第33話

 別に北条氏政の後を追うわけでは無いが、僕の本能が彼の後ろを歩くよう指示してきた。

 つま先で水を蹴りながら無色で何の面白みも無い風景の中を進む。


「……何があった……んですか?」


 いつもの癖というか、伊勢真の顔を見ると、敬語で話しかけないとどこか落ち着かない自分がいた。


「……呆れた。無自覚だったのかよ」


 北条氏政は僕の顔を見るなり、とても深いため息を吐いた。


「お前、地球を割ったんだぞ」

「へい?」

「あの瞬間、互いが互いを抑圧した結果、俺とお前の欲求は相乗的に膨れ上がった。そのエネルギーを推進力にしたお前は一瞬ではあるがんだ。何の比喩でもないのが悪い冗談だが」


 にわかには信じがたい突拍子もない話だ。また揶揄っているのではないかと思ったが、目の前に広がる不思議な光景が僕のツッコミを飲み込ませた。


「質量を持ったまま光の速度を超えたお前は重力特異点に変質した……有体に言えばお前の重い愛とやらがブラックホールになったんだ」

「マジすか……全然理解できねぇ」


 元々理系の話は苦手だった。


「理解できなくて当たり前だ。お前のせいで人類が掲げてきた量子力学と相対性理論が台無しになったんだからな。おまけに膨張していく銀河を引き戻す荒業まで披露しやがって」

「サーセン」


 北条氏政が何を言っているのか今の頭ではやはり理解できなかったが、僕は何かやらかしてしまったらしい。


「……で、ここはどこなんです?」

と呼ばれる時間の向きが異なる空間……らしい」

「らしい?」

「彼らが教えてくれた」


 僕は北条氏政が指さす前方を見た。

 気が付かなかったが、北条氏政の前を何かが列を成して歩いている。

 目や耳、口などは見当たらず、ただのフワフワした白い球体に見えるが、見方によっては小鳥に見えないこともない愛嬌のある生物だった。

 小さな手足をパタパタと動かしながら僕らへ手招きするようにクルクルと回っている。


「なんすか、アレ」

「お前らを苦しめてきたタマホウシ様だ」

「え、あれが?」


 可愛いという感想を持ってしまったことを悔いたい。


「我々を未だに導いてくれている」

「どこへ……」


「自分が良く分かっているはずだ……俺はもう良く分からなくなってしまったがな……欲求とは何だったのか、生物は誰の指示で生きているのか……たまに考える。人間は何のために飯を食う? 何のために眠る? 何のために繁殖する? 誰がそうさせた? 本能とは? 欲求とは? 生きるとは何だ」


 考えたことも無かった。いや、考える必要が無いからこそ本能であり欲求という物なのかもしれない。


「俺はこの五百年間、何を求めていたのだろうか……欲求を解消し、全てが満たされ満足したとしても、何も生まない。ただ、あぁそうか……こんなものか、と思うだけだ」


 北条氏政の問いただすような視線が振り返ってくる。


「上ヶ丘、お前はこの欲求の果てにどんな景色を望む?」

「鬼月楓彩さんの幸せ……正直それ以外はどうでもいい」


 僕の短絡的な発言に北条氏政は呆れ笑いを浮かべた。

 そうだ、こいつはそんな奴だったと、僕のことを思い返すような優しい笑顔だった。


「その時その時を生きる……後先なんて考えず自分のしたいことをする……か……」

「難しく考えすぎだと思うよ? 先生」

「そうだったな」


 北条氏政は頭を掻いて前を向いた。


「だがな、上ヶ丘。俺の不満はどこへ向ければいい」


 一人、僕らの前方から歩いてくる人影があった。


「その答えを持っていそうな人が来ましたよ」


 和服を着た長身の男性。


「父上」

「……ふっ……まぁお前だよな、最後に立ちはだかるのは」


 は北条氏政とは違った凛々しい顔立ちで、父と呼んだ。

 目元がスッキリとした塩顔であり、立ち姿からして弱々しく、何かで靡いてしまいそうな程薄い存在だった。

 だが、北条氏政は男から目を離さなかった。


「我らの時代は受け継がれております……今は彼らが時代の襷を繋いでおります」


「お前はそれで良いのか? 氏直うじなお


「私も、この五百年間、刀の中から世界を見て参りました……父上、一人では輝きは生れませぬ……人と人の絆こそが、この宇宙における輝きの一つと成りましょう。父上もまた、その輝かしい生命の奔流の一柱に過ぎませぬ」


「あの、無欲で野望など持たなかったお前が……偉そうに」

「いいえ、私はいずれは父の様にと……童ながら背伸びをした夢を抱いておりました。だからこそ、死して尚、堕ちてゆく父を見てはいられなかったのです」


「刀になってまでか」


 男は頷いた。


「……あぁ……俺は何をしていたんだろうな」

「……帰りましょう……父上」


 男は北条氏政へ手を差し伸べた。

 北条氏政は僕へ一瞥を寄越すと、何かを振り払うように鼻で笑った。


「一人で帰るさ……氏直、いや、国王丸……お前はお前の役目を果たせ」

「役目……?」

「たまには父の言いなりにならず、自らの欲を胸に行動して見せよ――」


 瞬きをした瞬間、僕の前を歩いていた北条氏政の姿が忽然と消えた。


「……はい……父上」

「あの人は?」

「逝ったよ。次は君の番だ」

「え、殺されるんすか!」


 国王丸はツッコミではなくため息を返してきた。


「あれを見なさい」


 国王丸が指さす先を見た瞬間、僕の胸の中にあった幾つもの欲求が脈を打った。


「え……なんで」


 僕が知っている彼女よりもずっと幼い後ろ姿だったが、一目見て鬼月楓彩だと分かった。

 国王丸に促されるがままに、僕は鬼月さんの下へ駆け寄った。


「鬼月さん!」

「え?」


 近づくとやはり小さい。

 まだ左腕を失う前の六歳かその辺の時期だろう。

 まだ何の穢れも知らない丸々とした目が僕を見上げた。


「……えっと……」

「……あ! 瑛太さん!」

「え?」

「えへへ、大人の瑛太さんだ!」


 僕と図書館で出会った直後の鬼月さんだろう。成長してしまった僕を見ても変なおじさんとしか思わないと思ったが、鬼月さんは何も迷うことなく僕の名前を言い当てては眩しく笑った。


「わ、分かるの?」

「うん! 大人の瑛太さんもカッコいい!」

「ははは……照れるなぁ」


 僕は押し寄せる思いを必死にこらえながら、膝を突いて目線を合わせた。

 本当は今すぐ抱きしめたい。彼女が潰れてしまうのではないかと思うくらい思いきり抱き締めたい。

 だけど、背後から来る国王丸の視線が、ここがゴールではないと訴えている。


「瑛太さん?」

「うん……おにつ……楓彩さん」

「はい!」


 僕は花に触れるような精一杯の優しさで鬼月さんの両肩に触れた。


「瑛太さん……どうして……泣きそうなんですか?」

「僕は楓彩さんみたいに強くないから……」

「泣かないで……? 私ね! 瑛太さんとの約束、守ってるよ! この前転んじゃったけど泣かなかった!」


 無邪気に笑う鬼月さんの頭を「さすが」と言い撫でる。

 何か話せ。じゃないと僕の涙が溢れて止まらなくなる。それでは鬼月さんが気の毒だ。


「楓彩さん、よく聞いて?」

「?」

「楓彩さんは、これから沢山の辛いことを経験する。胸が裂かれそうになったり、もう全部どうでも良く思えることが起こるかもしれない……だけど、どうか生き抜いてほしい」


 鬼月さんは僕から視線を外すことなく、小さく頷いた。


「絶対に僕が君を助け出して見せるから……」

「えへへ……うん! 約束!」

「うん、約束」


 多分、幼い彼女は僕の言葉を完全に理解したわけでは無いと思う。ただ、嬉しさが先走ってしまっているだけなのかもしれない。

 でも、この笑顔に僕は救われた。

 鬼月さんの頭と肩から手を離した途端、桜が散るように彼女の幼い体が白の背景へと消えていく。


「良いのか? 上ヶ丘瑛太。あの子に更なる呪いをかけることになったとしても」


「うん……強欲で最低かもしれないけど、僕はどうしてももう一度鬼月さんに会いたい」


「そうか、では行こう」


 僕が立ち上がると、足元の水がうねり出し、さざ波と化していく。

 波の世界。時間の向きが一定ではない世界。

 ようやく意味が理解できた。この空間は時間が行ったり来たりしている。寄せては返す波のように。


「君の強い欲求がこの宇宙に揺らぎをもたらした。彼らに身を任せなさい……君の願いを叶えてくれる」


 僕は目の前でクルクルと踊るタマホウシの差し出す小さな手を握った。

 足元の波には万華鏡のように様々な景色が混在しているように見えた。


 僕が生れた瞬間。


 鬼月さんが生れた瞬間。


 タマホウシがこの地球に降り立った瞬間。


 北条氏政の最期。


 北条氏直の決意。


 廻りに廻って全て、始まりへと還っていく。

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