多少は使える身体強化魔法。だが精霊に依存した生活を送る我々では個の力を極めると言う発想が弱い。

「エゴの塊…あれが人間か―――」

 大自然への感謝を忘れ、個で最強を極めんとする人間達は、我々エルフとはまた違う強さを持っている。その人間魔法の使い手により、我等の力の象徴であるハイエルフ様は敗れたのだった。



☆☆☆☆☆



「ハイエルフ様っ!」

 里長様に抱きかかえられたハイエルフ様に近寄る。

 最後に見た時の筋骨隆隆とした姿は見る影も無い。胸板は痩せ細り、太かった腕や足も棒の様だ。枯れ行く御神木と同調し、その肉体も急激に痩せ衰えていっているのだ。

 100年前にその腕にぶら下がって遊ばせて貰った記憶が頭を過ぎる。

「回復魔法はっ!?なんで治癒しないのっ!?」

 私の叫びに里長様が険しい顔で首を横に振る。

「駄目じゃ…我等の精霊魔法は周囲の精霊に依存しておる。御神木が枯れてしまった今、里守であるハイエルフ様を治癒出来る者など居らぬ…何より心臓が抜き取られておる…もう、長くはない…」

 

「がはっ」

 ハイエルフ様が血を吐き、見事な口髭が血で汚れる。

「ハイエルフ様っ!」

 ハイエルフ様と目が合った。口が力無く開閉している。

「…シル…ク…そなた、は…逃げ―――」

「ハイエルフ様っ!?シルクはここですっ!」

 ハイエルフ様が私に何かを伝え様としてくれている。しかし…

「いやぁああああっ!」

「うわああああああっ!」

「ハイエルフ様ぁぁぁぁぁっ!」

 しかし周囲に群がるエルフ達に押し退けられ、私はハイエルフ様の最期の言葉を聞き逃してしまった。

 ハイエルフ様は御神木と同じく里の皆の精神的支柱だ。無理も無い。


「御神木が…」

 御神木はバキバキと音を立て、真っ二つに割れて倒れて逝く。さらに地面に落ち切る前に風化し塵となってしまう。

「ハイエルフ様…」

 精霊と半同化して強力な精霊魔法を操れるハイエルフ様の体は、肉体が精霊に近い存在になっていた。

 つまり…


「ハイエルフ様ぁ…」

 御神木と同様に、皆の見てる前でハイエルフ様の体が塵となり、大気に溶けて逝く。

「嘆くな。皆の者。ハイエルフ様は精霊へと成り、天へと還るのだ。これは、喜ばしい事」

 里長様が厳粛な声を上げる。エルフのまま死ねば肉体は残り腐り森の糧として地に還る。

 人間やドワーフ、モンスターや魔族よりも高度で優れた種族であると自負する我々でも、所詮は肉を持った動物に過ぎないと思い知らされる末路。

 しかし生命体として進化しハイエルフと成った者は、死すと塵となり風に流され天に還る。


 これはエルフ、ハイエルフにとって非常に名誉な事である。本来なら盛大にお祭りをしてお見送りしてもおかしくない程めでたい事。

 だが、死因が駄目だ。天寿を全うした訳でも、自ら精霊と成り昇華した訳でもなく、人間に心臓を奪われ殺されるなど、認められる訳がない。


「人間めぇ…」

 愛用の弓を軋む程握り締めてカレイジャスが唸る。結局犯人は逃がしてしまったらしい。

「転移魔法とは…くそっ!」

 失われた古代の魔法大系だ。

 ダンジョンなどではたまにトラップなどで見かける事もあるらしいが、アレはダンジョン自体を一個の存在と仮定して空間を歪めて繋げている術式らしいので、正統な転移魔法ではないそうだけれど。


「…転移魔法か。魔族が絡んでるかも知れんな」

 里長様がギリリと歯軋りしている。

 転移魔法は魔族の十八番だ。

 太古の昔の戦争では、突然エルフの集落にモンスターの大群が転移して来て大勢の被害が出たらしい。


「まだ間に合うかも知れんぞい」

「ホロス婆!」

 腰の曲がった老エルフが現れた。確か800歳を越えていたはずの老婆だ。ハイエルフ様を除けば最年長のエルフである。

「犯人を追えるのかっ!?奴は今何処に居るっ!?」

 カレイジャスが食いつく。

「それは解らん。だが、御神木はハイエルフ様と同調して最早一心同体となっていた。この御神木の実を持って行け。最後の一つじゃ。腐りかけじゃがな…」

 ホロス婆が瓶詰めに入れた御神木の果実を取り出した。微かにだが、ゆっくり、穏やかに脈打っている。まるで心臓の様に。


「儂の呪いをかけた。ハイエルフ様の心臓が近付けば力強く早鐘の様に脈打つだろう。だが、ハイエルフ様の心臓が魔族にでも食われれば、もしくはこの実が腐りきってしまえば鼓動は止まる」

 ホロス婆から果実を受け取るカレイジャス。

「解った。すぐにでも出発する」

 里長様も頷いている。

「ならば里の守りを固める者と追う者とで分けよう。土、木の使い手は残れ。風を中心にスピード重視のメンバーで向かえ」

「承知した」

 カレイジャスが頷き、狩りの上手いエルフ達に声をかけ始める。


「私も行くわ」

 私は弓を背にしてカレイジャスに話しかける。

「シルク」

「私も許せない。ハイエルフ様の仇を討って、心臓を取り返すわ」

「解った。お前の木魔法で今度こそ奴を捕らえてくれ。私が奴を仕留めよう」

 良かった。ハイエルフ様の仇をこの手で討てる。


「転移魔法も完璧じゃないじゃろ。必要な触媒や魔力の充填に座標調整、そうほいほいと使えぬわい。今はまだそこまで離れてはいまい」

 ホロス婆が私見を語る。

 だが確かに転移魔法を自在に使いこなせるならもっと上手くハイエルフ様を襲えただろう。

 火事を起こして陽動をし、結界を突破し侵入する。なかなかに手間暇がかかっている。


「我等は戦えぬ者を率いてこの里を離れる。こんな時のための候補地はいくつかある。御神木やハイエルフ様の守りは無いが、この場に留まる方が危険じゃ」

 里長様はこの里を捨てる決断をした。

 ハイエルフ様は御神木とエルフ達の聖域…妖精郷にある世界樹とを地脈で繋げ、この里の守りを固める結界を維持していた。

 この里の結界が破られてしまった以上、邪悪なモンスターや人間の軍隊による略奪を許してしまう。

 

 そもそも里の位置を知られてしまったのが問題だ。

 世界樹の結界は物理的な防御力を持つが、うちの様な小さい隠れ里の御神木が放つ結界は、認識阻害や幻術系の結界である。

 永遠にエルフの隠れ里に辿り着けず森の中を彷徨うぐらいの効果しかない。故に此度の外敵の侵入を許してしまったのだ。

「500年の歴史を持つこの隠れ里の終焉がこんな結末なんて、許せない。あの人間には必ず報いを受けさせてやる」

 ハイエルフ様を失った悲しみより、敵への怒りが勝る。

「その通りだ。必ず奴を追い詰めて、殺してやる」

 カレイジャスが力強く頷いている。

 そして私達はカレイジャスをリーダーに、ハイエルフ様殺害犯の追跡に出発した。


 私達は隠れ里を出て通常の森を移動する。風や木の魔法による探知でモンスターとのエンカウントを極力避け、急いで移動する。

 数日が経過し、凡その方向が解ってきた。

「果実はどう?」

 私がカレイジャスに訊ねる。

「段々と強く脈打つ様になってきた。奴が向かった先は…こちらで合っている様だな」

「でも、こっちの方角は…」

 私が流石に不安を隠せなくなる。

 果実の鼓動が示すのは魔境の方角。さらにその奥には大魔境がある。


「やはり魔族…魔王軍が関わっていたか。魔族が直接我等の隠れ里に近付けばハイエルフ様がすぐに気付いて応戦出来たはず。人間を使ったのはそう言う事か」

 カレイジャスが納得している。確かに長い闘争の歴史の中、魔族と手を組む人間やエルフも居た。離反したエルフ達はダークエルフと呼ばれ、魔の領域の何処かに暮らしていると言う。


「大魔境まで逃げ込まれたら我等でも活動出来ない」

 大魔境の瘴気は吸い込むだけで病気になってしまう。魔境の瘴気ですらエルフの肺には毒なのだ。早く、早くあの人間を仕留めなければ。


「行きましょう」

「ああ」

 私達は気を引き締めて魔境へと向かい歩を進めるのだった。

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