閑話 あるメイドの一日
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――side トリーシャ
――早朝、小鳥が囀るより早く、私の仕事は始まります。優秀なメイドの朝は早い。王宮に務めるメイドは、仕える主人に確実に快適な朝を迎えていただくのが矜持なのだ。
「……なんてね~」
偉そうな事を言ったものの、正直この仕事は辛い。主人より遅く眠り、主人より早く起きる。この一事だけでも中々に体にはくるものがあるのだ。それ故、この仕事を長く続けられる者は少ない。まあ、王宮メイドの殆どは花嫁修業の貴族の娘が多いため、仕事の内容に限らず輿入れでどんどん辞めていくのですけどね。私のような平民出で、専業メイドをしている者は珍しいのです。同僚の入れ替わりが激しいこの職場で、長い付き合いとなるとメイド長くらいものでしょうか。
「――よっし、起きようトリーシャ! ていっ!!」
私の朝の習慣。ほっぺたを両手で軽く叩き、朝のスイッチを入れる。別に痛みで目を覚ます訳ではないけど、これをするとなんとなく気合が入るのだ。さあ、全力をだしてベッドの魔力から脱出するのだ!
――身支度を整えた私はコーヒーの用意をしてからお仕えする方の部屋をノックする。
……返事がない。ですが、いつも早起きのヒデヒコ様が起きていらっしゃらないとは思えない。私は一言声をかけてからドアをあけると、案の定ヒデヒコ様の姿はそこにはありませんでした。
主人の起床に間に合わないとは不覚でした。ですがここで慌てるのは二流……いえ、三流のメイド。一流のメイドであれば、主人の行動を想像し、リカバリーをする事を可能とします。私は出来るメイドなのでございます。
……そも、一流は起床に間に合うはず? そんなのは現場を知らぬ者の理想論ですとも……えぇ。
兎も角、私は速やかに主の居場所にたどり着かなくてはなりません。幸いあの方の行動はわかりやすいので行き先はすぐに判ります。
私は慌てず騒がず食堂へと向かいました。すると、予想通り、ヒデヒコ様と聖女ナツメ様が談笑しつつ、既に朝食を取り始めておりました。主の朝食の準備も出来ない一流がいるか、ですか……? 何を言っているのか解りませんね。挨拶を交わしたところから、主従の一日は始まるのです。なのでこれはノーカンです。
「こちらにおられましたか。おはようございます、ヒデヒコ様、ナツメ様」
「おう、悪いな、トリーシャ。今日は妙に早く目が覚めたんで先に朝飯来ちまった。おはよう」
「おはよう、トリーシャちゃん!」
私が声をかけますと、御二人共私などに対して満面の笑みで挨拶を返してくださいました。
ヒデヒコ様は少し眠そうでございますね、ぴょこんと立った寝癖がお可愛らしい。戦う時や訓練をなさっているときの凛々しいお姿も素晴らしいですが、このように気の抜けたお顔というのも尊いものでございます。
お向かいに座られているのは聖女ナツメ様。女の私から見ても、とても可憐で愛らしい御方です。
女神マディスの使徒として、この世界をお救いに降臨された勇者様方ですが、皆さんそれを鼻にかけることもなく、私のような端女にも分け隔てなく接してくださる素晴らしい方々です。
「ヒデヒコ様、寝癖がついておられますよ」
「んぉ!? マジか」
「はい、すぐにお直しいたしますね。失礼いたします」
慌てるヒデヒコ様の御髪を手で丁寧に梳いていきます。暫く撫でつけると、跳ねていた部分も綺麗になり精悍なお顔が更に凛々しいものになりました。
「……むぅ~」
小さな声に振り向きますと、聖女様が怒りとも焦りとも悲しみとも取れぬ微妙なお顔でこちらを見ておりました。ヒデヒコ様が大好きなナツメ様は、私がヒデヒコ様に近づきますと、このように焦った反応をお見せになります。
立場的にも容姿的にも、私などがナツメ様に勝る部分など無いと思いますのに、この御方はどうにもご自分の魅力をご理解されていないようで、このような反応をお見せになります。この反応がまたとても可愛らしく、私もついついナツメ様の前で余計にヒデヒコ様に触れてしまったりするのは悪い傾向ですね。反省せねばなりません。
まあそれがなくともヒデヒコ様にでしたらいつでも触れていたいのですが……ゴホン。少々はしたなかったですね。
「ひ、秀彦! ぼ、僕も直してあげるよ!!」
「……いや、もうなおってるからいらねえよ?」
「あぅぅ……」
既に直した寝癖を更に直そうとするナツメ様には落ち着いてほしいですが、にべもなく断る秀彦様も乙女心が分かって無いですねえ……ああ、お可愛そうに。この世の終わりのような顔で今にも泣き出しそうです。
……凄くそそるお顔をなさいますね。狙ってやってるんじゃないでしょうか?
大体ナツメ様が焦る要素はどこにもないと思うのですよね。だってあの方の目にはナツメ様しか……まあ、ナツメ様の反応が面白いですし、私もヒデヒコ様のことは愛しておりますので、この手の悪戯はやめる気がないのですけどね。
「ふむ、朝から面白そうなことをしているね。トリーシャちゃんはこの二人の扱いをよく心得ているようだ」
続けて食堂に姿をお見せになったのは勇者アオイ様。この世界を救うべく現れた御三方の中でも最も尊い御方です。その容姿はナツメ様とはまた違っておりますが、とても美しい方です。ナツメ様が可憐なのに対し、アオイ様は妖艶ともうしますか、お二方とも大変お美しく、私などでは嫉妬の念を抱くことすらありません。女神の使徒はみな美形と決まっているのでしょうか? え、ヒデヒコ様もワイルドで凛々しくて大変素敵な殿方ですよ?
ただしアオイ様は……
「ぐぇへへへ、ナツメきゅうん、今日も可愛いねえ。そんなそそる顔しちゃって。朝からお姉ちゃんの心のアレがいきり起っちゃうよ? フヒッ」
「えぇい、朝から鬱陶しいですよ、このセクハラ魔神!」
「チッチュウ!!」
「あいたぁ!?」
この光景も毎朝のものですね。アオイ様も黙っておられれば絶世の美女なのですが、ナツメ様の前ではいつもこうなのですよね。もったいないと申しますかなんと申しますか……これでも戦闘時には大変凛々しくお美しい方なのですけども。
最近では、ナツメ様の守護獣様も強力になられましたので、以前よりも激しい攻撃が叩き込まれているように見えるのですが、それでもセクハラをやめるつもりはないみたいですね。勇者様は勇気のある者という意味ですので、守護獣様がどれほど強大になられてもセクハラを続けるのかもしれませんね。ある意味尊敬です。
あ、凄い、守護獣様が黄金に輝いています。それに伴い、振るわれる力も増しておられるようで、ぶつかり合う余波で窓ガラスが割れそうです。正直魔物が攻めてきて避難したときより恐ろしいです。
しかしまあ、このような光景もいつもの事ですので、最近では徐々に慣れてきましたが。やはり世界を救う力を持った方々というのは凄まじいものなのだなと感じます。
――あ、アオイ様が泣きながら出ていってしまいました。どうやら最近は守護獣様のほうに分があるようですね、守護獣様は小さいのにどうなっているのでしょう? ついでにこのどさくさでナツメ様はヒデヒコ様との距離をお詰めになったようですね。以前にはなかった行動。どうやら聖都にいらしてから何かをご自覚なさったご様子。
こちらの世界にいらっしゃった頃はまるで少年のように天真爛漫でしたが、今はすっかり女性らしくなられて、再会しました時は一瞬固まってしまいましたよ。ただでさえ息を呑むほどの魅力的な方でしたが、今のナツメ様の魅力と言ったら、正直適当な言葉が思いつきません。
そして、そんなナツメ様の”好き好きオーラ”を一身に浴びていらっしゃるのに我が主様ときましたら……
――あまりに朴念仁ですと、ナツメも愛想をつかせてしまいますよ? あ、ナツメ様。今、こっそりヒデヒコ様の手に触れようとしましたね? でも、(手に触れる理由がなさすぎるな。ヒデヒコに変に思われたらどうしよう~)って顔をなさってますね。良いのですよ、ここはガッといきましょうナツメ様! ――あ、裾をちょっとだけ摘みました。ヘタレましたね? ですがこれはこれで中々……それだけで顔を真っ赤になさる姿も良しッ! これはなかなかの破壊力ですね。
で、肝心のヒデヒコ様は? ……あ、気がついておられない。ですが気が付かれたらナツメ様の顔からは、レッドドラゴンのブレス並の炎が吹き出るかもしれませんから、これで良いのかもしれませんね。
チラチラとこちらを見ているのはやはり、ヒデヒコ様を取られまいと威嚇しておられるのでしょうかね? ライバル視されているのは光栄なのですが、正直私は勝ち目のない戦いをするつもりはないのですけどね。
あ、でもヒデヒコ様さえ良ければ妾の一人にしていただくことは出来るでしょうか? ヒデヒコ様達の住んでおられた世界が一夫多妻に抵抗のない世界でしたら良いのですけども。
「――ん? 棗、何してんだお前?」
「はへ!? あ、あぅ、あぅ!?」
あ、服をつまんでるのがバレてしまったようですね、まるで天敵に見つかった兎さんのようなリアクションです。真っ青な顔でパニックになってますね。これもまたそそります……あ、いやいや。流石にこれはちょっと可愛そうな状況です。もう少し見ていたい気もしますが、しかたないですね。
「――ヒデヒコ様、食後にコーヒーなどはいかがですか?」
「……ん? うーん。そうだな、よろしく頼むぜ!」
「はい、かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
「……ほっ」
ふふ、まるでヒーローをみる少年のような目で私を見ております。こういう所は子犬のようですね、不可視の尻尾がブンブン振られているのが見えるかのようでございます。それではヒデヒコ様とナツメ様の為に最高のコーヒーを入れて差し上げるといたしましょう。
……――――
そんな事をしているうちに時間も過ぎ、日も傾いてきた頃。少々遅い休憩を頂いていると、私の部屋のドアをノックする小さな音が聞こえてきました。
「……トリーシャちゃん、いるかな?」
「ナツメ様?」
これは意外な方がいらっしゃいましたね。少々驚きました、彼女が一人で私を尋ねられるのは初めてのことですね。私はナツメ様には少し距離を取られていると思っていたのですが……。
「あの、休憩中にごめんね?」
「いえ、それは構いません。ですがどういった御用でしょうか?」
私が不思議がっていると、ナツメ様はもじもじしつつ、後ろ手に持っていた包を差し出してきました。
「こ、これは?」
「あ、あの、クッキー、焼いたんだ。えっとその……さっきのお礼です……」
「……あぁっ!」
なるほど、最後の方は消え入りそうな声でほとんど聞こえませんでしたが、先程の助け舟のお礼にいらしたと! しかも手作りですか、なんとも律儀な御方ですね。真っ赤に照れながらお菓子を差し出すその姿の破壊力も中々のものです! ですが……
「もう、こういうのはヒデヒコ様にされるべきですよ」
「へ、はひゃっ!? なななななんで秀彦の名前がでるのかな、かな!? ぼ、ぼぼ僕は別にあんなゴリラの事なんてなんとも想ってななななな……」
あれだけバレバレな態度ですのに、隠せているつもりなのですねナツメ様は。慌てるさまが可愛らしいのでもう少しからかおうかとも思いましたが、それは少々酷と言うものでしょうか。お顔がゆだっておられますね、ふふ……
「あ、あの、あのね……お菓子はあまり作ったことがないから口に合うかわからないけど、よければ後で食べてね。それじゃ……」
「おまちください」
「ひゃいっ!?」
クッキーを渡して走り去ろうとするナツメ様を呼び止める。まさか呼び止められるとは思っていなかったのか、彼女はいかにも混乱していますという表情で私を見ている。
「そんな怯えた顔をなさらないでください。よろしければお茶を入れますので、このクッキーを一緒に食べませんか?」
「え、え、いいの? 休憩の邪魔じゃない?」
「邪魔などと、とんでもない事でございます。私以前からナツメ様ともっとお話をしたいと、そう思っていたのですよ?」
「……ッ!!! うん、それじゃあ一緒におしゃべりしながらおやつにしよう! 僕もトリーシャちゃんとお話したかったんだ!」
あ、これまた不可視の尻尾がブンブンと……
本当にナツメ様は子犬の様に可愛い御方ですね。有事の際はとても頼もしい方ですのに。
「ふふふ……」
「ど、どうしたの? 僕なんか変なこといっちゃった?」
「いえ、ナツメ様は御可愛らしい方だなと」
「ふぇっ!?」
真っ赤になって硬直したナツメ様を椅子に座らせ、ちょうどこれから飲もうと思っていたお茶を入れ、ナツメ様と二人で少し遅いお茶会をいたしました。一口紅茶を飲まれたあとはリラックスされたナツメ様と、時間を忘れて話し込んでしまいうっかり仕事に戻るのが遅れてしまいました。
ですのにヒデヒコ様は特に気にされてなかったのが、私のメイドとしてのプライドと女としての心を粉砕いたしましたが、自業自得でしたので何もいえません。
……クスン。
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