バレンタイン閑話 チョコと堕落といつも通り
こちら小説家になろうにて過去のバレンタインにUPした閑話となります。
時期外れな上に流れ切っちゃってごめんなさい。
あと視点移動多めです。
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90
……二の月十四の日。
今日はこの世界では何でも無い日。でも僕には大事な日。
前の世界とここでは暦というものがそもそも違う。解っているけどどうしても意識してしまう日。
そう、バレンタインデーである。
自分の気持ちに気がついてから、秀彦に振り向いてもらいたくて色々やってきたけど、どうにも効果が薄いような気がする。それどころか僕が迫るとアイツは不機嫌そうに顔をしかめて目線をそらしてしまう。顔が赤いから変な事をする僕に怒っているのかも知れない。確かにお風呂に突撃とか手を繋いだりとか、男友達にされるのは嫌なのかもしれない。それにしたって、そこまで眉間に皺を寄せることはないじゃないか? 流石に傷つくよ。秀彦に振り向いてもらうには迫り方を変えていかないといけないのかもしれない。
「……ひょっとしたら、男だった僕が何をしても秀彦には迷惑なだけなのかな?」
自分で言っておいて胸が痛む。いつか僕以外の人と秀彦がゴールインしてしまったら。考えただけで鼻のあたりがツンとする。いけない、こんなネガティブなのは僕のキャラじゃない。ネガティブ退散!! とにかく今日の僕にはやらねばならないミッションがある。
「とりあえずチョコレートを作ろう!」
気合を入れ直して準備をする。さっきみたいなネガティブは今日はもう無しだ! 早速メイド服に着替え、エプロンを装着する。……視界の端に、全身が茶色い葵先輩のようなものがベッドに横たわっているのが見えたけど気にしない。あれはツッコんだら襲ってくるやつだ。
「棗君! 今、しっかり見たよね? 気がついているよね!? せめてリアクションくれないとお姉ちゃん悲しいのだけれど?」
「……マウスくん、それ食べていいよ」
「チッチゥ!!」
「痛ぁい!?」
僕は喋るチョコレートを無視して部屋を出た。目指すは厨房だ!
――の、つもりだったのだけど。僕は今ウェニーおばあちゃんの薬棚の前に立っていた。理由は先程突然思い出されたこの薬品。前に見た時は使うつもりも何も感じなかったこれだけど。これ、もしも本物だったら今の僕には最強のアイテムなのではなかろうか?
”惚れ薬”
素っ気ない文字で書かれたラベルを貼られた、ごく普通の小瓶。
だがそれは、あのトート=モルテを上回る威圧感を放っていた。
……ゴクリ
つばを飲み込む音が妙に大きく聞こえる。今日はウェニーおばあちゃんは不在のようで、僕はおばあちゃんに貰った合鍵でここに立っている。薬品や魔道具など、この部屋にあるものはいつでも好きな時に好きなだけ持っていって良いと言われているので、僕がこの惚れ薬を持ち出す事に問題はない。
「だけど……」
お婆ちゃんは言っていた。ここにある薬は全てきちんとした効能を持つものであると。民間療法で用いられるような迷信ではなく、お婆ちゃんがここに保管している以上、この薬は確実に人を惚れさせる効力があるという事なのだ。
だからこそ。僕は今、この薬に手を伸ばすのを躊躇っている。本当にこれを使って良いのだろうか? 人の心を塗り替える、そんな事が許されるのか? 小瓶を手に取ったものの、僕はそのまま動く事ができなくなっていた。脳裏に浮かぶのは笑っている秀彦の顔。
「うん、やっぱりやめよう、こういうのはフェアじゃないね……」
心の中、激しい鬩ぎ合いの末、天使が勝利をおさめた。踏みとどまった僕は小瓶を元の棚に返そうと背を伸ばす。――その時不意に、僕の目が窓の外を映し出した。そこには、メイドさんから話しかけられ、照れたように頭をかくゴリラの姿が。
後ろ姿から察するにあれはトリーシャちゃん……
その姿を見た時、僕の心臓が激しく鼓動を打った。そこからは頭が真っ白になり、気がつけば僕は戻そうとした小瓶を持ったまま厨房に走っていた。
「……やってしまった」
それから一時間ほどでそれは完成してしまった。ハートの形をした堕落の象徴。
ハートチョコレート、惚れ薬味……
「つ、作っちゃったからには使うしか無いよね、うん……仕方ない!」
そ、そうだよね。捨てちゃうのはもったいないもんね。食べ物を粗末にするのはやっちゃいけないもんね。とりあえず僕は自分に言い訳をしつつ、チョコレートをキレイな箱に入れてラッピングをしていった。
……
…………
………………
「良い訳あるかーいッッ!」
こんな薬を盛って良い理由なんてあるかい! 危ない、トリーシャちゃんに先を越されたような気分になって、自分でも意味がわからないほど焦ってしまった。というか、そもそもトリーシャちゃんはバレンタインなんて知っている訳がないんだから、あれはそういうものでは無かったはず。僕は一体何をしているのか。
と、とりあえず、
……もうチョコレートの材料が残っていない。
うう、秀彦にあげるものだからと結構大きめに作ってしまったのが仇になった。でも、こんな物食べさせる訳にはいかないから、ちゃんと作り直さないと。
「……仕方ない、市場に買い出しに行こう」
少し時間を無駄にしてしまった事を後悔しつつ、僕は買い出しの準備をすすめる。ふと綺麗にラッピングされた
僕はチョコを袋にしまい、一人市場に向かうことにした。
……―――― 数十分後
「ご報告致します!」
寛ぐ秀彦と葵の元にグレコの配下が勢いよく駆け込んできた。
「一体どうしたんだい? ノックもせずに。緊急事態かい?」
「は、申し訳ございません! 火急の事態でしたのでつい。罰は後でお受けしますので今はご容赦を!」
騎士の尋常ならざる様子に先程まで寛いでいた葵と秀彦の顔も引き締まる。
「前置きは良いよ、先に報告をしてくれたまえ」
「は、王都の外壁に亀裂を発見。更にはそこより侵入した魔物の痕跡あり。しっかりとした足跡の追跡はできませんでしたが、街に向かったであろう痕跡が残されておりました。現在王都内での被害報告はありませんが、可及的速やかに魔物の発見及び討伐の依頼を勇者様方にさせて頂きたく」
「うーん、城壁内に魔物か。なるほどそれはヤベェな。よっし、俺たち三人で速攻解決して来てやるよ!」
「あ、ありがとうございます!」
「……それで、三人でと言うけれど、棗君は今何処に居るんだい?」
「ん? 俺は見てねえぞ」
「「……」」
「「嫌な予感しかしないね(ねぇな)!」」
二人は準備もそこそこに、アーティファクトを召喚すると、二手に分かれ魔物の捜索を開始した。おそらくそこに居るであろう少女のことを考えながら。
……――――
「寒い……」
城を出てしばらくすると、僕はちょっとした違和感に気がついた。いつもなら外に出た時には感じない手の冷たさに。
「そっか、今日はアイツに内緒で街に出てきたから護衛を頼み忘れちゃったな」
なんとなくいつも繋いでる右手をニギニギと動かす。思えば聖都で護衛してもらう様になってからいつも手を繋いで出掛けていた。だから、今日みたいに一人で歩くのは随分久しぶりな気がする。
でも、ちょっとだけ寂しいけど、今日の買い出しは秀彦に見られる訳にはいかないもんなあ。
「……明日は秀彦と、どこかにご飯でも食べに行こう」
よくよく考えてみたら護衛も付けずに町中に出るなんて、城に戻ったあとで叱られそうな気がしてきたぞ? 早く用を済ませて帰るとしよう。僕は気持ち早足で市場へと向かう。市場に着くといつも通りの活気に溢れており、すっかり顔なじみになった店の主が次々に声をかけてくれる。僕はここの雰囲気が大好きだ。
「おぅ、仮面ちゃんじゃねえか、今日は一人かい?」
「あ、オジさんこんにちは! 今日は内緒の買い物なんだ」
「そうかいそうかい。今日はウチでは買っていかないのかい?」
「ごめんね、今度また寄らせてもらうよ!」
「あいよ、じゃあこれ持っていきな!」
そう言うとオジさんは僕に林檎を一つ投げてくれた。受け取った瞬間に甘い香りが鼻孔をくすぐる。この世界の林檎は蜜が多くて地球のものより甘い。しかし甘さだけでなく酸味も強いので、地球のそれとは似て非なる味がする。個人的にはこの林檎は地球のものより好みだ。
「ありがとう、オジさん。また来るね!」
「おう、でっかい彼氏さんにもよろしくな!」
「あ、あいつはそんなんじゃないよ!」
……彼氏、でっかい彼氏。傍から見るとそう見えるのかな? ふふふ。思わずにやけながら林檎にかぶりつく。口いっぱいに広がる味は、まるで今の僕の胸の中に詰まっている感情のように甘酸っぱい。
「お、仮面ちゃん今日は一人かい?」
「仮面ちゃん、今日はでっかい兄さんと一緒じゃないんだね!」
「こんにちは! こんにちは!」
通りを歩くと、いつも通りにみんなが声をかけてくれる。でも秀彦がいない事をみんな違和感に思ってるみたいだ。確かに外に出るときはいつも一緒だからなぁ。いつでも一緒にいると言う認識をみんながしているのがちょっとだけ嬉しい。
「あ、魔女お姉ちゃんだ!」
「ミリィ!」
声の方を見ると、孤児院のミリィが僕の方に走ってくるのが見えた。どうやら孤児院の買い物のお手伝いの途中らしい。明るく手をふり駆け寄ってくる姿はとても元気で大変よろしい。ミリィはほっぺたを林檎のように赤くしながら、僕の方に全速力で走ってきた。その速度は意外に早く、あっという間に僕の目と鼻の先に……ん? ちょっとまって、そろそろ失速しようミリィ? このままだと……。
「魔女おねえちゃんこんにちは!」
「ゴフゥッ!?」
やっぱりこうなるんだね、僕のお腹に抱きつくというよりはタックルのような勢いでミリィが突っ込んできた。危うく朝ごはんをぶちまけそうになったけどなんとか持ちこたえた僕を褒めて欲しい。
「きょ、今日も元気だねミリィ。こんにちは」
「うん、お姉ちゃんも今日も面白いお面だね! 今日はゴリラのお兄ちゃん一緒じゃないの?」
「う、うん、今日はゴリラお兄ちゃんには内緒で出てきちゃったんだ」
僕がそういうと、しばらく考え込んだミリィが不安そうな顔に変わる。
「魔女お姉ちゃんゴリラお兄ちゃんにフラれちゃったの?」
「ぶほっ!?」
と、突然何を言うのかねこの幼女は!?
「そ、そんな事無いよー? と、言うか。僕とゴリラ兄ちゃんはそういう関係ではないんだよ?」
「んー? でも、魔女おねえちゃんはゴリラお兄ちゃんが大好きだよね?」
「う、うぐ……」
そんな無垢な目で核心をつかないでほしい。僕もなんと答えれば良いのか分からないじゃないか。さて、なんと答えたものか……僕が困っているとミリィはにっこり微笑んで僕をギュッと抱きしめてきた。
「大丈夫だよぉ。もしゴリラお兄ちゃんにフラれちゃっても、ミリィが魔女お姉ちゃんをお嫁さんにしてあげるからね!」
「何を言い出すかねこの子は!? ミリィ、一体どこでそんなマセた事を覚えたの?」
「葵おねえちゃんがいつも魔女おねえちゃんに言ってたから。ミリィもお姉ちゃんをお嫁さんにしたいなって思ったんだよ」
「……あの人にはあとで教育する必要がありそうですね」
「キャァァァァッ!!」
「!?」
その時突然、平和そのものといった市場の喧騒を、悲鳴と爆発音が引き裂いた。先程までも賑やかではあったがそれは活気のある明るく平和なものだった。しかし、今上がっている怒号は先程までのものとはまったく違う。土煙と人混みでよく分からないが、獣のような唸り声と大勢の悲鳴が聞こえる。恐らく魔物だ。何でこんな所に!?
「ミリィ、ここから動いちゃダメだよ!」
「お、お姉ちゃん!?」
僕は人混みをかき分けて声のする場所へ向かう。ただの買い出しだからとアメちゃんを置いてきたのは大失敗だった。こんな丸腰で戦うのは少しだけ不安だけど、今はそんな事で躊躇っている場合じゃない。
僕は左手に隠者の仮面を括り付け、盾のように構えた。こんな使い方する物ではないけれど、コボルトチャンピオンの攻撃にも傷一つつかなかったのだから、かなりの強度のはずだ。
なんとか人混みを抜けると、開けた視界に巨大な黒豹のような魔物が見えた。そして黒豹は逃げおくれて倒れてしまった女性に飛びかかろうとしている。
……残念アンデッドじゃないか! でも!
「とりあえずこっち見やがれ! 空撃ち
「ガゥアッ!?」
まばゆい光に包まれる豹型の魔物、当然コイツはアンデッドではないので、
「お姉さん、逃げて! 早く!!」
「え、あ、はい!」
狙い通り、豹の意識は僕に向けられ、走り去る女性に対して興味を失ってくれた。よしよし、良い子だ、このままうまく時間を稼いで憲兵が来るのを待つとしようかな。
とりあえず僕は豹の目を睨みつけ視線を外さずに対峙する。
この魔物の強さがどの程度なのかは解らないけど、一般人が戦うよりは僕が戦ったほうが遥かにマシなはずだ。ありがたい事に、あちらも僕を警戒しているのか、睨み合いに付き合ってくれている。よし、あわよくばこのまま時間切れを狙えるかな? そう思った瞬間だった。
「魔女おねえちゃん!!」
「!?」
え、なんでミリィがここに!? しまった、豹の意識がミリィに向いた。どうやら僕を心配してついてきてしまったらしい。もう光で意識を向けさせることは難しいかもしれない。僕は飛びかかる豹とミリィの間に入り、即座に無詠唱
「ジャストガード応用、なんちゃって
きまった、正直心臓バクバクだけど、なんとか実践でも使えることを証明したぞ。
「ミリィ、何で来ちゃったの! 早く逃げて!!」
「ッ!!」
少し厳しく言うと、ミリィは驚いた顔をしたあとに、小声でごめんなさいとだけ残して逃げてくれた。ごめんね、ちょっと強く言っちゃって傷ついちゃったかな? でも、流石に誰かを護りながらこの魔物を止めるのは難しそうだから。
「――さて、僕の集中力が続くかな。しばらく一緒に遊ぼうか、黒猫ちゃん!」
「グルゥッ……」
どうやら今の行動で、完全に敵認定してくれたみたいだね。魔物は僕の事を憎々しげに睨みつけてきている。恐らく獲物をとらえるのを邪魔されたと思っているのだろう。僕は体の力を成るべくぬいて、臨機応変に対処できるように構えをとった。
……うう、勇ましく構えては見たものの、ぶっちゃけると本当に怖い。しかも一旦動き出した為に、もうにらみ合いをしてくれそうにない。慎重に呼吸を整えて豹の動きに注視する。
「とん、とん……」
――はい、ここ! 再び金属をぶつけ合うような音とともに豹の体が後方に飛んでいく。良かったコイツの動きは直線的で、マウス君よりも少し遅い。なんとか対処できるかも。しかし、盾に受けた衝撃はマウス君の比ではなかった。これが命を奪う一撃か。
「早く誰かきてくれよ……」
それでもやるしか無い。一歩間違えば即死するかも知れない初の近接の実戦。否応にも緊張が走る。でも、僕がやらなきゃ誰がやる!
無駄な思考は投げ捨てて、僕は攻撃を受け流すことに集中していく。
頬を掠める爪、命を終わらせるために剥かれる牙。それら全てが練習とは違う。前衛の皆さんはいつもこんな攻撃を受けていたんだね。正直本当に怖いけど、僕が死んでしまったらコイツが街に放たれてしまう。勝つ必要はない、ただひたすらに攻撃を丁寧に防ぐ。
受けて、凪いで、スカして、僕の持つすべての技術を使って回避する。時々掠める爪の冷たさに背筋が凍る。もし、これを受け損なってしまったら。そんな恐怖心が徐々に僕の心を覆っていく。
僕の背を冷たい汗が流れ始めた時、突然僕の視界を大きな影が覆い、魔物が今までになく遠くまで吹き飛ばされた。
僕の視界を覆う大きな影に心の底から安堵して思わず呼びかけた。やっぱり来てくれた……
「……秀彦ぉ」
「おう、待たせたな!」
いつも通りの少し無愛想な顔。その顔を見た瞬間、僕は思わずへたり込んでしまった。
――――Side秀彦
この
「たくっ! なんで、聖女なのに血の気が多いんだお前は!!」
思わず悪態をついてしまったが、これは棗を取り巻く人間の総意だと思うので何の問題もない。しかし、人垣をかき分け市場の立ち並ぶ大通りに出た時、そこで繰り広げられていた光景に思わず俺は目を奪われた。
でかい黒猫のような魔物の激しい攻撃を、腕に括り付けた仮面と体捌きだけで見事に回避する可憐な少女。流れるような銀髪が動きに合わせて舞う姿は、思わず動きを止めてしまうほどに美しかった。それがいつも自分と馬鹿騒ぎしている親友とはとても思えない……
「……て、呆けてる場合じゃねえだろ!
俺の盾で吹き飛ばされた猫みたいな魔物は悲鳴を上げながら壁まで吹き飛んだ。俺が割り込んだ事に気がついた棗は「秀彦」とつぶやいた後に、なぜかへにゃりと地面に座りこんでしまった。おいおいどうした? さっきまであんなに勇ましく戦ってたろ、お前。
「何座り込んでやがる、問題児! まだ終わってねえぞ」
「す、座り込んでないよ! ちょっと脚がもつれただけだい!」
変な強がりをしながら立ち上がる棗を見て俺はさっきの無神経な一言を後悔した。考えてみたらこいつは初めての命がけの近接戦闘をしたんじゃねえか。あまりに見事な動きだったから失念してたぜ。
強がっちゃいるが……脚が震えてるじゃねえか。
よく見れば元々色白とはいえ、今の棗の顔は白すぎる。恐らく傍から見るほど余裕の戦いではなかったのだろう。俺は立ち上がろうとしている棗の頭に手を載せクシャリと撫でた。棗、こんなに無理して。周りに被害が出ないように頑張ったんだな……
「ふぇっ!?」
「悪かった、よく頑張ったな。安心して休んでろ。俺が来た、もう大丈夫だ!」
「……は、はい!」
何故か頭を撫でられた棗の顔が赤い。先程までの真っ白な顔色よりはいいが、今度は気合い入り過ぎだな。もう、そんな顔になる必要はない。後は俺に任せておけ。
――――……
結局、秀彦が駆けつけてからの戦闘は一方的な展開だった。僕が手を貸すまでもなく、秀彦はあっさりと魔物を倒してしまった。僕はあんなに苦戦した相手だっただけに、ちょっとだけ悔しかった。
今は腰が抜けてしまった僕と一緒に、広場のベンチに座っている。既に陽は傾き、店の殆どは先程の騒動もあり、何時もより早く店じまいをしてしまっていた。
つまり、もうチョコレートの材料はおろか、既製品も買うことができない。どうしよう、明日作る? でも、そんなのもうただのおやつだ。どうしよう……
そんな事を考えていたら、横に座った秀彦が僕の持っていた荷物に気がついた。
「お、それ食い物か? 丁度良かった、おれ腹減ってたんだ」
「あ、ちょ、待って……」
僕の静止を聞かずにゴリラが
「ん? チョコレートか。――何だ? 俺の名前書いてあるじゃねえか。なんだよ、最初から俺にくれるものだったのか? だったらもっと早く言っててくれよ、俺は甘い物も好きなんだ」
「あ、あわわ……」
僕が止める間もなく、秀彦は惚れ薬入のチョコレートを平らげていく。いま、周りには誰もいない。もし、この薬が本物で、刷り込みで相手に惚れるような薬だったら……
止めなきゃいけないのに、僕はチョコを食べ続ける秀彦を見つめていた。
「だ、だめだよ、秀彦、だめだよぅ……」
口では止めるのに、体がちゃんと動いてくれない。こんなのダメなのに!
「……んぁ? なんだ、これ食っちゃダメなやつだったのか?」
「だ、だめ……ん?」
「ん?」
「う~ん?」
あれぇ? なんか様子がへんだぞ?
「……なぁ、秀彦?」
「なんだ、もうこれだけ食ったんだから返さんぞ?」
「いや、もうそれはどうでも良くなりつつあるんだけど」
なんだろう、きょとんとするゴリラに薬の効果は全く見られない。これはいったい……
「――うん、うめぇぞこれ。お前お菓子も作れるんだな、感心するぜ」
「いや、そうじゃなくて。秀彦、体に変化というか、僕を見てなんか無い?」
「んー?」
僕をじっと見つめる秀彦。うう、自分で言っておいてなんだけど、至近距離でそんなに凝視されるとドキドキして困る。
「……ねえな! いつも通りだ」
「ほげぇっ!?」
もう、なんだよ!! 薬なんて良くないけどドキドキしたのに。結局効果無しなのかい! ちょっとがっかりしたようなホッとしたような。うう~、なんか釈然としないけど、なんとも無いならそれはそれでいいや! 当初の予定通りいくぞ!
「と、とりあえずそれ、バレンタインチョコだからなそれ。もっと味わって食えよ」
ど、どうだ、女の子からの手作り本命チョコだぞ!
「ん? ――おお! あれか、友チョコってやつか!」
うぐぅ、やっぱり伝わらない……
「そ、そうだよ……」
うーん、バレンタインを告げてもこの無変化。こんな恋愛偏差値ゴリラ以下の人間に、何で僕は惚れちゃったんだ。
「とりあえずごちそうさん! お返しは今から考えておくから期待してろ」
「お、おぅ……」
また頭なでてる。前に髪が乱れるからやめろって言ったのに。
「あ、そうだ、いけねえ。これやっちゃダメなやつだったな! 悪ぃ悪ぃ」
「……きょ、今日はいいよ。撫でてろ」
「おう! じゃあ撫でてやる」
結局チョコは渡せたし、薬で変な事にもならなかったし。あと頭なでられるのもちょっとだけ気持ちいいから。今年のバレンタインはまぁまぁいい思い出になったかな。
「それじゃあ帰りはどっかで飯食いに行こうぜ。今日はお前頑張ってたから奢ってやるよ!」
「本当に!? じゃあ僕ステーキの食べ放題がいい!」
「バレンタインらしくねえなあ……」
それはそれ、これはこれ。秀彦と一緒に行くなら気取ったお店よりお肉だよね。あぁ楽しみだな!
……――――後日
「おや、棗ちゃん。この薬使っちゃったのかい?」
「うぅ、ごめんなさい。でもその薬全然効かなかったよ?」
「この薬が効かない? そんなはずはないけどねえ。効果時間は短いけど、完全に相手を惚れさせるジョークアイテムなんじゃよこれ? 服用後、最初に見えた相手を心から愛おしくなるはずなんじゃが」
「え~? じゃあ、あのゴリラ。あの時は僕に惚れてたってこと?」
「――まぁ、そのはずじゃのう」
「えぇー!? じゃあ。あいつ惚れた状態でもあんなに変化ないって事? どれだけ朴念仁なんだよ」
前途多難な僕の恋愛。どうあがいても振り向いてもらえないような気がしてきたけど、いつか振り向いてもらえるようにこれからも頑張ろう。秀彦には早く人間らしい感情を育んでもらわなくては……
「ふぉふぉ。まぁ、何もなかったって事はそういう事なんじゃろうて」
おばあちゃんがなにか言っていたけど小さい声だったのでよく聞こえなかった……
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