第二十四話 生活魔法
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――重い空気の流れる帰りの馬車。あまり会話も弾まず、ただただ車輪の回る音だけが聞こえてくる。結局あの後部屋に戻ったけど、ニコニコと優しい笑みを浮かべる教皇猊下にあまり心配をかけたくなかったので、廊下での出来事は猊下には伝えられなかった。結局、その後はお茶を楽しむ気分では無くなってしまったので、上の空で会話をしてしまっていたのだけど、教皇猊下はそんな僕なんかにもとても良くしてくださったので、何だかとても申し訳なくて、居たたまれない気持ちになってしまった。
しばらくお話を聞いた後、後日僕の正式なお披露目と洗礼を行う旨を聞き、そのままお開きという流れになった。
アグノス様は僕の態度から何かを察したようで、帰り際に僕にだけ聞こえる声で「ごめんなさいね」と言っていた。そして、猊下に言わないでくれてありがとうとも……
教皇猊下はまた何時でも来てほしいという事と、会いに来る時は事前に知らせてくれれば何時でも時間を作って下さるとおっしゃっていた。僕も猊下のお話は楽しかったのでまた是非お会いしたいと思うのだけど、大司教様にまた会ってしまったらと思うとちょっと怖い。
それにしても、大司教のあの姿を見れば、教会の腐敗は間違い無いと思うのだけれど、教皇猊下にはそれが伝わっていないのかな? リーデル騎士団長とアグノス様は大司教の素行に気がついているようだったけれど。
お話をした印象では、教皇猊下は聡明でお優しい印象を受けた。あの方が、あのような大司教様の蛮行を許されるとは思えないから、やっぱりあの二人は教皇猊下が教会の腐敗について気が付かないように隠蔽しているんだろうか。
「うーん……」
でも、あの二人が悪人とは思えないんだよね。特にリーデルさんは。何と言うか、融通がきかないほど職務に忠実なだけのような印象を受ける。でも、それだとなんで大司教様をのさばらせて置いているのかがよくわからない。教皇猊下にお伝えしていないのは余計な心労をかけたくないからだとして、大司教様に手を出せない理由は? 単純に立場的なものなんだろうか。
「うむむ~……」
「……棗くぅん? 難しい顔してどうしたんだい?」
「ん~……むむむ」
「あ、そうか、さっきトイレに行ったけど、さては固くて出なかっ……あいたっ!?」
バカな事を言いかけた先輩を、幻術の杖
「酷いな君は! いくら勇者でも杖で殴られたら痛いんだぞ!?」
「殴られるような事言うのが悪いんです! 僕は今真面目な事を考えているんですから、黙っててください!」
「しかしだね、一人で頭を捻っても良い案というものは浮かばないと思うんだよ。こういう時の為に友人というものはあるんだよ棗君」
「……先輩」
思いがけない言葉に顔を上げると、そこには優しく微笑む先輩の顔があった。僕の事を本当に考えてくれている笑顔だ。こういう時の先輩は本当に綺麗で、理想的な女性だなと思う。
「取り敢えず適度な運動と、食物繊維をだね……」
「便秘の話から離れてくれないかな!?」
前言撤回、やっぱりこの人は碌でもない。さっきまで綺麗に見えてた顔も、今はもう濁りきって見える。なんでちょっと興奮しているんだこの人!!
「ふふ、流石はアオイ様ですね。あんなに暗い表情をされていたナツメ様をここまで元気にされるとは」
「ん、んー!?」
「いやぁ、流石はコルテーゼさん。泥をかぶって棗きゅんを元気にしようとした作戦を見抜かれちゃうとは……照れるニャア」
「嘘だ、絶対ウソだ-!!」
「しかしナツメ様が元気になったのは間違いないと思いますが?」
「……うぐぐぅ」
で、殿下は僕の味方だと思ったのに!
どうやら僕が暗い顔をしていたせいで、みんなに心配をかけてしまっていたらしい。
「さてさて、私の作戦のお陰で元気になったようだけど、これからもっともっと元気にしてあげるからねぇ? 覚悟をするんだよぉ? ゲヘヘ……」
「なんですかその手付きは!?」
「大丈夫、ダイジョウブ。痛いのは最初だけだからねぇ?」(ニチャァ)
「隊長! グレコ隊長!! 賊です、馬車内に賊が居ます、討伐してください」
「こらこら、暴れるんじゃないよ、ここは狭いんだから危ないじゃないか。それに殿下やコルテーゼさんに迷惑だよ?」
「そんな正論言われても説得力ないからね! いや、正論ですらないな!?」
取り敢えず暴れて抵抗をしてみたけれど、所詮は非力な聖女。勇者のスペックには逆らう事ができず、あっさりと抱きかかえられてしまった。身動きもできない僕は貞操の危機を感じて戦慄したけど、意外な事に先輩は僕を膝の上に乗せると、体を弄ったりなどはせずに、背中から優しく抱きしめてきた。
「……巫山戯てゴメンね、棗君。廊下での話、グレコ隊長から話は聞いてるよ。怖かったかい?」
「べ、別に怖くなんか無かったですよ」
嘘だ、僕は元男なのに、大司教の目に舐めるように見つめられた時、体に怖気が走って硬直してしまった。あんな悪意と濁った性欲にまみれた目で見られたのはすごく嫌だった。
「こっちに来て君が女の子になってから、良くも悪くも知り合った人はみんな良い人で、君の事を好いてくれていたからね。きっと性欲や悪意といった視線で男の人に見られるのは初めてだったんじゃないかと思ったんだよ。ショックだったんじゃないかい?」
あの時はよく解らなかったけど、たしかに思い出すと少し怖い。身震いすると、葵先輩はそれに気がついたのか、少し僕を抱きしめる力を強めた。
「……うん、まるで葵先輩みたいな目で怖かったよ」
「ええっ、それはちょっと酷くないかね!?」
「ふふふ、冗談だよ」
まったく、いつもこうやって普通に慰めてくれればいいのに。照れ隠しに変態行為に及ぶのは本当にどうかと思うよ。でも……
「ありがとうね。――葵お姉ちゃん」
「ブッフゥオッッ!!」
「ぎゃあああああ!?」
「ア、アオイ様!?」
抱きしめられて動けない僕の頭上から容赦のない赤い瀑布が雪崩落ちる。行きの時と違って動けない僕は頭からそれを被る羽目になってしまった。生暖かい液体が頭部を伝い顔面へと流れていき、感謝の気持ちは赤い濁流に飲まれ彼方へと流れていった……
……――――
「いやー、すまなかったね、棗きゅんが不意打ちなんてするからつい」
「せめて腕を解いてからやってください! どうするんですかこんなスプラッタな服装で宿に帰れませんよ!!」
「君のその杖を使って周りの人からは普通に見えるようにすれば良いんじゃないかい?」
確かにそれで何とかなりそうだけど、こんな事に大切なアメちゃんを使うのは何だかウェニーおばあちゃんに申し訳ない気がする。
「ご安心くださいナツメ様、アオイ様、その程度の汚れでしたら、私の生活魔法で洗浄ができます」
「生活魔法?」
「私共のような使用人や主婦などが扱う簡単な魔法ですね。主に掃除や洗濯といった分野で活躍する魔法の事をそう呼びます。熟練者が扱えば旅の間も体を清潔に保てる程なのですよ」
おお、そんな便利魔法が!? 是非覚えたい、この先魔王を倒すための旅とかに出るとしたらやっぱりお風呂は深刻な問題だもんね。もしアイツに臭いとか言われたら立ち直れないよ僕、あいつそう言うこと普通に言ってきそうだしね。
「コルテーゼさん、それって僕でも扱えるのかな?」
「はい、ナツメ様でしたらすぐに習得可能だと思いますよ。よろしければ今お教えしましょう」
「ぜひぜひ!」
「ふむふむ、それじゃあ私も習っておこうかな。魔力はあるし可能だよね?」
「はい、多分大丈夫だと思います。それではまず、ナツメ様の服を洗浄いたしますので見ていてくださいね」
そう言うとコルテーゼさんは僕に手のひらを向け、短く詠唱を開始した。
「洗浄せよ
「おぉ……」
白い光が放たれ、僕の服から赤い汚れが引いていく。続けて僕の髪にも光が伸び、あっという間に僕のスプラッタな状態は改善されていた。服にはシミひとつ残っておらず、むしろ前よりも綺麗になった気がする。
「すごい、凄いですよコルテーゼさん。ほとんど詠唱もしていないのにこんな」
「ふふふ、この魔法は目的が限定的ですのでイメージをしやすいのですよ。そのため詠唱はほとんど必要としません」
「洗浄せよ
「なんで血まみれの服より斧を優先してるの!?」
とりあえず先輩にも出来たようなので、僕も先輩の服に向けて
「あれぇ?」
「ふふふ、ナツメ様、最初はそんなものでございますよ。後は練習あるのみで御座います。むしろ初めての洗浄で斧をそこまで綺麗に磨き上げたアオイ様が凄すぎるので御座いますよ」
「ほうほう、まさか魔法で棗くんより得意なものが出来るなんて意外だったね。まあ服の事は自分でやるから大丈夫だよ。それでは、洗浄せよ
「どうしたんですか先輩?」
「何か浄化が発動しないんだ。いや、発動はしてるようなんだけど、どうにも威力が全然弱くてね」
本当だ、たしかに微弱な浄化が先輩の衣服を覆ってはいるけど、その光は未熟な僕のものより更に弱い。
「うーん? さっきの成功は偶然だったのかなー?」
「……まさか」
僕は先輩の腰に収まっている手斧を取ると、その刃に指紋をペタペタとつけて表面を汚していく。それを見た先輩の顔が泣きそうな程に歪んでいくが気にしない。
「あ、あ、あ、何をするんだよ棗君!?」
「先輩、これに浄化をかけてみてください」
「え、えー、分かったよ。洗浄せよ
先ほどとは比べ物にならないまばゆい光が斧を包み込む。光が収まったそこには、まるでたった今作られたかのような美しい手斧が……どうやら僕の仮説は正しかったらしい。
「斧限定の浄化って……先輩のその異常な斧愛はなんなんですか!!」
「えぇ、なんで怒られているのかな!?」
どうやら先輩の浄化は、斧限定で誰よりもその力を発揮するが、服や体を綺麗にしようとすると、斧洗の反動なのか全く効力を発揮できない斧洗浄専用魔法となったらしい……もう別の魔法なんじゃないかな? これ。
「相変わらずアオイ様は規格外の御方ですね。まさか即興で新たな魔法を編み出されてしまわれるとは。流石は勇者様で御座います。服の洗浄はわたくしめにお任せくださいませ」
何が流石なのかはわからないけど、コルテーゼさんの浄化が発動し、葵先輩を包み込んでいく。
「おお、本職の浄化は一味違うね! どんどん綺麗になっていくよ」
コルテーゼさんの魔力が先輩を包み込み、僕では消せなかった血の跡を綺麗に洗浄していく。なるほど、魔力を衣服に染み込ませるようにして汚れを押し出すイメージなのかな。今度マウスくんに協力してもらって練習しておこう。
――そんな事をしてる間に、さっきまで僕の心を覆っていた暗い気持ちはどこかに吹き飛んでおり、そこからの馬車はにぎやかで楽しい道程になった。途中から僕と殿下と先輩で浄化勝負なんて下らない勝負が始まったりもした。ちなみに最下位は斧以外洗浄できなかった先輩だった。
殿下も生活魔法を使うのは初めてだったらしいけど、すごく器用に発動させて堂々の一位。そう言えば殿下って最前線で戦う騎士様でもあるんだよね。何時もそんなに目立たない方だからついつい忘れちゃうんだけど。ちなみに優勝賞品は僕からの称賛との事だったので「凄いです、格好いいです殿下!」と言ったら殿下の鼻からも赤いものが……殿下はいつもお急がしそうだから、お疲れなんだろうか?ちょっと心配。
鼻血を吹き出した殿下に法術をかけて治療していると、外からノックをする音が聞こえた。
「皆様、まもなく宿が見えます。御降車のご用意をお願いいたします」
グレコ隊長の声に反応して窓の外を見ると宿が見えてきた。今日は色々あって疲れちゃったけど、宿が見えると帰ってきた感じがしてホッとするね。
なんとなくそのまま近づく宿を眺めていると僕の目にあるものが飛び込んだ。
「さて、今日はお疲れさまでした。今日は聖都の民と教皇猊下への顔見せでしたが、後日本格的な洗礼などがありますので、今日はゆっくりお休みになって英気を養ってくださいませ」
「……」
「ナツメ様?」
「は、ひゃい、なんですか?殿下!?」
「ふぅ、やはりお疲れのようですね。丁度宿についたようですので今日はゆっくりお休みください」
「は、はい、それでは僕は部屋に戻らせていただきますね。ごきげんよう!」
「ナ、ナツメ様!?」
僕は馬車が止まり切る前に飛び降りると部屋に向かって早足で駆けだした。
――――……
「ナ、ナツメ様はどうされたのでしょう?あんなに急がれて……」
「多分一刻も早く部屋に戻ってやりたい事があったんだろうねえ」
葵は棗の部屋の窓を見つめてニヤニヤと笑みを浮かべた。釣られてコルテーゼも窓を見上げ、そこに佇む小さな影を見つけ、全てを悟ると、こちらも笑みを浮かべた。
「あらあらまあまあ。これは疲れたお体に良く効く特効薬になりそうでございますね。ふふふ」
「私の部屋には届いていないようなので、ちょっとお姉ちゃん的には複雑だけど、あんなに嬉しそうな棗きゅんが見れたので良しとしますか」
カローナも葵とコルテーゼに続いて棗の部屋を見上げると、そこには見慣れた小さな鳥が留まっていた。
「……あー、まいったな。そう言う事ですか」
なんとも言えない表情を浮かべるカローナと対象的に、馬車内の二人は嬉しそうに笑いながら棗の後ろ姿を見つめていた。
その姿は後ろ向きでも分かるほどウキウキとした軽い足取りだった。
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