第1話 暗闇に浮かぶ白い文字

 新島礼にいじまれいは今日も今日とて社会人の辛さを噛み締めながら、コンビニで買ったビーフジャーキーを噛み締める。


「だー!まーたエミリエンドが来ちゃったよ。今回は条件満たしてたと思ったんだけど、多分あそこの選択肢をミスってた。取り戻せると思ってたんだけど…って‼右下がクルクルしてる。クルクル…ってまさか!オートセーブされてる!?ダメダメダメ!電源を、いやコンセントを抜くしか」


 ビーフジャーキーをタバコのように咥えながら、長くも短くもない腕を懸命にコンセントに伸ばした。

 サブカル的な汚部屋だが、文字通り汚部屋でもあるから、バキバキペキペキガサガサと色んな音がする。


『エミリ、俺——』


 脳というものはとても優秀で、雑音の中でもゲーム内のイケメンの声は聞き取れる。

 そして礼は、ドン‼と机バンならぬ畳バンをした。


「くそっ!間に合わなかった…。ペットボトルが並んでなければ…」


 そもそも、オートセーブのマークが出た時点で、間に合っていたかは怪しい。

 だが、普段では考えられないことが起きたから、礼は我を失っていたのだ。

 その理由は——


「どういうことだよ。なんでオートセーブされるんだよ!設定でちゃんとオフに……、ってあれ?オプション設定でオートセーブがオンになってる…。…‼そうか、あのアプデか‼…クソ長アプデで設定がリセットされてたんだ。今までのアプデだとそこは変わらなかったのに」


 そこで俺の灰色脳細胞に電流が走った…気がした。


「そうだ!逆転の発想だ‼クラウドにまだ直前のセーブデータが残ってて…。あ、アプデは昨日の夜で、そのままだからLANが差さったまま…」


 クラウド同期完了


「ここも間に合わなかった。世界中の全俺のセーブデータがエミリエンドになってしまった。…おいおいおいおい!マジで勘弁してくれよ!このゲーム何十周目だと思ってんだよ‼」


 有名ゲーム情報誌がこのゲームを称賛していた。

 その中のコラムニストの言葉だ。


「人生は一度きりという当時のキャッチフレーズを残しました、じゃねぇんだよ!恋愛ゲームは周回プレイゲームだぞ?二十個くらいはセーブスロットが欲しいんだよ‼それが一個しかないって…、何が人生は一度きりだよ。ドット絵時代の迷作を超美麗3Dにした時点で…。いや、前回からそこは不評だったんだぞ!ユーザーフレンドリーを目指したんじゃあなかったのかよ‼」


 彼は別の情報誌をジロリと睨んだ。

 出来るだけ情報を入れずにクリアしようとしている。攻略サイトだけは見ないと心に誓っている。

 とは言え、設定資料集や開発者インタビューは大好物であり、それらは丁寧に本棚に飾ってある。


「はぁぁぁあああ…。仕方ない。ニューゲーム、と。今度こそ、レアイベントを目指して一から始めるしかない。本編はそんな長くないけど、イベント回収を含めると平気で百時間越えるんだよな…。んで、フィーネのレアイベントはオープニングムービーをスキップしちゃいけないとか、メタ的な条件まであるし。また、一か月かけてエンディングを目指すか」


 そして、彼の不満はもう少しで終わる。

 そんなことも知らずに、カッコよいオープニングムービーのキャラクターに向かって、人生のアドバイスをしたりもする。


「このオープニングムービーのレイモンドはちょっとカッコよいんだよなぁ。まぁ、格好をつけているところ悪いんだけどさ、アプデされてもお前のクソ雑魚ムーブは変わらんだろうよ。お前、もうすぐ死ぬぞ。お前はヒロイン分岐の手前で死ぬんだから、どのルート通っても絶対に死ぬんだぞ。だから、今回こそはランダムイベント仕掛けてくんなよ」


 噛ませ犬であり、お邪魔虫なレギュラーキャラであるレイモンド。

 ゲームは好きでも彼は大嫌い。流石にセリフを覚えるくらいやり込めば、コンプリート出来る。

 だが、出来ていない。

 それは、レイモンドの嫌がらせイベントがランダム発生するからだった。


「しかもマジでマジでしつこい。でもまぁ、気持ちは分かるぞ。すぐ側に俺こと勇者様がいて、メインヒロインを含めた七人の女の子が、みーんな俺にぞっこんだからなぁ。お前が狂っちまう気持ちは分からんでもない。でもまぁ…、安心しろ」


 前回だって、レイモンドイベントが起きなければ、無事にレアイベント後のフィーネエンドに辿り着いた。

 だから嫌い。だけど。


「…主役になれないってのは現実世界の俺も同じだ。モテる奴はみんなから好かれる。モテない奴は辛いよな。……はぁ、オープニングムービーって20分もあるんだっけ。風呂入ってこよ……」


 ゲームをして現実逃避。

 それが彼のルーティンだが、今日は特別な日になる。

 人生で一番大事なものであり、平等に訪れる特別な日なのだ。


「明日は仕事だし、今日はあんまり出来ないかな。…って、まだムービー終わってないし。ボタンに触れたらムービースキップ。しかも、フィーネエンドが出なくなるっていう最悪なやつ」


 シャワーを浴び、湯船につかる。

 たっぷり時間を使ったのに、ムービーが終わっていない。

 ソレを知るや否や、礼は布団に突っ伏した。

 いつものように布団の上でスマホで適当に漁った漫画を読む。

 すると、テレビからピロリンという電子音が聞こえた。


「あれ?通知音の設定も有りになってる。本体のアプデも入ったんだっけ…って‼ドラステのアプデ?またアプデすんの?」


 アプデ後のアプデ。意外とそういうのはある。

 アプデをした結果、どこかで新たなバグが発生したりとか。


「チッ…。流石にまだオープニングだし、そっちのアプデも終わらせとくか。今日はもう出来ないかな…」


 折角、オートセーブをオフにしたのに、このアプデでリセットされたら堪らない。

 だからコントローラーを持つために懸命に腕を伸ばした。


「うー、届かない。よいしょ…、痛っ!」


 そこで今まで感じたことのない痛みが脇腹に走った。

 慌てた彼は、痛みを感じたところに手をやるが、特に変わった様子はなかった。

 ただ、布団の上に一本の爪楊枝が転がっていた。


 爪楊枝?


 と疑問に思った彼。

 帰宅後の「箸しかねぇじゃん。あれか?SDGsか?」という経緯をすでに忘れている。


「これ、結構深々と突き刺さってんじゃん。お洒落なお店に置いてある先が赤色の爪楊枝ってレベルじゃねぇぞ。…ま、いいや。俺は爪楊枝で死ぬような人間じゃ…」


 ということで、新島礼はあっさりと死んだ。

 厳密にはこのあとの司法解剖で、彼の人生の迷走と同様に本来ここにある筈もない迷走神経が脇腹を迷走し、そこを刺激したことで血圧が異常低下してしまったことが死因と認定される。


 ただ、すでに主人公はこっちの世界にいないので、これはまた別の話。


 新島礼は混乱していた。


「んー。なんか真っ暗なんだけど。俺、何してたっけ。あれか?視神経が実は耳にあるって都市伝説が本当だったとか?でも、脇腹だしな。いや、爪楊枝だしなぁ」


 彼の記憶は爪楊枝を発見したところで止まっている。

 真っ暗になったから死んだんだろう、なんて突飛な発想にはならない。


「ローテーブルに置いてたコントローラーを取って…。そのコントローラーの感触が無い。そもそも、テーブルがこの辺りに…。この辺にコンビニの袋が散らかってて…、あれ?結構片付いてる?何もない。あっちにテレビがあって、床にゲーム機を直置きにしてて…」


 耳から白糸が出ていて、実は視神経だったという都市伝説。

 どうやらあれは都市伝説ではなかったらしい。


「なんだよ。耳じゃなくて脇腹だったんじゃないか。えっと、スマホスマホ…」


 早くスマホで救急車を呼ばないといけないのに、そのスマホが何処にもない。

 無意識に断捨離に目覚めていたのか、真っ暗で何も見えないからか、何もないように思えた。


 ──ここは何処?


 ただでさえ、視神経を切ってしまったかもしれないのに、暗黒の中で少しずつ恐怖が募っていく。


「も、もしかして俺はもう死んでいる…とか?いやいや、そんなわけないって。爪楊枝で死ぬって…。そんなの漫画とかアニメとかの話だし。そもそも、ならばワシが使うのはこれじゃ。つ、爪楊枝?おいおい、ついにこの爺さん耄碌しちまったぜ。爪楊枝で俺を倒せ…、へ?……ってこと⁉もしや、武芸で有名な師範が俺の家に来てたってこと⁈」


 それが可能かはさておき、礼はどんどん混乱していった。

 混乱したからって、この適当設定が大正解だなんて思っていない。


 ピ…ピピピピ…


「な?」


 そんな中、混乱中の彼は聞き馴染み電子音を拾った。


「なんだよ、あれ。暗闇に文字が浮かんでる?」


 果てしなく異様な光景だった。

 暗転していた空間に、突然の電子音がして、見覚えのある言語が並んだのだ。


『ニューゲームを開始しますか? YES? NO?』


 まるでゲームの世界。

 そして、コンティニューという選択肢が現れない。

 さらに残念ながら、ニューゲームしか選択できないようになっている。


「こ、これは…。…なんだ、ただの夢か。まぁ、そうだよな。爪楊枝で死ぬとか意味分からんし。俺は布団の上に居たわけだから、寝落ちしたってことだ」

 

 因みにこれは、安堵できる怪現象である。

 死んだかも、と薄っすら思っていたし、目が見えなくなったとも思っていたわけだ。

 安全と分かった新島礼は、ホッと胸を撫でおろした。 


「ま、面白そうだし、この状況を分析するか。まず、俺はこの画面を知っている。で、俺の家にこんなデカい暗室もテレビもない。夢なのは確定として、どうするべきか。選択肢にノーがある。夢なんだからノーを選ぶのも悪くない。だが、夢に関係する都市伝説も結構ある。実はやっぱり死の間際で臨死体験中の可能性もある。コンティニューがあったら絶対にそっちなんだけど、流石にここはイエスか。…イエスで」


 すると、キン!という音と共に巨大な文字は消えた、…と思いきや再び電子音がなり、文字が紡がれる。


『本当にそれでよろしいのですか?  YES? NO?』


 そして完成したのはコレだ。

 YESを選んだはずなのに、まさかの選択確認メッセージが現れる。


「ええ?そっちの確認?ノーが正解だったってこと?ここでNOって言えば、さっきのに戻るのかな。戻ったところでコンティニューはないし。…って、何を言ってんだよ、俺。これは夢だぞ。大して意味はないって。うん。イエスで」


 今回も同じ。礼がイエスと言った瞬間、電子音と共に文字列が消えた。

 その直後、やはり別の文字列が現れる。


『主人公の名前を決めてください。 アルフレド_ 』


 主人公の名前を決めないといけないらしい。

 名前を決めるようにと出ているものの、その欄はアルフレドと綴られている。

 これは自分への問いかけではないのかも、なんて新島礼は考えない。


「デフォルトで名前が決まってるゲームにありがち。そして俺がやっているゲーム、ドラステワゴンの主人公もアルフレド。やっぱ夢で決まりだな。まぁ、アから始まる主人公って多いから別のゲームかもしれないけど。名前を決める画面なんてどれも似たようなもんだけど、本当に凝った夢だな。いやゲームのやりすぎか」


 肩を竦め、息を吐き、ゲームこそ人生だったと自嘲する。

 ただ、まだ夢の続きらしく、その文字列は消えてくれない。


「あ、そか。アンダーバーが点滅しているってことは、まだ名前が変えられるのか。デフォルト名で話を進めた方がストーリー的に違和感がないのは分かる。ファンタジーゲームってビジュアルとかの設定が大体中世ヨーロッパだし。マリア、アルフレド、アーク、リカルド、そして『ひろし』。んー、やっぱ違和感があるんだよな。いや、いいんだよ?その方が没入感も出るし。外国人顔のイケメン『ひろし』がいてもいいじゃん」


『ひろし』に罪はないし。

『ひろし』にも金髪ツンツンで鉄塊のような剣を持つ権利はある。

 とは言え、新島礼はこの手の名前決めで子供の頃から悩んだことがない。


「くっくっく。だが、俺はひろしではない。俺は礼。レイって書いたら結構違和感ないんだよ‼アルフレドは削除‼主人公の名前はレイだ‼…って夢って分かってるのに何を言ってんだろ、俺……。いーや、夢だからいいんだよ。この世界の主人公の名前はレイだ!」


 現実世界だとモブもいいところだから、夢の中くらい主人公になりたい。

 そんな思いで文字列を見守る。

 すると、アルフレドの文字が右から一つずつ消え、そして左からレが現れて、次にイが現れた。


 つまり『主人公の名前を決めてください。 レイ_ 』の状態。


 ただ、このユーザーインターフェースには大きな欠点がある。

 名前を決める画面の下には、普通は五十音もしくはアルファベットが並んでいる。

 だが、それらしいものは見当たらない。ソレを言い出したら、さっきのYESかNOかの質問だって同じだし、アルフレドが消えてレイになったのも意味が分からない。


 でも、これは夢という設定。


「あれ?決定ボタンってどこにあるんだろ。」


 決定方法が分からないから、そこから先に進まない。

 もしくはフリーズの可能性もある。

 名前入力画面でフリーズとか、デバッグをサボったにしても程がある。


「決定だよ。決定。…なんだ、これ。俺が知ってるゲームかと思ったら、ただのクソゲーか?」


 マシンスペックが足りないから、クソ長ローディング?

 だったら、このまま十分くらいは待つかもしれない。


「マジ?マジでフリーズ?ていうか、俺。夢に向かって何本気になってんだよ。明日も仕事だぞ。もういいや。流石に寝よう。」


 これはまだ夢という設定である。こんなことが起きるのも夢だ。


 特段、珍しくもない夢。

 アクション映画とSF映画とファンタジー映画と自分の記憶がごちゃ混ぜの夢だってある。

 だが、夢としてはいまいちの出来だ。

 そして、新島礼はこの状況に飽きてしまい、文字列という明かりだけの暗闇の中で寝転がった。


「早く寝よ。ゲームのし過ぎって上司に叱られる。今日はちょっとしかやってないのに叱られたら堪らない…」


 ここが夢の中だと信じて、暗闇の中で目を閉じる。

 すると、本当に眠くなってきて、遂には寝てしまった。


 ——ずっと夢の中だと思い込んだまま


     ◇


 ピッ


『主人公の名前を決めてください。 レ_ 』


 ドット文字で浮かび上がった主人公の名前『レイ』に変化が訪れる。

 何故か、『レイ』の『イ』が消えて、直ぐに『レ』も消えた。

 そして左から順番に『ア』が打ち込まれる。


『主人公の名前を決めてください。 アルフレド_ 』


 この文字が完成した瞬間、文字列は光り輝いて消えた。

 その後、『ヒロインの名前を決めてください。 フィーネ_』という文字が浮かび上がり、これもまた光った後に消えた。

 更には、他のヒロインの名前の入力画面が出ては消えていく。


 そして、


『最後に主人公のライバルキャラを決めてください(※胸糞野郎になります。知り合いの名前を入れる場合は自己責任でお願いします)レイモンド_ 』


 ライバルキャラの入力画面、これが新島礼が言っていたドラステワゴンにおける、プレイヤーが入力する最後の項目だ。

 その文字が右から順に消えていく。

『ド』が消え、『ン』が消え、『モ』が消えた。

 そして消えた『モ』の位置にアンダーバーが点滅し始めて、一瞬強く明滅した。

 名前が決定したからか、『レイ』と白く浮かび上がった文字全体が粉々に砕け散った。


 ピシッ


 砕け散ったの衝撃によるものかは分からない。

 そして、暗転していた空間にもヒビが入り始める。

 ヒビの隙間からは眩い光が差し込み、ガラスが割れるような音とともに、彼がいる空間もまた、粉々に砕け散った。

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