第二十三話 献身の聖女
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――……side 第一感染者 カイル
「グハッ、ゲホッゲホッ!! オゲェッ!」
咽る、血を吐く、激痛にのたまう。この三つが最近の俺にできる全てだ。二日前に発症した疫病は、三日前の健康だった体を思い出せぬ程に強く俺の体を蝕んでいった。いや、それだけならまだいい(良くはないが)、問題はこれが伝染病だったってことだ。今では俺のせいで村中地獄絵図だ。
はじめは自警団詰め所に居た面々、次に老人、子供、その後はもう老若男女問わず。気がつけば村中の殆どの人間が発病し、この隔離施設となった教会の中にひしめき合っていた。初めの内はシーツの交換などもしていたが、今ではそんな余裕もなく。辺りは吐瀉物に血痕、それをもとに湧いたウジ虫に鼠。信じられないほどの不潔な環境となっている。
「カイル、大丈夫か? 水は飲めるか?」
「ゴホッ、ガハッ、サルーン、俺にはもう近づかないほうがいい、俺はもう、ゴホッ、長くない」
近所に住んでいた農夫のサルーンが水を差し出してくる。お人好しめ、俺のせいでお前も感染してしまっているというのに。サルーンの症状はまだ初期症状なので病人でありながら重病人の介護をしている。それが出来るのもあと数日の話しではあるが、こいつや、今も働いてくれているヤツ等が居なければ、この地獄は更にひどいものになっていただろう。
「いいから、喋るな。水を……そうだ、ゆっくり飲め」
何とか咽ながらも水を喉に流し込む。もう無駄だ、俺はもう死ぬんだと思っていても、体は勝手に生きたがる。罪悪感を抱きながらも水を飲む浅ましい自分に反吐が出そうになる。
「そんな顔をするな、お前が悪いんじゃない。俺達の……運が悪かったんだ」
「うっうっ……すまねぇ……すまねえ」
顔を伝う涙にも赤いものが混じっている、それを見て更に涙が流れる。嫌だ、まだ死にたくねえ、だれか、だれか助けてくれ……
普段は教会になんて近づきもしなかった俺が、こんな状態になって神に祈っている。助けなどないことは分かっているが、誰でも良いから俺達を助けてほしい。浅ましくてもなんでも俺達はまだ死にたくないんだ。
その時、薄暗い部屋に明るい光が差し込んだ。誰かがドアを開けたのだ。
「……だ、だれだ?」
声を出したのは俺だったか、それとも他の誰だったのか。とにかく扉を開けた人物に声をかける。
しかし俺達の声への返答は名乗りなどではなかった。
「女神よ、その癒しの手よ、傷つきし汝が子等に祝福を!
聞こえてきたのは若く美しく良く通る女の声。
温かい光が俺達を包み込み、あれほど俺の体を蝕んでいた痛みがだいぶ弱まっていった。
「治癒……魔法……?」
ありえない、この村にそんなものを使える人間はいない。そして”疫病吐き”に汚染された村に来る治癒魔法の使い手などもいるわけがない。では、一体誰が……?
「皆さん、おまたせいたしました! 私は王都サンクトゥースから来ました、清川棗ともうします。一応王国では聖女をやらせていただいております」
開け放たれたドアから現れたのは小柄な人影。逆光で顔はよく見えないが、美しく輝く白銀の髪が柔らかく揺れている。まさか、こんな場所に聖女が来るわけがないと思いながらも、彼女のもつ神々しさはまさに俺の持っている聖女というイメージそのものだった。
「さしあたって病魔に破壊された臓器の傷を癒やしました。原因は除去できていないので完治はしていませんが、私が来たからにはもう誰も死なせません!」
そう言うと彼女は、この地獄のような惨状の教会にためらいもなく歩を進めた。正直、荒事に慣れた連中でも尻込みするような光景だろうに、彼女は全くひるまない。
そして、建物内に入り逆光が薄れたことで見えるようになった彼女の姿は、信じられないほどに美しかった。神々しいローブに流れるように揺れる白銀の髪、美しい
「それでは皆さん、これから色々と検査をしていきますね。必ずこの病気の治療法を見つけてみせます。皆で元気になりましょうね! まずは、この汚れてしまった衣服とシーツを綺麗にします。洗浄せよ
それから彼女は一人ひとり村人たちの洗浄を行い、元気を出せと励ましつつ患者一人ずつに問診をしていく。病魔を退散させるには単純に治癒術をかけるのではなく、病気毎にアプローチを変える必要があるのだとか。
「だめだよあんた、この病は死に至る上に感染するんだ。すぐに出てお行き! まだ間に合うかも知れない、早く!!」
「大丈夫ですよ、おばあさん。私には女神様から頂いたこのローブがありますので病気は伝染りません。それにこの杖には教皇猊下のおばけが取り憑いてますので、皆さんの病気も必ず治して見せますよ!」
たとえ伝染らないと解っていても、こんな不衛生で危険な場所に来れるものじゃない。彼女は見た目だけでなくその心も美しいのだと感じた。ただ、杖に教皇のおばけというジョークと変な仮面は完全にスベっているので、ジョークのセンスは壊滅的に悪いらしい。
――それからというもの、彼女は毎日早朝から日が暮れるまで連日休み無しでやってきた。
「おはようございます、朝食ですよ。今日も一緒に頑張りましょうね!」
寝ている間に病魔に体を蝕まれ、朝は激痛で目を覚ます。しかし、早朝から治療を開始する彼女のお陰で、痛みにのたうつ時間は劇的に減少していた。何より、彼女の明るい笑顔と声には、ここにいる全員が元気をもらっている。聖女というものはその場にいるだけで人々を癒すものらしい。
明るい彼女の声に引っ張られるように場の空気もだいぶ軽いものになった。まだ何も解決したわけではないけれど、もう助からないという悲壮感はだいぶ薄くなってきている。原因を解決しない限り緩やかに俺達の死は近づいているのだが、明るい彼女の懸命の看護のお陰でもう恐怖心はない。仮に俺達が助からなかったとしても、誰も彼女を恨んだりはしないだろう。
しかし、彼女の治療が始まってすでに数日が経っている。明るく元気に振る舞う彼女だが、流石に疲労が見えてきた気がする。治癒術のことは良く分からないが、あれほどの激痛を緩和する魔法が簡単なものであるはずがない。おそらく彼女の消耗は見た目よりかなり厳しいのかも知れない。夜はかなり遅く、朝はかなり早くにやってきてずっと治療をしている彼女の睡眠時間もかなり少ない気もする。できればあまり俺達のために無理をしてほしくはない。
しかし、次の日も彼女はやってきた。
その日の彼女は、何故か件の仮面を顔につけていた。彼女曰く。女神様のくれた由緒正しいアーティファクトなので、装備をするだけで術の力が高まるらしい。可憐な彼女の顔が見れなくなるのは残念だけど、俺達のために頑張ってくれているのでもちろん文句はない。ただ、仮面の下の彼女が疲れた顔をしていないか、それだけが心配だ。
――次の日から彼女の口数が減ってきてしまった。遅々として進まない治療に疲労を感じているのかも知れない。それでも彼女はテキパキと清掃や治癒を行っていく。つけている仮面は恐ろしいが、その献身的な働きは相変わらず天使のようだ。
流石に俺達の体力も徐々に弱っていき、限界が近づいて来ているのを感じる。このまま治療法が見つからなかったら、あと数日で俺達は死んでしまうのかも知れない。それでも彼女のお陰で苦しみも少なく死ねるの事には感謝しかない。
願わくば、彼女が俺達の死を引きずらない事を願う。短い付き合いだけど、彼女の優しさは嫌というほど知っている。きっとこんな何もない村人の死でも、彼女は悲しんでくれるのだろう。
不謹慎ではあるがそれが少し申し訳なくて、少しだけ嬉しいと想ってしまう。
――そんな事を考えつつ治療を受けていると、突然彼女が肩を震わせた。何回か無言で震わせていたが、やがて我慢できなくなったのか激しく咳き込み始めた。一瞬何が起きたのか理解できなかったが、直後仮面の隙間から赤い物が吹き出すのをみて理解した。
彼女が言っていた、自分には感染しないというのは、俺達を安心させるための嘘だったのだと……
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