自炊探偵・雨恋真雪の冒険

孔田多紀

4-1 春香との会話

"Tide turns eternal."--Dream Unending


「おい響子。おめー、ちょいとツラ貸せや」

 金曜日の昼休み。

 いつものように体育館の部室で練習していると、幼馴染の春香が、妙に芝居がかった様子で話しかけてきた。珍しくふだんのデッサン道具は持っておらず、手ぶらだった。

「お、おう、どうした」

「わたしさあ」

 春香は意味深げな笑みを湛えながらいう。

 こんな時の彼女は、ちょっとこわい。

「この前、見ちゃったんだよね」

「何を?」

 春香はおもむろにスマホを取り出し、少し操作すると、その画面を私の顔の前に突きつけた。

 そこには、近所を歩く私と真雪さんが映っていた。

 黄金色の日が斜めに射す、夕暮れ時。

 たぶん、スーパーに買い出しに行く道中だったと思う。遠い距離からクローズアップして撮影したためなのだろうか、画質がひどく荒かった。

 写真の中の私は、前を歩きながら、うしろにいる真雪さんのほうをふりむき、私の知らない表情をしていた。

 そんなものを急に見せられると、ぎょっとする。

「盗撮については、許してくれ。なんか、凄く仲いい雰囲気だから、声かけられなくってさあ……」にやにやしながらいう。「で、誰なんだよ、この格好のよろしい人はよ」

 とうとう、この日が来たか。

 といっても、別に隠していたわけではないのだから、いつかは彼女も知るのは当然ともいえる。

 というわけで、私は真雪さんとのこれまでを、根掘り葉掘り聞き出されたのだった。


「……それであんたは、その真雪さんと、これからどうなりたいの」

 ひととおり話を聞き終えると、春香は訊ねた。

 問いがストレートすぎて、戸惑う。

「……わ」

「……わ?」

「わからない……」

 とつぜん投げられた重すぎる質問に、頭を抱えながら、正直にいった。

 私は、真雪さんとどうなりたいのだろう。

 どうにか(といってもこの場合、一つの意味しかないけど)なりたいのだろうか。

 逡巡の末、ようやく、

「できれば、だけど……」

「ふむ」

「……今のまま、何も変わらない状態で、永遠にいたいかも」

「そりゃ無理だよ」と春香は噴き出した。「あんただってちゃんと歳とるんだから。おばさんおばあさんになってもそんな、料理ごっこやってんの」

「楽しそうでいいじゃん」

「十三も離れてさ、五十年経ってそれやってたら、介護だよ」

「そりゃあ、それだけ経てば、誰でもそうだろ」

 春香の発想が唐突に思えて、私も笑い飛ばした。

 というより、五十年も一緒にいられたら、そっちの方が凄いことだと思う。

 そんな先のことなんて、まったく想像がつかない。

「そういうのは、歳が近い人のほうが得だと思いますぜ」

「その得はなんの得なんだよ」

「何って、そばにいられる時間だよ。逆にさ、十七から十三引いたらいくつだ?」

「……四歳」

「自分が四歳の子から告白されたらどうする?」

「そっかー、ありがとねー、大きくなってからきてねー、と、諭す……」

「って、それ、ネットでよくある漫画なら前フリになっちまうから怖いな」

「……でもさ、こういうのは割合で考えたらいいんじゃない。八十と六十七だと、そう変でもないでしょう」

「計算してみようか」春香は電卓アプリを起動させ、「十七割る三十掛ける十七ね。ほい出た、九歳半。まだまだ犯罪臭がするなあ」

「…………」

 してやったぜという表情がなんとも腹立たしい。

 しかし、いい返すことができない。

「あんた、自分の友だちが、三十のおじさんと付き合ってるっていったら、どう思う」

「……大丈夫かな、騙されたりしてないかな、って、心配になる」

「でしょ。それとおんなじだよ」急に、私の眼を覗きこむようにしていう。「なんで女の人だったら平気だと思うの」

「ウーム……」

 真雪さんだから、としか、私にはいいようがない。けれど、そんなふうにいうと、まるで洗脳でもされているように思われそうで、嫌だった。

「ホント、悪い人じゃないのは確かだから。ただ、私がいないと、身体壊しそうで心配ってだけで……」

「それ、典型的にやばい関係のパターンなんじゃ……」

「いや、そういうのじゃなくてね。そこはほら、私もちゃんと、ギブアンドテイクの関係だから。こう、いろいろ悩みを解決してもらったりとか……」

「…………」

 なぜだろう。取り繕おうとすればするほど、いい抜けのできない深みにはまっていってしまう。

「そうはいっても、むかしアニメを見て憧れた、ってだけなんでしょ」

「……うん」

「はあ……」春香は大げさなため息をついた。「むかしのあんた、確かに格好よかったもんね。空手やってたってのもあるけど、口が達者で、堂々としててさ。わたしも、友達になれてよかった、って、思った。……それがさあ、最近は、急にくよくよモード入る時があるから、どうしたよ? なんて不審に思ってたら、それが原因か」

「……そんなに変、かな」

「なーんかしょっちゅうウジウジしてる。響子らしくない」

 そんなこといわれてもなあ。

「まあでも」春香はなぜか肩をはずませ、「そういうのって、お互いのタイミングだからね。あんたの話聞いてると、その真雪さんがフリーかどうかも、怪しいよ」

 ……真雪さんが、私の知らない誰かと、つきあっている。

 想像もできなかった。

 しかし想像できないといっても、私も彼女についてはまだまだ知らない部分のほうが多いのだから、あたりまえだ。

 それでも、自分が真雪さんに対し、他人よりなんらかのアドバンテージを持っているような錯覚に、知らずしらず陥っていたのではないかという気がふいに起こり、それがなんだかどうしようもなく傲慢に思えて、へこんでくる。

「よしんば今フリーでも、ずっとあんただけのことを待ってくれる、ってわけでもないだろうしさ。逆に、響子がしょっちゅうやってくるから、向こうは戸惑ってたりしてね。わたしだって、休みのたんびに四歳の子につきまとわれたら、参るよ」

 そもそも、真雪さんは、そんなことに興味があるのだろうか。

 それすらわからない。

「……いきなりそんなこといわれても、困る」

「でもねえ、いつかは……」

「そんなの、選べないよ」私は春香の追撃を振り払おうとしていった。「あんたは何でもかんでも、恋愛脳で考えすぎ」

「えー、だって」

 ふいに、春香はおどけた顔をする。

「わたしと響子、お互い三十になっても一人だったら、一緒に棲もうって約束したじゃん。わたしの人生設計にも関わるよ」

「え」思考が一瞬、固まる。「……そんな約束、したっけ」

「いや嘘。してない」

「してないのかよ」

「幼馴染あるあるジョークだと思ってくれ」

 あんがい、過去にそんな約束も軽くしてそうな自分の性格だから、油断できない。

「しかしなー」と春香は慣れた様子で部室のソファの背もたれに上半身を投げ出しながらいう。「まさか響子が学徒としての本分の道を踏み外そうとするとは……」

「道は外れてないから」

「じゃあ、不純同性交遊」

「……べ、べつに不純じゃないし」

「おー、そうなんだ。語るに落ちたね」

 それから、いつものように、声をたてずにくすくすと笑う。

 春香とはずいぶん長い友達づきあいだけれど、ここまで内心に踏みこまれたことはなかった。

 そのせいで、他の誰に同じことをいわれるよりも、動揺が激しい。

 抑えきれない。

「……まあ、いろいろいったけどさ」いいながら、春香はそろそろ教室に戻る素振りをした。

「確かにそれは、響子が自分で決めることだっていうのは、もちろんわかってるんだ。わたしだって、ずっと一緒にいられるわけじゃないし。でもね、……なんか辛いこととか、悲しいことがあったら、教えて」

 そういって、彼女は私を待たず、先に歩きだした。

「わたしでよければ、だけどねー」

「……ありがとう」

 と呟いた声は、たぶん、彼女の耳には届いていなかった。

 私も戻らなければいけないはずなのに、春香の背中に目を向けながら、その場からしばらく、立ち上がることができなかった。

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